凡人が成果を出すための習慣

残業ゼロで成果を出すには、どうしましょうか?

休日にリフレッシュできない一つの理由

こんにちは。

爽一郎です。

 

去年のことですが、仕事でめっちゃ頭使って疲れた日の夜に『進撃の巨人』のアニメをNetflixで見てめっちゃ後悔したことがあります。

気分転換のはずが、余計に疲れた。

進撃の巨人、話はめちゃくちゃ面白いのですが、多くの少年漫画や半沢直樹のようにスカッとする展開はなく、ストレスフルでシリアスな展開が続きます。

疲れた…。

 

というわけで、今日は、精神的に疲れない方法の一つとして、こんな方法あるんじゃない?と思うことを書きます。

簡単に言えば、気持ちの状態によって得る情報を変える、ということです。

しんどい時は難しい本読むのやめようよ、とか、逆に元気溌剌なら勉強の本とか、難しめの小説とか読もうと、なんて当たり前のことです。

本だけでなく、テレビやネット動画視聴なんかも同じ。

 

ただ、なんとなく生活しているとそんな当たり前のこともおざなりになり、受動的に情報を得がちで、精神力の回復に時間かかっちゃうよ、という話です。

 

■エンターテインメント見てても脳みそ使っちゃうときがある

私は、ガンダムが好きです。

今の最新のガンダムは良く知らないのですが、小学校のころからガンダムが好きで、その時代のガンダムがいまだに好きです。

 

最近、私の好きなガンダムであるウイングガンダムゼロのプラモデルが出たので、買って作っていました。

めちゃくちゃにパーツが多くて、10時間以上かかって完成。

で、久々に新機動戦記ウイングガンダムってどんな話だっけ?なんて思いました。

さすがに25年前のアニメなので、部分的な映像しか記憶にはありません。

小学生当時はアニメを見ていたのですが、なんか漫画になっていたのでkindleで思わず大人買いして読んでおります。

 

 

子供のころと大人になってから。

同じ話を見ていますが、感じ方が違う。

昔アニメで見た子供の頃には思わなかったのですが、大人になった私は作者の意図を考えようとしていることに気が付きました。

感じ方は年齢で変わるものですね。

…なんて思ったのですが、ちょっと違うか、とも感じました。

 

これは年齢が異なるからではなく、ただただ楽しもう!と思って何も考えずに見るか、それ以上の目的を持って見るかの違いであるのではないかと。

ようするに、物語を見る時の意識の違いではないかと。

 

 

他の例で説明します。

アニメの話が続きますが、私は子供とプリキュアを見ることがあります。

女の子が変身して悪者と戦うアニメですね。

毎週放送されているわけですが、話はだいたいワンパターンで、30分の間に敵が出てきてプリキュアがそれを倒すというもの。

ただ、見ているとクリエイターたる大人たちのメッセージが見えるのです。

 

例えば、友達との友情を大切にしよう、とか。

差別はダメ、とか。

ひとそれぞれで、なりたい自分になろう、とか。

あと、プリキュアの関連玩具を売ろうとしているな、とか。

 

きっと5歳の我が子は、そういったメッセージには気が付いてないでしょう。

ただただプリキュアかわいい!という反応ですから。

 

でも、私はそれを見て取ってしまう。

おそらく、プリキュアがワンパターンでそんなに面白いものと思っていないので、表面上以上のメッセージを読み取ろうとしてしまうのだろうと思います。

 

さきほどのガンダムの話でも、忘れているとは言え一度見た話なので、二度目に目を通す際には新たな何かを得ようと作者の意図を読み取ろうとしているのかもしれません。

 

 

大学の頃、映画を見た際、その映画を見たことがない母にあらすじを口頭で伝えたことがあります。

その折に、こんな言葉が返ってきました。

 

「で、その映画は何が伝えたかったの?」

 

当時の私は、読書感想文じゃないんだから、そんなこといちいち考えてないわいな、と思っていました。

面白いんだからそれでいいじゃん、と。

 

その考えは今でも持っていますが、ふと、今は作者の意図を考えるようになったなぁ、とも感じます。

逆に言えば、ただただ、頭を使わずに物語を楽しむ!ということが、意識しないとできなくなったとも感じるのです。

 

 

■脳みそに負担かけない選択肢を

自分でも小説書いてて思いますが、多くの物語は、何かの比喩です。

何かを伝えるために、物語と言う形をとって主張しているのです。

そういうものに触れ続けると、物語を見ときに何かを得ようとして、頭を使うのです。

 

しかし、何も考えずにみられる物語も、この世にあります。

私も常にそんな面倒なことを考えてエンターテインメントに接しているわけではありません。

何も考えずに物語を楽しむ、ということは良くあります。

『有吉の壁』とか『おそ松さん』なんかは脳みそ停止で、ただただ楽しむだけです。

中身がない。それが良い。

しかし、そういう「何も考えなくても良い情報」とは、この世に思ったより少ないものです。

 

意識しないと、プリキュアのようにいくらでもなんでも考えられてしまう。

よって、自分が考えなくて良い情報の選別、ができないと、脳みそに負荷を知らぬ間にかけてしまっているのだと思うのです。

 

仕事終わってから見るテレビや本なんて、頭は切り替わっているから疲れはしないでしょ?なんて思うかもしれませんが、そんなことはないです。

 

人間、仕事もプライベートも関係なく、脳みそを使って物事の判断をしています。

脳みそ使うと考える力『認知資源』は下がっていき、資源がない状態で思考するとクオリティが下がるのです。

科学的に検証されたものはあまりないですが、実験としては多く行われ、裏付けがなされています。

 

ある初期の研究では、この考えを検証するために被験者に簡単な課題を与えた。画面上に赤い点が見えたらボタンを押す。ときどき点が現われる直前に、別の画像が画面上にパッと表示される。ダイエットをしていない人にとって、この画像は点が見えるかどうかに影響しなかった。それとは対照的に、ダイエット中の人に興味深いことが起こった。食べ物の画像を見た直後だと、赤い点が見えにくくなったのだ。たとえばケーキの画像をパッと表示すると、ダイエット中の人がその直後に赤い点を見る確率が下がる。まるでケーキが彼らの目を見えなくしたかのようだ。そうなったのは食べ物の画像だけで、食べ物でない画像に効果はなかった。

センディル・ムッライナタン著 いつも時間がないあなたに より引用

 

 

 

ダイエット中の人はダイエットのことで頭がいっぱいなので、他の認知処理に時間がかかってしまう、という例です。

 

仕事で疲れていて認知資源がない状態で、裏のメッセージ性が高い物語を見る。

理解が難しい本を読む。

リフレッシュしているつもりでも、認知資源が使われるので回復という点では、その行為はNGです。

 

 

体力の回復は動かなければ良いわけでわかりやすいですが、認知資源の回復は分かりにくいものです。

思考しない、というのはなかなか難しいですから。

 

よって、脳みそが付かれている時の情報として、選択肢を持っておく方が、いわゆる「精神力」の回復には有用です。

 

例えば、脳みそ停止して見られるテレビをとりだめておく。

例えば、読書好きの人なら、あまり深く考えさせられない本や漫画を用意しておく。

例えば、単純なゲームをプレイし続ける。私はロックマンXを延々やることがたまにあります。

 

精神的に疲れないためには、それらの必要以上に日常生活で認知資源を使わないための選択肢を持つことがおススメです。

その選択肢の多さが、したいことをするためのに精神力を確保することにつながるのです。

 

★終わり★

 

好きなことを求めるより、嫌いなことへの向き合い方にエネルギー注ぐ方が幸せになれる

こんにちは。

爽一郎です。

 

