凡人が成果を出すための習慣

残業ゼロで成果を出すには、どうしましょうか?

便利の世の中が幸せな世の中とは限らない

こんにちは。

爽一郎です。

 

技術の発展は目覚ましく、大体のことはスマホでできるようになりました。

AIができることもどんどん増えています

 

単純な作業やパターン化された仕事、多くの情報から適切なものを選ぶ。

そんな物事はAIが得意とすることです。

 

AIがそういった仕事を人間の代わりに行うことで、人はより生産性の高い仕事ができる。

ただ、AIに仕事を奪われるという考えもあります。

これは数年前から言われていることです。

 

ベストセラーとなった、『AI vs 教科書が読めない子どもたち』でも語られています。

 

私の未来予想図はこうです。

 企業は人手不足で頭を抱えているのに、社会には失業者が溢れているーーー。

 せっかく、新しい産業が興っても、その担い手となる、AIにはできない仕事ができる人材が不足するため、新しい産業は経済成長のエンジンとはならない。一方、AIで仕事を失った人は、誰にでもできる低賃金の仕事に再就職するか、失業するかの二者択一を迫られるーーー。

 

教科書に書かれた文章を適切に理解できない子どもがいる一方、AIはMARCH大学の合格圏内の学力を有している。

そんな警鐘を鳴らし、この本はベストセラーとなりました。

 

実際、AIが”生産性の高くない仕事”を全て行ったとすれば、失業者は増えると私は思っています。

 

ただ、AIの勢いはそれにとどまりません。

”生産性が低くない”と思われている、人間の得意分野とされてきた創造的な領域にもAIは手を伸ばし始めています。

 

手塚治虫AIが『ぱいどん』という漫画を描いたり、レンブラントAIがレンブラント亡き後の新作を描いたり。

 

これをさらなる脅威と考える人は多いようです。

”生産性の高くない仕事”が奪われることが脅威なのであれば、これまで人間の専売特許と思われた”創造性の高い仕事”や”生産性の高い仕事”がAIにこなせるとなれば、さらなる脅威と考えるのは自然なのかもしれません。

 

このAIが仕事を奪うという話は、全ての人が一度は頭をよぎったことのあるような話題かと思います。

私も何度も頭をよぎっています。

 

そして思うことは、AIが生産的な業務をすることは、貴重な人的スキルを埋めるという点でむしろ都合が良いということです。

ただ、AIを使う側の人間が意識を変える必要があります。

生活を便利にするためにAIを使うのではなく、人を幸せにするためにAIを使う、ということが前提になります。

 

そうでなければ、不幸な未来となります。

 

■AIによる利益追求は不幸な社会を生む

創造的な仕事がどうしても苦手な人がいます。

私も仕事上、そんな人には何度も出会っています。

 

自分で考えることが、どうしてもできない。

考える業務を与えられると、停止する。

どう考えればよいかわからない。

 

そりゃ、思考法・考え方というものも勉強すれば身に付きます。

ロジカルシンキングしかり、知識を得て点と点をつなげることしかり。

 

ただ、どうしても身に付けられない人がいるのです。

 

 

全ての人が企画をしたり、自分で方針を立てたり、重大な意思決定をするような、創造的な仕事に対して適応できるわけではないと、私は思っています。

 

そういった人々はいわゆるAI文脈的な”生産的ではない仕事”をすることになります。

 

AIがそれらの仕事を代替するのだとすれば、『AI vs 教科書が読めない子どもたち』にある通り、彼らは職を失うことになるでしょう。

彼らを切ることにより、仕事に対するコストが下がり、企業からすればAIは便利なツールとなります。

 

AIを提供する者、AIを活用する経営者。

それらは利益を享受することでしょう。

そして、切り捨てられた人々は不幸になります。

 

これを、資本主義の原則だとか、自分のスキルを磨かないがゆえの罰だとか、自己責任だと主張するのは簡単です。

 

 

しかし、私はこういった創造的な業務に適応できない人々が、決して少なくないと思っているのです。

かなりの人数、もし人類の半数近くがそんな人だとしたら…?

 

AIによって不幸になったと感じる人々は何をするでしょうか。

きっと平和と秩序の維持は難しくなるのだろうと思います。

 

 

AIが生活を便利にしたとしても、人を幸せにするとは限らないのです。

 

■AIに手加減させる

創造的な仕事ができる人間を、企業は求めています。

指示通りの仕事をするの”生産的でない仕事”は替えが効きますが、何かを考えて生み出す仕事ができる人材は重宝されます。

 

その領域で活躍する人々は需要が高く、供給が追い付きません。

私の周りでも、そんな人材が足りておらず、欲する現場はいくつもあります。

 

だからこそ、AIがその領域の仕事ができるようになることは、願ったり叶ったりなのです。

 

しかし、AIにすべての仕事をさせるべきではない。

それは、前述の通り、不幸な人々を生みます。

 

”生産性の低い仕事”も”創造的な仕事”も、AIがすべてをこなすことができる未来になったとしても、人の尊厳を守るため、人に仕事を残す必要があるのです。

 

AIで人の生活を便利にします。

ただし、その力を使って全ての人が利益を追い求めると不幸な社会になる、という感覚的には理解しがたい世の中になります。

 

現実的には、企業に利益を追い求めさせないことはできないため、人の一定の雇用を維持するような法整備が必要になるのかもしれません。

そういう点では、AIは資本主義を揺るがす技術なのです。

 

私には、資本主義の原則に任せてAIで人間の仕事を奪いすぎないようにすることこそが、AIとの共存の道だと思うのです。

 

そんな思いで以前書いた短い小説があります。

bonzinkun.hatenablog.com

お暇があれば、こちらも是非お読みいただければと思います。

 

 

★終わり★