凡人が成果を出すための習慣

残業ゼロで成果を出すには、どうしましょうか?

無茶ぶりやブラック企業勤務などの辛い経験は、成長に良いものなのか?

こんにちは。

爽一郎です。

 

ブラック企業は駆逐されるべき。

そう思います。

 

ただ、知り合いと話していると間接的にそれを否定する言葉が出ることがあります。

 

その知り合いを、仮にTとしましょう。

Tは数年前まで過酷な労働環境で働いていました。

残業は過労死ラインを越え、かつその半分以上がサービス残業。

休日も家で仕事をしていたとか。

いわゆるブラック企業。

今では転職したTですが、当時のことを辛かったと言う反面、こんな発言もありました。

 

T「ブラック企業だったけど、あの経験は貴重なものだったとも思えるわ」

 

私「え?辛かったのに?」

 

T「うん。めっちゃ忙しかったから、徹底的に効率化を考えるとか、手の抜きどころを考えるとか、そんなスキルは付いた」

 

 

 

苦労は買ってでもしろ。

そんな言葉がありますね。

 

辛い経験が成長に役立つ。

だから、辛い経験を受け入れよ。といういうことでしょう。

それは、私も同意です。

 

ペンシルベニア大学心理学部教授のアンジェラ・ダックワース氏は著書『GRIT やりぬく力』でこう述べています。

 

私たちは年齢を重ねるにつれ、新しい環境に放り込まれる。たとえば初めての就職や結婚も、大きな環境の変化をともなう。いつのまにか親たちが年老いて、自分が親の世話をする立場になることもある。このように状況が変われば、それに応じて生活のしかたを変えなければならない。そして、地球上でもっとも適応能力に長けた人類は、変化する。困難に立ち向かうのだ。 言い換えれば、私たちは必要に迫られれば変化する。必要は「適応の母」なのだ。

 

 

難しいこと、チャレンジ。それらは成長に役立つ。

むしろ、環境の変化や苦難への適応こそが成長を促すものとさえ思っています。

 

 

しかし…

それが全て是だとすれば、過労死ラインも是だし、成長のためという大義名分で丸投げ無茶振りする上司も是になってしまいます。

 

この矛盾をどう考えたら良いのか…。

これは積年、私にとって答えが出ないものです。

 

■苦難を与える側が気をつけたら…

私の仕事に対するモットーは、

「安定して成果を出す」

です。

 

そのため、過剰な無理はしなせん。
無理は続かないので。

残業も可能な限りしない方法を考えながら生きています。

それでも高い成果を出す。

そればっかり考えて仕事しています。

 

そんな生き方を会社に見透かされたようでして、

成長を促すため、という名目で私は上司から大量の仕事を振られたことがあります。

 

その時、理不尽さを感じながらも一心不乱にその大量の仕事に打ち込みました。

辛かったですが、仕事の効率化などなど確かに得るものはありました。

が、ずっとは続けられないな、とも思いました。

 

実際、その育成方法でつぶれた同僚もいます。

 

苦難を与える、という育成方法は、万人に有効なものではないのでしょう。

 

与えられる苦難とは良いものなのか、悪いものなのか。
悩ましい問いです。

一つ、この問いの答えとなったものがあります。

インテルの元CEO、アンドリュー・S・グローブ氏のベストセラー『High Output』にてその記述があります。

 

「マネジャーは部下を手とり足とり指導すべきか、それともやり方は任せて結果だけを見るべきか」

という問いに対して、アンドリュー氏はこう答えました。

 

アンディの答えは「場合による」だ。正確には「対象となる部下の資質による」。もし部下がその業務に経験が浅く、未熟であるなら、いちいち細かいところまで指示し、教育することは必須だ。しかし逆に部下が経験を積み、成熟しているなら権限を移譲することが理にかなっている。アンディは次のように明快に説明する。 その部下は仕事がうまくできなかった。それに対する同僚の考え方はこうだった。「彼は自ら間違いを経験しなければならない。そうして次第次第に覚えてゆくものなのだ」と。この場合の問題は、部下の授業料を顧客に払わせていることにある。これは絶対に正しくない。

 

 

すなわち、苦難を乗り越えられるよう、適切な仕事の与え方をせよ、ということです。

同じ「大量の仕事を振る」という行為でも、部下に合わせて難易度調整するわけです。

できそうな人間には、ノーヒントで実践させる。

苦しそうな人間には、大量の仕事を捌くための具体的な方法を伝える。

もっと難しそうなら、サポートする人をつけて、使わせてみる。

 

人のレベルも考えずに無茶ぶりで仕事を振ることは、ブラック企業同様の行為です。

苦難を乗り越えられない人々の屍を積み重ねていくことになります。

 

簡単に言えば、チャレンジはさせるべきだが、人のレベル見てフォローしようぜ、ということ。

 

ただし、これは仕事を振る側の視点であって、与えられる側の視点ではありません。

 

冒頭の元ブラック企業勤務者のTのように、与えられる側はどう考えればよいのでしょう。

 

 

■苦難で得られるものを見極めよ

冒頭のTのように、辛かったけど良い経験だったわ、というのはあくまでも結果です。

たまたま生き残れた人間のセリフなのだと思います。

 

やはり、私はむやみに苦難へ飛び込むことを是としたくないのです。

しかし、苦難から逃げ続ければ成長も達成感も充実もありません。

 

と言うわけで、一つの考え方として、

自分で乗り越えようと思った苦難にチャレンジすべき

なのだと思い至りました。

 

この苦労は価値がある、と自分で思えるか。

 

もっと言えば

この苦難は自分に何をもたらすのか?

という問いに対して、意味ある答えを出すということです。

 

なんとなく激務を与えられて辛い人生送るのと、
極限まで業務の効率化をしてやる!とか精神的にタフになる!という目的のために激務をこなすのでは、
きっと得られるものが違います。

 

何か今の苦難から、チャレンジから、得られるものはあるのか?

そう自問し、得られるものが得たいのであれば、苦労は買ってでもしたほうが良いのです。

 

得られるものがない、ただの苦行なら…

もちろん結果的に得られるものはあるかもしれませんが、むやみに飛び込むことは、命を削ることになるかもしれません。

 

と言うことで、今日言いたいことは下記です。

・無理を強いるなら、その価値や意味、そして人に応じたフォローをせよ

・自分が挑むなら、その無理は意味あるものか考えよ

 

 

★終わり★