先日、5歳の娘と近所の公園に行きました。

 

娘は、公園の端っこに咲いている花を摘んで、

 

「おはなー きれーい」

 

と笑って眺めていたのです。

 

かわいいなぁと私は微笑ましく見ていました。

しかし、次の瞬間に娘が急変しました。

 

「うわ、虫!」

 

そう言って、両手で持っていた花を地面に投げうったのです。

それまでの笑顔はなくなり、一挙に真顔。

あまりの変わりっぷりに私も唖然としつつ、無残に地面に落ちた花を見ると、一匹のアリが這っていました。

 

虫が苦手な娘は、大好きなお花であってもぶん投げてしまったのです。

これを見て、まさに人間にとって嫌なものは好きなものを凌駕すると再認識しました。

 

ノーベル賞を受賞した行動経済学者のダニエル・カーネマン氏の著書にはこうあります。

 

嫌悪感にくわしい心理学者のポール・ロジンは、サクランボが山盛りになった器にゴキブリが一匹いただけで台無しだが、ゴキブリがいっぱいのバケツにサクランボが一粒混じっても何の感情も引き起こさない、と指摘する。ロジンの言うとおり、いろいろな意味でマイナスはプラスを圧倒するのであって、損失回避も、そうした一般的なマイナスの優位性の一種と言うことができる

 別の研究者の「悪は善より強し」という論文では、「人間は悪い感情、悪い両親、悪い評価を、よい感情、よい両親、よい評価よりもずっとくわしく検討するものである。そして、よい自己規定を求めるよりも熱心に、悪い自己規定を避けようとする。悪い印象や悪いステレオタイプはよい印象やよいステレオタイプより容易に形成され、しかもなかなか取り消されない」と総括している。この論文では夫婦関係にくわしい心理学者として名高いジョン・ゴットマンの指摘を引用しており、それによれば、人間関係を長期的にうまくやっていくためには、よいことを追い求めるよりも悪いことを避けるほうがはるかに大切だという

(太字は私によるもの)

 

 

人間、プラスのことよりマイナスのことが目につきます。

プラスを得るより、マイナスの回避のほうが、人間の精神衛生にとって重要な要素ということです。

 

これを仕事に当てはめるなら。

好きなことを仕事にするより、嫌いな仕事をしないことにエネルギーを割く方が幸福になれる、ということ。

 

人間関係にあてはめるなら。

好きな人と集まるよりも、嫌いな人を避けることにエネルギーを割く方が幸福になれる、ということ。

 

 

■辛い時は避けるほうにエネルギーかけるほうが良い

嫌いな仕事も嫌いな人も、バンバン避けていこうぜ!ということが言いたいわけではありません。

現実は厳しいので、我々にそうはさせてくれませんからね。

 

嫌な仕事だって時にはしないといけないし、嫌な人と仕事することもあるでしょう。

企業で働いているなら、企業勤めという安定を享受するための対価としては、自分の本意とは異なる組織のための業務を要請されることはあります。

そういうものを片っ端から突っぱねると、ただの迷惑な人間になってしまいます。

 

ただ、第一に何かにエネルギーかけるならば、好きな仕事を追い求めたり、好みの人と仕事することにエネルギーかけるよりは、嫌な仕事や人を避けることにエネルギーかける方が良いよ、ということが言いたいことです。

 

例えば、

・好きな業務:嫌いな業務:どちらでもない業務

の割合が

・20:30:50

だとしましょう。

 

好きな業務の割合20を30に増やすより、嫌いな仕事の割合を30から20に減らすほうが良いよ、と言うことです。

人間関係においても同じで、好きな人を増やすよりも嫌いな人との交際を断つほうが幸せになれます。

SNSで不快な人は即ブロック。

SNSで気の合う人を探すよりも、そのほうが断然楽に幸福度を上げられます。

 

平たく言えば、

『やりたいことをどうやってやるか』

よりも

『やりたくないことにどう対処するか』

に対して脳みそを使う方が健全になれるよ、ということです。

 

 

例えば。

 

営業をするとします。

この商品は価値がない、と自分で思う商品を売るのは苦痛です。

極端に言えば、お年寄りをだまして不要な商品を売りつけるようなものです。

こんな営業は、誰だって嫌なことで、サイコパスしか続けられないものでしょう。

 

では、嫌な商品を売りたくないから、代わりのものを売るとしましょう。

 

その際に自分の好きな商品を売るほうが幸せ?

まぁ、それが実現すれば、幸せかもしれません。

が、難易度非常に高いのです。

好きなものが売れるものかどうかは分かりませんからね。

 

好きなものよりも、世の中に迎合した商品を売るという選択肢(つまりは嫌いなものではないものを売る)の方が、はるかに取りやすい。

嫌なものを避けることは、エネルギーをかける量のわりに、幸福度が上げやすいのです。

 

 

好きなことにエネルギーかけるという選択肢以前に、好きな仕事が何であるかなんて分からない人のほうが多いのだと思います。

同様に、気の合う人がどんな人か、どう探すかなんてわからないでしょう。

そんななかで、好きなものごと求めて五里霧中をさまようよりは、嫌なことを極力避ける、やってもストレスを感じないようにする、という選択肢にエネルギーをかけるほうが良い。

 

それでも余裕があれば、好きなものを求めるぐらいがちょうどよいのだと私は思うのです。

 

★終わり★

アマゾンも実践する、会議に最も必要なもの。

こんにちは。

爽一郎です。

 

私は企業勤め。

企業勤めだから、というわけではないのですが、とにかくいろんな案件で会議が多いのです。

 

この辺、会社によって会議の多さはまちまちかと思います。

 

ただ、どんな会社でもあるんじゃないかな、と思うのが、効率の悪い会議です。

 

これまで働いてきた会社生活で

「何がしたいんだ、この会議は」

なんて思うことは多々あります。

とは言え、私は一度転職しただけなので、合計で2社しか企業というものは経験していません。

 

その2社だけで世界のすべてを観測した気になって語るわけではないのですが、世の中に会議を効率化するような本が多く出回っていることからも、非効率な会議は多くあるのではないかと思います。

 

 

例えば、私が過去経験した会議でこんなものがあります。

 

Aシステムの移行作業が進まないので、どうしたら進むかを考える会議。

会議の進め方に議題などはなく、まず関係者で集まろうというものでした。

 

会議を主催した責任者が現状を一通り確認していきます。

関係者になぜ進まないのかを聞くわけです。

 

「Bさんの担当している部分で、問題と思っていることはありますか?」

 

「えっと、Eさんのチームの担当部分と範囲が曖昧で…。お見合いしたりすることがあるんです」

 

「じゃあ、Eさんとこと話して役割明確にしたほうがいいですよね。

 はい、じゃあCさんのチームで何か問題あります?」

 

と、とりあえず話しているだけの会議です。

嘘みたいですが、誰が何を何のためにする、という具体的なアクションも決めずに会議が終了するのです。

 

問題解決をするための会議のはずなのでしょうが、ただそれぞれの担当に対して、こうしたらいいんじゃないの?と口頭でアドバイスして終わる。

担当者ははい、そうですね、という雰囲気を醸し出して終わる。

そのアドバイスに基づいたアクションは決められないため、誰も何もしない。

 

まさに、何も生まれない会議。

 

得てして「何かをやったつもり」な会議はあります。

もちろん、ただ人が集まるという会議でも、意味があることあります。

建設的な人が集まれば、なんとなくの議題でも話は進むこともあるものです。

 

ですが、普通の人が参加する普通の会議では、会議のアウトプットを上げることよう効率化を図らないと、先ほどの例に挙げた会議のように「謎時間」になってしまいます。

そもそも、会議は仕事を進めるための手段です。

一回の会議で狙ったアウトプットが出せるなら、仕事をうまく進められてハッピーですよね。

 

では、会議を効率化するために、最も寄与することは何でしょう?

 

会議を効率化するための本を開くと、様々なことが書かれています。

・会議の準備

・ファシリテーション

・話しやすい雰囲気づくり

などなど、できることはたくさんあります。

 

その中でも重要なことは?と問われるならば、私は会議の準備だろうと思います。

 

 

ここで、一冊本をご紹介しましょう。

 

『アマゾンのすごい会議』

 

 

元アマゾン社員の著者が、アマゾンで行われていた会議ルールを紹介した本です。

 

アマゾン会議の不思議なルール

 「会議は沈黙から始まる」

 「会議の資料は2種類のみ。1ページか6ページ」

 「パワーポイントは不可、文章で書く」

 「出席者の数の上限は〝ピザ2枚分〟」

 

読みやすい本なので、興味があればぜひ読んでいただきたいですが、上のルールを簡単にご説明します。

 

アマゾンでは、プレゼンテーションツール、いわゆるパワーポイントは禁止です。

ワードで、文章で書かねばならないのです。

ワードの文章を読めば、何をこの会議で達成しようとしているか、何を意思決定しなければならないか、などが分かるようにせよ、ということ。

その文章を会議の冒頭に参加者全員が黙読するので、会議が沈黙から始まるというのです。

あとは、人数が多すぎても良い会議はできないということから、ピザ2枚分のルールがあるようです。

 

会議には、必ず資料を作れ。

そして、その資料はパワポではなく、ワードで意味の分かる文章を書いてこい。

ルールの肝は、ここなのです。

 

これは、言い換えるならちゃんと会議の準備してこいよ、ということです。

 

何を会議の目的とするか?

参加者に必要なインプットは何か?

それをどう参加者に伝えるか?

 

パワポでは、適当に文字を並べてそれっぽいものが作れてしまいます。

が、ワードの文章は考えないと資料は書けません。

 

アマゾンの会議ルールは、会議の準備に焦点を当てた会議ルールなのではないかと私は思うのです。

 

言葉で語れないようなものを持ってくるな。

意思決定に必要な情報をストーリーにして持ってこい。

そして、前提を確認する質問や、前提知識レベルが異なる噛み合わない議論を排除する。

 

何も考えずに会議を開くなよ?そんな会議は無駄だぜ?というアマゾン創業者ジェフ・ベゾス氏のメッセージなのだと思うのです。

 

このルールを全ての企業が真似できるものとは思いませんが、会議の準備を徹底してさせるというルールとしては、一つの答えなのでしょう。

 

 

会議のアウトプットを高めるには、会議の準備をせよ。

言葉にすると至極同然の事なのですが、なかなかできないからこうしつ書籍が出ているのです。

 

だって、準備するのめんどうですからね。

なんか知ってそうな人を集めて話を聞けば、何か仕事が進みそう。

めんどうな準備に時間を費やさなくても、何かしら仕事は進む…。

そう考える人も、いるでしょう。

 

そんな人を制するために、アマゾンのように制度で対策するのは理にかなっているとは思います。

 

とは言え、個人レベルで少しでも会議のアウトプットを上げようと思うなら、最低限の準備をするだけでも結果が違ってきます。

具体的には、目的と議題を考えるだけでも準備になります。

 

過去、会議の準備に関する記事を書きました。

 

bonzinkun.hatenablog.com

 

■準備は会議目的と議題

 ゴールということが大事と以前語りましたが、臨時会議もゴールが必要です。

 すなわち、会議目的。

 これがないと、みんな何をするのかわからない。

 

 そして、議題。アジェンダってやつですね。

 会議の目次のようなやつです。

 

 

会議を効率化することに最も寄与するもの。

それは準備です。

 

会議を開こう!というときは、同時に会議の準備時間も確保するぐらいでちょうど良い

準備は面倒なものですが、結果的には一度の会議で進む仕事の進捗は上がるのです。

 

 ★終わり★

正義のために怒る。気持ちいいけど、それは目的達成の遠回り

こんにちは。

爽一郎です。

 

誰かの行いが許せなくて、正義の怒りを感じることはありますか?

私にはあります。

凶悪犯のニュースを見れば怒りを感じますし、電車で並ばないとか、マナー違反を見てもイライラすることはあります。

 

仕事でも、

「なんであの人はあんなことするんだろう?」とか

「なんであの人はこの仕事をしてくれないんだろう?」とか

思うことはあります。

 

仕事でそんな場面に遭遇した時、どうしていますか?

時と場合による。

そりゃそうでしょう。

 

ただ、数ある選択肢の中ですべきではないと私が思うのは、

怒りに任せて行動すること、です。

 

いかに感情を抑られるか?ということは、心の知能指数、EQ( Emotional Intelligence Quotient)と呼ばれています。

知能指数であるIQの心バージョンですね。

 

 

EQを高く保つことが、幸福度を上げることと研究者は述べます。

感情のままに振舞えば、社会的には生きづらくなる。

これは想像すると分かるかと思います。

 

では、仕事で理不尽な目にあったとき、感情のままに怒らないようにするにはどうすればよいか?

その方法の一つは、目的を意識して対応するということです。

 

何を言っているのか?これからもう少し説明します。

 

 

■正義に燃えた同僚

以前、私の同僚に正義のためによく怒る人がいました。

 

例えば。

 

その人を、Zさんとしましょう。

Zさんはあるプロジェクトを進めていました。

そのプロジェクトのゴール達成には、A部門が管轄しているシステムを、我々の部門も使う必要がありました。

A部門はそのシステムを全社展開していくミッションをもった組織だったため、ZさんはA部門へ相談を持ち掛けました。

 

が、A部門も忙しい。

 

全社展開は優先度の高い部門から入れていくという方針であるため、彼らにとって優先度の高くない我々の部門にはあまり手をかけたくない。

そんな印象でした。

よって、Zさんのプロジェクトを進めるには、A部門のサポート受けられないことを、ある程度受け入れざるを得ない状況でした。

システムの利用者向け説明など、優先度の高い部門にはA部門がサポートして進める仕事も我々の部門が実施する必要性が出てきたのです。

 

その際にZさんは言いました。

 

「あの部署は、自分たちの仕事をちゃんとしていない!そのせいでこっちがしわ寄せを受けている!」

 

確かに、A部門がシステムの全社展開を担っているのであれば、どの部門でも導入が進められるようにマニュアルや説明を定型化しておいて、すぐに使える状態にしてほしいという気持ちは分かります。

Zさんは、それを「A部門がすべきことをしていない」というひずみと考え、是正しようと活動していました。

 

例えば、A部門に対して苦情を出し、時には上司を使ってこちらの希望通りに動いてもらうように意見を言う、等です。

 

ですが、プロジェクトは遅れていきました。

A部門もしぶしぶZさんの言い分を聞いて実施してくれることはあったものの、交渉自体に時間を要している状態でした。

Zさんは、遅れるたびに言います。

 

「彼らのせいで遅れたのだから、それは仕方ないことだ。」

 

私は言いました。

 

「彼らのせいで遅れるのなら、彼らに期待せずに、他の方法で進めたらいいんじゃない?」

 

「それは、良くない。ひずみは正していきたい。あなたと私の考えのギャップだね。」

 

***

 

ひずみを正そうとする姿勢は素晴らしい。私はそう思います。

ですが、「成果を出す」という視点で見ると、回り道をしているように思えます。

 

実現したいことは、システムの利用を開始する、ということなのです。

決して、A部門の振る舞いを正すことではありません。

A部門の振る舞いを正すことを優先して、成果を出せないという状況は、仕事に対して真摯ではないと私は思ったのです。

言い換えると、人のせいにして成果が出ていない言い訳をしているだけです。

 

仕事においては、成果に目を向ける必要があります。

成果を出すためには、正義や怒りというものに身を委ねず、目的達成を論理的に考えることが重要です。

 

考えてみてほしいのです。

もし、自分が独立して働いているコンサル業だったら。

お客様が思うように動いてくれなかったので成果が出せませんでした。

もちろん、本当にお客様がひどい場合はそれが理由になるでしょう。

 

しかし、多くの場合においてお客様を動かせなかった、お客様が動きやするするための策が足りなかった、周りからはそう捉えられるでしょう。

ひずみがあったとしても成果を出す方法を考え、行動できる人が信頼されるのではないでしょうか。

 

自分で成果のために最善のことをする。

それが成果に責任を持つということです。

 

 

■正義の怒りは、魅力的。だが、つらい

人が怒りを覚える対象の大半は、自分がコントロールできないことです。

他人であったり、テレビの向こうの人であったり、政治であったり、他の部門であったり。

 

ですが、人間には物事をコントロールしたいという欲求があります。

それゆえに、正義のためにコントロールできないことすらコントロールしようとします。

さらに、コントロールしている人は非常に魅力的に見えます。

 

我々はヒーローにあこがれます。

彼らは、コントロールできなさそうなものすらコントロールしてしまうからです。

 

おなじみのアニメ、名探偵コナン。

映画、『名探偵コナン 天空の難破船』が過去にテレビで放送されていました。

コナン君は、極限にピンチになった状況でも、「この状況を逆転する方法は…!」と考え、どんな難局も乗り越えるのです。

その時は、飛行船の上で犯人にピストルを突きつけられた状態でしたが、飛行船の軌道を変えて犯人を飛行船から振り落とすということをしていました。

どうやって振り落としたのかは、映画をご覧ください。

 

 

普通の人間には、とっさに飛行船の軌道を変えるなんてことは思いつかないし、思いついてもできません。

コナン君はできないことをやってのけるから、かっこいいんです。

 

アベンジャーズ等のヒーローもしかりですが、世界を守るなんてことは、普通はコントロールできないことです。

ですが、彼らはそれをコントロールする方法を考えるし、実現できてしまう。

だからこそ、その力にみんな惹かれるのです。

 

私はコントロールできないことに焦点を当ててしまうことは、不幸なことだと思っています。

上司や会社は変えられないものです。

他人も変えられないし、他の部門の人も変わりません。

ですが、みんなそのせいで苦労し、「なんであいつは変わらないんだ!」とコントロールできないものへ腹を立てるのです。

ヒーローたちに感じる魅力は、そのコントロールできないことをコントロールできる方法を考えるということと、コントロールするための力量をもっていることです。

 

が、考えてみると、ヒーローたちもいきなりボスを倒せるわけではないのです。

主人公が初回では太刀打ちできない相手も、徐々に強くなることで立ち向かえるようになる。

つまり、悪意を持って何かしようとしている敵、蹂躙してくる敵がいる、という状況を、強くなることでコントロールできるようになるのです。

 

ヒーローのようなことはできません。

ヒーローたちのように、力を磨いて、今はコントロールできないことをコントロールできるようになることはできるかもしれません。

 とは言え、それでも今の力量でコントロールできないことをコントロールしようとすることは、ただの遠回りです。

 

■成果に責任をもつということ

ヒーローのように悪を正したい。

その気持ちは分かります。

ですが、目的を達成するためには?成果を出すためには?

自分がコントロールできるものを見極めて、物事を進めるべきなのです。

 

正義のために怒るならば、それをコントロールできる力を手に入れてからでなければ、徒労です。

自分のリソースで、今できる最善のことを考えることが、成果に責任を持つ。

そして、もっとコントロールできるものを増やすためにスキルアップをする。

 

それが、正義の怒りと向き合うために必要なものなのです。

 

 

★終わり★

人材育成はとっても大変。人材育成にもっとも重要なことは…

こんにちは。

爽一郎です。

 

以前、こんなツイートがバズりました。

 

 

「いいね! 」がめっちゃついて共感が得られるといことは、こんな夫が世の中に多くいるということでしょう。

 

きっとこの夫は仕事ができる人なかもしれません。

仕事で自分はいろいろと効率化してきたから、家事でもそうできるっしょ?と考えたのかも。

 

家事と仕事は共通点はあれど、違うものです。

夫の言葉を受け取った妻は「何も知らずにほざいてくんな」と思ってしまうことでしょう。

 

私も「これは言っちゃいけないよなー」と思います。

 

 

家事と仕事は違う、と言いましたが、もっと言えば同じ家事でも状況が変われば別物になります。

例えば、共働きとシングルマザーの家事に対しての効率化は、きっと異なります。

 

私の家庭は共働きです。

子供が二人おります。

 

食洗器やら乾燥機付き洗濯機、ロボット掃除機などで家事を減らしているとは言え、それでも家事はたくさんあります。

子供の世話だってあります。

そんな家事や育児は分担と言っても、大半は時短勤務の妻がこなしてくれています。

夕食の片付けとか、風呂やらトイレ掃除やら幼稚園の用意やらを私はやっておりますが、家事育児の全体量からすれば2割程度でしょう。

それでも、妻からは「助かる」と言ってもらえます。

 

そんな中でちょくちょく妻と話題になるのが、シングルマザーの大変さです。

 

我々は二人で家事や子育てを分担し、それでも時間が足りないと思えるようなこともある。

 

シングルマザーで仕事もして、子育てもするような人は、一体どうやって生活しているのか?

これは、私にも妻にも想像できないがゆえに話題になります。

 

体力と精神力で乗り切っている人もいるでしょう。

とんでもない家事の効率化を図って生活をしている人もいるでしょう。

 

我々の家庭でも家事の効率化を幾分図っているものの、シングルマザーの家庭ではそれは通用しないのだろうと思います。

正直、想像が難しい。

 

 

■人のことなんて、本気で理解しようとしないと分からない

さて、本題に入ります。

 

家事の話を通じて何が言いたいかと言えば、

自分の知識を人に押し付けてはならない

ということです。

 

冒頭のツイートの話で言えば、

「仕事が一般的には効率化できるんだから、家事も効率化できるっしょ」

という発想が見え隠れします。

 

 

先ほど伝えたように、企業での仕事と家事は違います。

企業なら企業のリソースで人を増やしたりできるかもしれませんが、家庭でその方法は難しいでしょう。

もちろんお手伝いさんを雇うとか、外部委託するようなビジネス的発想はありますが、その方法を取れるような予算がすべての家庭にあるわけではありません。

企業と家庭のリソースは大きく異なります。よって、とれる方法は異なるのです。

 

しかし、企業生活で得た効率化の例を思い出して、夫は家事も効率化できるっしょ?と言ってしまうわけです。

これは自分が効率化してきた経験や知識を他のものに当てはめようとした結果に起きる発言です。

ようするに、自分の知識を他の事象に押し付けて考えているわけです。

 

 

なぜ無理に自分の知識を他のものに当てはめようとしてしまうのか?

