こんにちは。
爽一郎です。
各企業で、新人が配属されるシーズンですね。
彼らは、去年の採用試験を勝ち抜いてきた人々です。
そんな採用活動ですが、今、企業はどんな人を求めているのでしょう。
コミュニケーション能力が一位。
そして、主体性が二位。
そんなことを、以前記事にしました。
コミュニケーション能力と同レベルで、企業が求めるものがあります。
それが主体性です。
経団連の調査結果で、産業界が学生に求める資質として、主体性がトップに挙がっています。
http://www.keidanren.or.jp/policy/2018/029_kekka.pdf
コミュニケーション能力と同じぐらいに定義が曖昧な特性ですが、まぁ、なんとなく分かりますよね。
いわゆる指示待ち人間じゃなく、自分で考えて行動する。
物事を他人事と思わずに、自分事と捉える。
そうして、自律的に、もっと言えば「放っておいても」利益をもたらすような人間。
そんな人を企業は求めているのです。
さらに、昨今はコロナによって在宅勤務が進み、サポートが難しくなった点より、ますます自律性や主体性といったものが求められています。
この主体性はどうつければよいのか?
自分で考える、ということをどうすれば意識的にできるのか?
多くの場合、主体的ではない人に主体的に考えさせようとすることは、徒労に終わります。
ぶら下がり社員、働かない社員。
そんな人々は主体的にはなりません。
基本的には、外的な要因ではなく、内的な要因でしか主体的にはなれないものです。
いわゆるモチベーションと言うやつです。
そういう点で、経団連もリンク中で「資質」という言い方をしたのかもしれません。
そんな、内的な要因として何を考えれば主体的になれるものだろうか。
一つのの答えとして私が思うことがあります。
それは、
・この世には答えがないと受け入れる
・よって、答えを誰も与えてくれない
と考えること、です
■世界は複雑
私はゲームが好きでして。
最近は『ホロウナイト』というNintendo Switchのