こんにちは。
爽一郎です。
誰かの行いが許せなくて、正義の怒りを感じることはありますか?
私にはあります。
凶悪犯のニュースを見れば怒りを感じますし、電車で並ばないとか、マナー違反を見てもイライラすることはあります。
仕事でも、
「なんであの人はあんなことするんだろう?」とか
「なんであの人はこの仕事をしてくれないんだろう?」とか
思うことはあります。
仕事でそんな場面に遭遇した時、どうしていますか?
時と場合による。
そりゃそうでしょう。
ただ、数ある選択肢の中ですべきではないと私が思うのは、
怒りに任せて行動すること、です。
いかに感情を抑られるか?ということは、心の知能指数、EQ( Emotional Intelligence Quotient)と呼ばれています。
知能指数であるIQの心バージョンですね。
EQを高く保つことが、幸福度を上げることと研究者は述べます。
感情のままに振舞えば、社会的には生きづらくなる。
これは想像すると分かるかと思います。
では、仕事で理不尽な目にあったとき、感情のままに怒らないようにするにはどうすればよいか?
その方法の一つは、目的を意識して対応するということです。
何を言っているのか?これからもう少し説明します。
■正義に燃えた同僚
以前、私の同僚に正義のためによく怒る人がいました。
例えば。
その人を、Zさんとしましょう。
Zさんはあるプロジェクトを進めていました。
そのプロジェクトのゴール達成には、A部門が管轄しているシステムを、我々の部門も使う必要がありました。
A部門はそのシステムを全社展開していくミッションをもった組織だったため、ZさんはA部門へ相談を持ち掛けました。
が、A部門も忙しい。
全社展開は優先度の高い部門から入れていくという方針であるため、彼らにとって優先度の高くない我々の部門にはあまり手をかけたくない。
そんな印象でした。
よって、Zさんのプロジェクトを進めるには、A部門のサポート受けられないことを、ある程度受け入れざるを得ない状況でした。
システムの利用者向け説明など、優先度の高い部門にはA部門がサポートして進める仕事も我々の部門が実施する必要性が出てきたのです。
その際にZさんは言いました。
「あの部署は、自分たちの仕事をちゃんとしていない!そのせいでこっちがしわ寄せを受けている!」
確かに、A部門がシステムの全社展開を担っているのであれば、どの部門でも導入が進められるようにマニュアルや説明を定型化しておいて、すぐに使える状態にしてほしいという気持ちは分かります。
Zさんは、それを「A部門がすべきことをしていない」というひずみと考え、是正しようと活動していました。
例えば、A部門に対して苦情を出し、時には上司を使ってこちらの希望通りに動いてもらうように意見を言う、等です。
ですが、プロジェクトは遅れていきました。
A部門もしぶしぶZさんの言い分を聞いて実施してくれることはあったものの、交渉自体に時間を要している状態でした。
Zさんは、遅れるたびに言います。
「彼らのせいで遅れたのだから、それは仕方ないことだ。」
私は言いました。
「彼らのせいで遅れるのなら、彼らに期待せずに、他の方法で進めたらいいんじゃない?」
「それは、良くない。ひずみは正していきたい。あなたと私の考えのギャップだね。」
***
ひずみを正そうとする姿勢は素晴らしい。私はそう思います。
ですが、「成果を出す」という視点で見ると、回り道をしているように思えます。
実現したいことは、システムの利用を開始する、ということなのです。
決して、A部門の振る舞いを正すことではありません。
A部門の振る舞いを正すことを優先して、成果を出せないという状況は、仕事に対して真摯ではないと私は思ったのです。
言い換えると、人のせいにして成果が出ていない言い訳をしているだけです。
仕事においては、成果に目を向ける必要があります。
成果を出すためには、正義や怒りというものに身を委ねず、目的達成を論理的に考えることが重要です。
考えてみてほしいのです。
もし、自分が独立して働いているコンサル業だったら。
お客様が思うように動いてくれなかったので成果が出せませんでした。
もちろん、本当にお客様がひどい場合はそれが理由になるでしょう。
しかし、多くの場合においてお客様を動かせなかった、お客様が動きやするするための策が足りなかった、周りからはそう捉えられるでしょう。
ひずみがあったとしても成果を出す方法を考え、行動できる人が信頼されるのではないでしょうか。
自分で成果のために最善のことをする。
それが成果に責任を持つということです。
■正義の怒りは、魅力的。だが、つらい
人が怒りを覚える対象の大半は、自分がコントロールできないことです。
他人であったり、テレビの向こうの人であったり、政治であったり、他の部門であったり。
ですが、人間には物事をコントロールしたいという欲求があります。
それゆえに、正義のためにコントロールできないことすらコントロールしようとします。
さらに、コントロールしている人は非常に魅力的に見えます。
我々はヒーローにあこがれます。
彼らは、コントロールできなさそうなものすらコントロールしてしまうからです。
おなじみのアニメ、名探偵コナン。
映画、『名探偵コナン 天空の難破船』が過去にテレビで放送されていました。
コナン君は、極限にピンチになった状況でも、「この状況を逆転する方法は…!」と考え、どんな難局も乗り越えるのです。
その時は、飛行船の上で犯人にピストルを突きつけられた状態でしたが、飛行船の軌道を変えて犯人を飛行船から振り落とすということをしていました。
どうやって振り落としたのかは、映画をご覧ください。
普通の人間には、とっさに飛行船の軌道を変えるなんてことは思いつかないし、思いついてもできません。
コナン君はできないことをやってのけるから、かっこいいんです。
アベンジャーズ等のヒーローもしかりですが、世界を守るなんてことは、普通はコントロールできないことです。
ですが、彼らはそれをコントロールする方法を考えるし、実現できてしまう。
だからこそ、その力にみんな惹かれるのです。
私はコントロールできないことに焦点を当ててしまうことは、不幸なことだと思っています。
上司や会社は変えられないものです。
他人も変えられないし、他の部門の人も変わりません。
ですが、みんなそのせいで苦労し、「なんであいつは変わらないんだ!」とコントロールできないものへ腹を立てるのです。
ヒーローたちに感じる魅力は、そのコントロールできないことをコントロールできる方法を考えるということと、コントロールするための力量をもっていることです。
が、考えてみると、ヒーローたちもいきなりボスを倒せるわけではないのです。
主人公が初回では太刀打ちできない相手も、徐々に強くなることで立ち向かえるようになる。
つまり、悪意を持って何かしようとしている敵、蹂躙してくる敵がいる、という状況を、強くなることでコントロールできるようになるのです。
ヒーローのようなことはできません。
ヒーローたちのように、力を磨いて、今はコントロールできないことをコントロールできるようになることはできるかもしれません。
とは言え、それでも今の力量でコントロールできないことをコントロールしようとすることは、ただの遠回りです。
■成果に責任をもつということ
ヒーローのように悪を正したい。
その気持ちは分かります。
ですが、目的を達成するためには?成果を出すためには?
自分がコントロールできるものを見極めて、物事を進めるべきなのです。
正義のために怒るならば、それをコントロールできる力を手に入れてからでなければ、徒労です。
自分のリソースで、今できる最善のことを考えることが、成果に責任を持つ。
そして、もっとコントロールできるものを増やすためにスキルアップをする。
それが、正義の怒りと向き合うために必要なものなのです。
★終わり★