2002年にノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマン氏の研究で、それは明らかになっています。

 

それは

『利用可能性ヒューリスティック』

と呼ばれるものです。

 

これは、人はすぐに取り出しやすい記憶を優先的に使って判断してしまうという脳の癖です。

利用可能性ヒューリスティックによって、いろいろと下記のような事実に則さない判断をしてしまうのです。

 

 

・注意を引きつけるような目立つ事象は、記憶から呼び出しやすい。たとえば、ハリウッドのセレブの離婚や政治家の浮気スキャンダルなどはこれに当たる。そこであなたは、映画スターの離婚や政治家の浮気の頻度を多めに見積もりやすくなる。

 ・世間の耳目を集めるような事象は、一時的にそのカテゴリーの利用可能性を増大させる。たとえば飛行機事故は大々的に報道されるので、あなたはしばらくの間飛行機の安全性を過小評価しがちになる。また路上で炎上している自動車を見た直後などは、その事故を鮮明に覚えているので、危険全般に用心深くなる。

 ・個人的に直接経験したこと、写真、生々しい実例などは、他人に起きた出来事、報道、統計などよりも記憶に残りやすく、利用可能性が高まる。たとえばあなた自身の訴訟で不当な判決があったら、そうした事件を新聞で読んだ場合よりも、司法制度に対する信頼は大きく揺らぐだろう。

 

 

  

知らないものに、勝手に自分の使えるものを当てはめる。

そういう状況を利用可能性ヒューリスティックは引き起こします。

 

仕事の効率化ができる夫が、良く知らない家事の効率化を語るのだとすれば、まさにこのヒューリスティックが働いています。

 

 

我々の日々の中で、このヒューリスティックによって自分の知識を押し付けてしまう現象は往々にして起きています。

 

「ちゃんと教えたのに、なんであいつはできないんだ」

 

こんな発言を聞いたことはないでしょうか。

教えたのにできない理由は、状況によって様々です。

やる気がないのかもしれない、教え方がまずかったのかもしれない。

 

ただ、一つ言えることがあります。

自分のやり方を教えたらできるようになる、というのは間違いです。

 

上司のやり方は、部下の状況に則しているのか?

それを見極めずに、一方的にやり方を教る。

結果的に、教えられた側ができなくても不思議ではありません。

だって、やり方があってないのですから。 

 

人材育成では、一方的に教えても何かをできるようになることは稀です。

 

 

■他者の理解は、聞くことから

一方的に知識を伝えるだけでは何も起きないのです。

その人が実践できるようにして初めて効果が出るのです。

 

 

例えば、ダイエットしたい人に、ダイエット本さえ渡せば痩せられるでしょうか?

きっと、多くの人はできません。

ダイエット本で知識を得ても、実践できるようにしなければ効果は上がりません。

 

ライザップが結果にコミットしているのは、ダイエットの知識を与えるだけではなく、実践できるようにしているからです。

 

本は多くの人の手元にわたることが前提書かれ、汎用的なことが載っています。

使える知識もあれば、そのままでは状況にそぐわず使えない知識もあります。

自分なりに使えるようにすることは、簡単ではないのです。

 

 

コンサルティングという仕事は、クライアントに何かをできるようにする仕事と言えます。

その業務に従事するコンサルタントは、知識を伝えるだけが商売ではありません。

知識を伝えるだけでは結果が出ないからです。

 

コンサルタントが成果を出すには、聞く力が重要と言われています。

 

環境によって効率化手法は異ります。

成果を出すための手法は異なります。

 

利用可能性ヒューリスティックをなるべく排して、クライアントに則した知識と実践を伝えるためには、まずは「聞くこと」で相手を理解することが必要なのです。

 

 

人材育成の場でも、まず部下やメンバーを理解する、という企業が増えてきています。

Yahooもアマゾンも、部下との1~2週間に一度の1on1ミーティングを導入して、一方的な知識の伝達ではなく、部下の状況に則した育成を進めているようです。

 

 

 

 

1on1の面談がすべての企業に適しているとは言いません。

適しているといえば、それはまた私が利用可能性ヒューリスティックに囚われていることになります。

 

ただ、相手の状況を聞き、理解し、実践できる方法を伝える(または考えるように促す)ことによってしか、人は何かをできるようになりません。

放っておいても成長するような人は別として。

 

安易に自分の知識を伝えて、それで育ってくれるだろ、というのは傲慢な考えなのです。

 

やる意志のある人から、

話をとにかく聞いて、

必要な知識を得させて、

実践できるようにして初めて成長する。

 

特に管理職は、部下を育てなければ忙殺されて、いつか死にます。

いや、比喩でなく本当に死んじゃいますよ。

 

diamond.jp

 

 

半年以内での悩みの1位は「部下に任せきれない」で54.7%に上っています。新たに管理職になって短期間で成果を出さなければならないプレッシャーがあるなかで、メンバーが育つのを待っていると時間が足りない、それなら自分でやる方が早いとつい考えてしまうようです。

 

自分で何もかもやってたら、過労になりますから…。 

 

人材育成とは、ちょっと伝えたら伸びるなんてことはなく、とてもエネルギーをかけなければならないことなのです。

 

★終わり★

 

トランプに中国。勝つためには何でもする軍勢が怖い

こんにちは。

爽一郎です。

 

アメリカ大統領選挙が終わりつつあります。

とは言え、この記事の執筆時点では、まだ決着はついていません。

バイデン氏が当選確実と報道されつつも、トランプ氏は敗北宣言をせずに法廷闘争に入ろうとしています。

 

率直に言って、私はトランプ氏に勝ってほしくありません。

 

これは、政治的思想からではありません。

勝つためなら何やってもいい、という軍勢が勝ち続けることを恐れているからです。

 

 

■圧倒的勝者と圧倒的弱者を作らないためにルールがある

世の中は弱肉強食です。

お金は無限にあるわけではないので、誰かのもとに集まれば、誰かのもとから去ります。

景気が良くなれば全体的な裕福度はあがるものの、原則的には限られたリソースを奪い合うことが資本主義なのです。

 

だから、勝者や敗者が生まれます。

 

とは言え、競い合う中には不平等にならないためのルールがある程度存在します。

全ての人を救うことはできませんが、圧倒的不平等を減らすため、ルールが定められます。

 

例えば、奨学金制度。

お金がなくて学校にいけない人のために、学費を貸与または給付する。

学生の貧富の差という不平等を少しでも解消する制度です。

 

例えば、不正競争防止違反。

自社の独自の技術や知識を、他の企業に漏洩することを禁止しています。

そうしなければ、圧倒的な資金を持ち、他企業から知識保有者を誘致できる企業はすべての知識や技術を総取りできてしまいます。

 

社会全体のことを考えられて作られたルールは、数多く存在します。

こういうモノが無ければ、中世のように圧倒的な強者が弱者を支配する階層社会になるのでしょう。

 

 

ただ、そういったルールを無視したり、抜け穴を探したりして、勝つためなら何をしても良い、という活動をする人はいます。

とは言え、多くのそんな活動は、ルールに不適合であるため、淘汰されていきます。

 

 

かつてMicrosoftはシェアが大多数を占めていたWindows95にブラウザであるInternet Explorerを標準搭載したことで、NetScape社などからブラウザのシェアを奪ったことから独占禁止法違反で訴訟を起こされました。

当時Windows95を開発した中島聡氏がどういう気持ちでInternet Explorerを標準搭載したかと言えば、インターネットの普及を見据えた先見の明なのだとは思います。

そのあたりは下記の本に記載があります。

 

 

ただ、シェアをとったものに他の自社製品をどんどん乗せていこう、という圧倒的強者の考え方は、Noを突きつけられました。

 

あれから20年経ちますが、今のMicrosoftは、他のIT企業と共にIT業界をけん引しようという考え方となっています。

ブラウザはグーグルのChromeベースになり、Microsoftのクラウド製品は他のIT企業が開発したサービスとの連携が可能になっています。

業界全体で世の中を良くしようとなければ、Microsoftは発展できないという、CEOサティア・ナデラ氏の考えなのかもしれません。

 

 

■ルール無用で勝利する軍勢

ルールを守らなければ淘汰される。

基本はそうなのです。

が、ルールの制約をものともしないさらなる圧倒的強者が現れてきています。

 

 

知人から話を聞いたのですが、中国企業から日本企業への勧誘メールが激増しているようです。

中国は製造業で2025年までに強国となるため、「中国製造2025」という経済政策を掲げています。

 

日本の製造業は最盛期に比べら陰りは見えてきたものの、それでもまだまだ一部の分野では高い技術力があります。

中国企業は大きな知識と技術力がある日本から、それらを得ようとしているのです。

 

積水化学で情報漏洩があったことは記憶に新しいです。

 

www.sankei.com

 

 元社員は当時、技術開発部門に所属し、営業秘密を管理する義務があった。潮社の社員から技術情報の交換という名目で営業秘密を教えるよう求められたとみられ、これまでの調べに、「積水化学が持っていない技術情報を交換で教えるといわれ、いけないこととは分かっていたが、社内での研究者としての地位が高まると思った」などと供述しているという。

 

 潮社の社員は、ビジネスに特化したSNS「LinkedIn(リンクトイン)」を通じて元社員に接触。当初は積水化学の取引先で、中国にある別の電気製品関連会社の関係者を装って連絡を取り始め、中国に招いた後に潮社の社員であることを明かしていた。

(記事から引用)

 

これは先ほど述べた不正競争防止法違反ですね。

今回の事案は氷山の一角であって、少なくとも製造業においては日本中で行われていることなのだと思います。

なお、この元積水化学の社員はファーウェイに転職しているようで、もう中国は情報を得るためならなんでもやってくるわけです。

国をあげて産業スパイをされれば、完全に止めることはとても難しいでしょう。

数年後には中国企業にそれなりの技術や知識が蓄積されていくことになります。

そうして中国は目標達成に近づいていくのです。

 

南沙諸島でも中国は開発を勝手に進めて実行支配を進めています。

国際ルールを無視した行いですが、30年もすれば事実上中国が支配する島、になってしまうのです。

 

 

トランプ氏も政治家と言うよりはビジネスパーソンであり、勝つための手段は選ばない人間です。

そういう人が求められ、4年前に当選したのだと思います。

 

そんな、勝つためには何をしても良いと思っている軍勢が力を増してきているように思えて、私は恐怖しています。

そうなれば、真面目な日本はきっと勝てなくなる。

優しい人ほど敗者になり、狡猾な人間の争いになる。

そんな社会で生きていくのは、きっとつらいだろうなと思うのです。

 

だからこそ、今回はNoを突きつけられて欲しいと願っている。

それが、私がトランプ氏に勝ってほしくない理由なのです。

 

 

■勝つためには何でもしなければならない”そういう世の中”が怖い

あくまで弱肉強食な世の中において、私の考えは甘いのかもしれません。

実際、中国がルール無用で力を増しているのは事実です。

 

テレビ番組のワイドナショーで大統領選挙の話題となった折、三浦瑠璃氏がこう言いました。

news.goo.ne.jp

 『 それでも松本は「僕が言っているのはもっとシンプルな話。半分の人が今の不満を抱えている。逆やったとしてもバンザイじゃないだろうと思ってしまうんですけど」と食い下がったが、三浦氏は「ぬるま湯の日本政治に住んでるからそれが言える。米国みたいに本当に民主と共和が拮抗したら、仁義なき戦いで最後の一票まで取りにいく」とたしなめた。』(記事から引用)

 

ぬるま湯に日本政治の中にいるから、私はこれまで話してきたような考えなのかもしれません。

少なくとも勝つためには何でもしないと生きていけない世界に、私は生きていないのは確かです。

ぬるま湯から出たくないから、トランプ氏や中国の政治を快く思っていないだけなのかもしれません。

 

ただ、そんな社会で行きたいと思うのでしょうか?

本当の強者だけが楽しめる世界です。

普通の人はどうなる…?

大多数の凡人は生きていけるのか…?

 

 

それでも、トランプ氏が法廷闘争で勝利したり、中国がルール無用で強大になっていけば、”そういう世の中”になっていきます。

強者でない人間が”そういう世の中”で生きるために、覚悟を決めなければならないときが来るのかもしれません。

 

★終わり★

仕事が好きじゃない人間は、明日の自分のために仕事をするほうが良い

こんにちは。

爽一郎です。

 

会社である研修が行われました。

その研修はグループワークや個人ワークを行い、どんな行動をとったかを元に、長所や短所をフィードバックされるというもの。

自分の良い点を悪い点を客観的に伝えてもらい、より業務遂行に向けた行動を磨くということが目的です。

 

その研修のフィードバックで、私は”悪い点”として下記のことをフィードバックされました。

 

「爽一郎さんは、”そこそこで良い”という感じて仕事をしています。

 60点を求められたら、65点を取ろうとする。

 80点や90点は目指さない。」

 

それを聞いたとき、正直、正しいフィードバックだと思いました。

私はむやみに全力を出さない事が、仕事で安定して成果を出す秘訣だと考えているからです。

 

そして、好きなことを仕事にしているわけではない、という点も”90点を目指さない”理由の一つとしてあります。

 

仕事が好きで好きでたまらない。

仕事がしたくてたまらない。

四六時中仕事のことを考えていたい。

そんな人は、100点どころか120点を目指して進むのでしょう。

いや、点数なんて考えず、自分のできることの追求をただただしているのかもしれません。

 

一方の私はと言えば、仕事の重圧からは逃れたいし、面倒なことがあればため息交じりに仕事をします。

それでも今の会社で働いているのは、社会との繋がりがないと何者でもないものになるのが怖いので仕事をしているだけなのかもしれません。

何かやってないと、怖し、お金も稼げなくなる。

 

そんなこんなで、仕事はすれど、仕事をそこまでがんばらないのが私の生き方ではあります。

 

研修では私の弱みとして、それがフィードバックされたのです。

 

もちろん、好きでもない仕事をしているからと言って、難しい業務から逃げているわけではありません。

自分の実力を活かして成果をあげられれば、欲求を満たせて嬉しいですし、チャレンジはします。

また、難しいこと成し遂げるには、いろいろと試すことになります。

本で読んだこと、人から聞いたこと。

そういったことを試し、自分なりのノウハウができていくことに充実感を感じます。

ブログのネタにもなりますし。

 

ただ、そんな難しいことを楽しそうにする人々。

それが、好きなことを仕事にしている人なんだろうな、と思います。

 

はたからみれば辛いことでも、楽しそうに行う。

だからこそ、結果的に120点が取れる。

 

それが凡人と非凡な人のアウトプットをわけるもなのだと思うのです。

 

 

■仕事が好きでない人なりの働き方がある

前述の通り、私には好きを仕事にすることはできません。

起業すればそりゃあできるのでしょうが、そのリスクをとれず企業勤めをしています。

 

ホリエモンが言うように、「24時間をわくわくで埋め尽くす」ようなことをができる人はどれだけいるでしょうか。

リスクをとる覚悟と、運と、実力がある一握りの人だけが、そんな”仕事を選ぶ側”の生き方ができるように思います。

 

そうでない凡人は、凡人としての働き方がある。

 

 

それは、がんばらなくても成果がでるようにする、ということです。

 

モチベーションを高く保ったり、楽しく仕事をする。

そんなエネルギーが発生しづらい大多数の凡人にとって、がんばらなくても成果を出せる、という観点は大事です。

 

残業しないように、全力で頑張らなくてもよいように。

本業が好きでもないからこそ、プライベートや副業に当てる時間を安定して捻出できるようにする。

 

もちろん、私のような人間は、嬉々として仕事する人に比べるとイノベーションを起こす確率は低いでしょう。

なんてったって65点しか目指さないのですから。

エネルギーのかけ方が違う。

 

ですが、そもそもイノベーションなんてのは狙って起こせるものではありません。

 

スティーブ・ジョブズは、記者から「あなたはどうやってイノベーションを体系化したのですか?」と聞かれて、「そんなことはしちゃダメだ」と即答していますが、僕もそうだと思います。 経営学の教科書とは逆に、人文科学全般の、あるいは自然科学における過去の大発見の過程は、イノベーションそのものをマネージすることはできない、ということを示唆しています。 イノベーションが起こりやすい組織をマネージによって生み出すことはできますが、イノベーションというのは花のようなもので、それ自体を人為的に生み出すことはできないのです。

 

 

ならば、好きでなくても、凡人なりに仕事へ向き合えばよい。

自分の価値を感じることを続ければ、イノベーションだって偶然起きるかもしれない。

 

モチベーションに左右されずに無理なく継続して成果が出せる。

これが凡人なりの働き方なのだと思うのです。

 

 

■認知資源を節約する

私は、残業が嫌いです。

仕事が大好きで昼夜問わず働きたい、という欲求があるわけでもない私にとっては、残業は辛いものです。

 

残業しないために、徹底して取り組んできました。

タスク管理によって、時間の使い方をコントロールする。

マネジメントによって、自分以外の人に仕事をしてもらう。

そういうスキルは、突き詰めれば残業しないために身に着けたものです。

 

無理なく継続して成果を出すためには、残業をせずに成果を出すことだと考えています。

いや、残業したほうが、仕事に向き合う時間が増えるから成果でるでしよ?

そう思うかもしれません。

 

ただ、それは間違いです。

 

認知資源という言葉があります。

 

過去、私は下記の記事でBP(ブレインポイント)と表現しました。

bonzinkun.hatenablog.com

 

頭を使う、意思決定をする。

そんな活動によって”脳みその体力”=BPであり認知資源は減っていきます。

認知資源が枯渇した状態で考えることを続けようとしても、クオリティは下がります。

体力限界で走り続けることと同じですから、いつか力尽きて精神的な病になってしまいます。

 

仕事が好きな人々は、残業し続けても、プライベートで使う認知資源を全てに仕事に回すことだってできるでしょう。

 

スティーブ・ジョブズ氏やマーク・ザッカーバーグ氏などの世界的リーダーたちが、認知資源の節約のために同じ服ばかり着ているという話は有名ですね。

curazy.com

 

「僕は社会への貢献に関係しない決断はできるだけ下さないようにしている。実はこれは多くの心理学的な理論に基づいていることで、何を食べるか、何を着るかなどのたとえ小さな決断でも、繰り返し行っているとエネルギーを消費してしまうんだ。日々の生活の小さな物事にエネルギーを注いでしまうと、僕は自分の仕事をしていないように感じてしまう。最高のサービスを提供して、10億人以上もの人々を繋げることこそ、僕のすべきことなんだ。ちょっとおかしく聞こえるかもしれないけど、それがぼくの理由だよ」

マーク・ザッカーバーグ

 

 

ただ、私のような人間は、プライベートにも副業にも頭を使いたいのです。そうでなければ、ストレスがたまります。

仕事に全てを捧げているわけではない人にとって、安定した成果を出し続けるためには、残業を減らし、認知資源を使う回数や時間自体を一定内に収めるということが重要なのです。

 

単純な話で、忙しくなると、クオリティが下がります。

残業しない余裕があれば、クオリティを保つことができるのです。

 

 

■明日の自分のために時間を使う

凡人は何かを犠牲にしない限り、認知資源を仕事に割り振れる量も、かけられる時間も限られています。

 

凡人なりの安定した働き方のために、残業を減らすためには何をすべきでしょうか。

 

これは、有名な本である『7つの習慣』に答えがあります。

 

 

日々のタスクを緊急度と重要度の4象限で分け、『緊急ではなく重要なこと』に時間を割くことが最も重要であるとその本では述べています。

この、緊急ではなく重要なこと、こそが明日の自分を助けるための業務なのです。

 

 

例えば、案件の棚卸し。

3ヶ月先、半年先に何が待っているかを確認し、将来の自分が残業しなくて良いようにスケジュール調整や外部委託を行う。

 

例えば、リスク管理。

プロジェクトにおいて、将来起きるかもしれないリスクを洗い出し、対策を検討しておく。

 

例えば、ルール化。

同じような作業が継続して発生しそうならば、自分でやり続けるのではなく、他の人ができるようにルール化しておく。

 

こういった将来の自分を助けるための仕事が、凡人が継続して成果を出す秘訣です。

 

 

■余裕がある時の時間の使い方が最重要

緊急なことばかりが目の前にある時には、”緊急でなく重要なこと”に手を取れないかもしれません。

そこから考えると、緊急なことが少ない、余裕がある時にいかに重要なことをするかにかかっています。

 

時間、お金、精神的余裕。

行動学者のセンディル・ムッライナタン氏はそれらをスラックを呼びました。

 

 

スラックがなくなると欠乏状態となり、いろいろなことを取捨選択しなければならなくなります。

その結果、考えることが多くなって認知資源が使われ、処理能力が下がってしまうのです。

 

負荷をかけられると、少ない心的資源でなんとかやっていかなくてはならない。人は欠乏のせいで莫大な借金を抱えたり、投資しそこねたりするだけではない。生活のほかの面でもハンディキャップを負うことになる。まぬけになる。衝動的になる。使える処理能力が減り、少ない流動性知能と実行制御力で、なんとかやっていかなくてはならない──生きるのはさらに大変になる。

 

 

スラックがある時に、将来自分が苦しまないために何をしておけるか。

 

余裕があるときにどれだけ未来の自分に備えられるか。

 

お金と違って時間は貯めておけません。

ですが、将来のために時間を投資することはできます。

毎日、明日の自分に余裕を作るために時間を投資する。

そうして、余裕がある状態を継続させる。

 

それが、安定した成果をあげ続けるために必要なことなのです。

 

★終わり★

一貫性がない理不尽な上司のもとで働くことは、拷問に等しい

こんにちは。

爽一郎です。

 

私が学校に通っていたころ。

いつもは穏やかなのに、急に怒る先生がいました。

その豹変ぶりは本当に驚きであり、優しい静かな口調から一瞬で

「なんででけへんのじゃゴラァ!」

というミナミの帝王に出てくるそり込みが入った人のような話し方に一変するのです。

 

ただ、豹変ぶりよりも我々生徒が戦々恐々としていたのが、

何がきっかけで怒るのかわからない

ということでした。

 

ある時、一人の生徒が教科書を忘れ、

「なんで忘れとんのじゃゴラァ!」

と叱責を浴びました。

 

ただ、別の日に他の生徒が忘れても

「Aさんに見せてもらってください」

と穏やかに伝えるだけだったりするのです。

 

そんなことが多々ありました。

生徒の選り好み?

いや、そんな感じでもない。

 

当時の私には、めちゃくちゃ気分屋なヤバい先生にしか見えなかったのです。

 

今思い返せば、先生は定期的に、生徒たちに舐められないようにめっちゃ怒るパフォーマンスしてたのだと分かります。

クラス替えの初回の授業で必ず怒るパフォーマンスをしていましたし。

学級崩壊のような授業がある一方で、実際、その先生の授業では生徒たちはみな大人しいものでした。

 

とは言え、そんなことを察知できなかった当時の我々には、何がきっかけで怒るわからないヤバい先生に見えたのです。

その先生の授業は恐怖でした。

先生の意図通りに授業はつつがなく進行していたかもしれません。

ただ、生徒たちは不用意な行動をしないこと、先生の言うとおりにすることが安全と思い、自主的な考えは封殺されていたかもしれません。

 

 

先生の中には考えがあってのパフォーマンスだったのでしょうが、周りから見たらヤバい理不尽な奴だったわけです。

 

そんな人は社会のいたるところにいるのだと思います。

 

 

■理不尽な上司、一貫性のない上司

嫌な上司の特徴は?

 

この問いへの回答は、少しネットで調べるだけでもたくさん出てきます。

 

日本のサイトでも、海外のサイトでも。

tenshoku.mynavi.jp

 

 

https://www.swnsdigital.com/2018/04/more-than-one-third-of-the-british-workforce-is-convinced-they-could-do-a-better-job-than-their-boss/

 

グローバルに話される議題のようですね。

こういったアンケートの上位に挙がって来るものの一つは「自分勝手」、だったり「理不尽」だったり、「気分屋」だったり。

つまり、「一貫性がない」ということです。

上司には上司なりの意思決定理由があるのでしょうが、上司の中だけの独特の思考で判断され、部下から見ると理不尽だったり自分勝手に見える。

以前と言っていることが違う、となり、一貫性がなく見える。

 

ミナミの帝王へ豹変する先生と同じです。

 

結局、あなたの期待を満たすにはどうしたらいいのさ!

 

そんな状態に、部下からするとなってしまいます。

 

 

上司の嫌なところアンケートで上位に上がるぐらいに、そんな一貫性のない人々がいるということでしょう。

その環境で働くことは、思っている以上に脳へ負担を与えています。

もう、拷問に近い。

 

 

■マインドコントロールの準備は疲弊から

一貫性のない人の指示のもと働くことの、何がどう拷問なのか?

 

マインドコントロールという本にその説明があります。

 

 

 

本書によると、マインドコントロールの方法は下記の段階があると言います。

 

第一段階

 脳を徹底的に疲弊させ、考える能力を奪いとる

 

第二段階

 疲弊した状態で、救いとして新しいことを刷り込む

 

 

ソ連で戦争捕虜に対して行われていたマインドコントロールは下記のようなもの。

第一段階として、長い期間孤独な状態で監禁し、壁に向かって立つなどの無意味なルーチンワークをさせる。

安眠を奪うことで睡眠も不規則にし、食事も不十分にする。

詰問や拷問を不規則に行い、精神的にも肉体的にも疲弊させる。

第二段階として、疲弊した捕虜に対して自分の「過ち」を認めさせたり、スパイ的活動をさせることでこの状況から解放されると伝える。

 

考える力を失った捕虜は第二段階の提案を受け入れてしまうと言います。

 

オウム真理教のような団体も、脳を疲弊させるために「修行」させたようです。

 

多くのカルト教団が、入信候補者を缶詰にして、外部と接触を断たせ、入信を迫る場合も、オウム真理教が、信者を外界から隔離されたサティアンに住まわせ、単調な「修行」以外のことが何もできないようにしたことも、情報遮断によって、脳の正常機能を失わせ、その人本来の判断力を奪うという原理が用いられている。

 

 

ようは、マインドコントロールの準備は脳を疲弊させ、自分で考える能力を奪うことなのです。

もっと極端な表現を使えば「人格を壊す」ことです。

 

そんな、人格を壊す方法として代表的な方法が「無意味なことをさせる」です。

 

先のソ連の例では、無意味に壁に立たせるというようなことを捕虜にさせていました。

また、何をしても怒られる、理由もない激しい叱責を捕虜に与えていたとも言います。

何が正解か分からない。

この行動に意味があるのかわからない。

 

これは、人間の脳を疲弊させ、人格を崩壊させるために有効な手段なのです。

 

本書にそれを端的に表して一節があります。

 

無意味なことをやらせることで、達成感や作業の喜びを奪い、いっそうストレスを強めることを意図する。

 さらに、先の見通しを奪い、常に高いレベルの不安と緊張に晒し、希望と絶望の間を行き来させることで精神的に消耗させる。わざと親切にするかと思うと、激しく罵倒し、打ちのめす。それも、大した理由もなく態度を変える。それによって、当人を混乱させるのだ。

 そうした境遇に長期間置かれると、主体的に行動するということは一切見られなくなり、相手の顔色だけをうかがい、それに合わせて行動するということしかしなくなる。その状態は、虐待を受け続けている子どもの状態に酷似していると言えるかもしれない。

 

無意味と思えることを延々とさせられれば、人は弱ります。

さらに、何をしても罵倒されるような状況に起き、何が正解かわからない状況を繰り替えす。

「被害者」は自分で考えても解が得られないので、自分で考えることを放棄する。

そうして、人の言うことを鵜呑みにする。

 

そのうえで考えを上書きすれば、マインドコントロールの完了です。

 

これを読んで思ったことがあります。

理不尽な上司のもとで働くことは、マインドコントロール被害者が受ける苦痛と共通点がある、と。

 

 

■理不尽さの元で、脳は消耗していく

戦時下の拷問では、洗脳のために睡眠時間を奪うことや食事を不規則にするなどの、肉体的な苦痛も合わせた行われていました。

理不尽な上司の元で働いていても、よっぽどのブラック企業でない限りはそのような拷問体験は受けないとは思います。

 

ただ、先ほど述べた「無意味な作業の強制」は良くあることだと、私は思います。

と言うのも、理不尽な上司、一貫性のない上司の元で働くことは、仕事を無意味な作業と感じてしまいかねないためです。

 

 

「パワポ、Aさんが言ってたように直しておいて!」

せっせと直してレビューすると…

「違うよ、Aさんがこう言ってたからって鵜呑みにしないで、ここはこんな表現にしないと!」

なんて言われたりする。

 

なら、初めからそう言ってよ…と思いますよね。

初回のパワポ修正が無意味な作業に思えてしまいます。

 

もちろん、上司からすれば初めから一貫した考えがあったのかもしれないし、修正されたパワポを見た結果として新たな指摘を思いついたのかもしれません。

ただ、それが伝わらなければミナミの帝王先生と同じで理不尽に見えるのです。

 

 

これは、さらに悪い状況になると、マインドコントロールの準備段階同様に「自分で考える」ことをしなくなってしまいます。

上司の考えに一貫性がなく、部下がそれを読めない場合、もう従うしかない!と思ってしまうのです。

 

 

 

仕事の意味を伝えない「とにかく従いなさい」な上司

仕事の期待や成果を評価する基準を明確に伝えない上司

 

こんな人の元で働くのは、拷問と同じなのです。

理不尽や無茶ぶりへ対処できる方法を身に付けなければ、消耗する一方です。

 

以前、そういった状況の対処法として記事を書きました。

 

bonzinkun.hatenablog.com

 

曖昧な指示を受けたときには、

・指示のゴールとタスクの明確化

・指示の明文化

・指示の必要性の提示

を意識して自らゴールを確認し、それを書き出し、指示を出した側に書き出したものをメールなどで送って明確にすればよいのです。

 

 

ただ、そんな対策をとっても拷問から抜け出せない職場にいるならば、自分の考える力を奪われる前に、身の振り方を考えたほうが良いかもしれません。

 

★終わり★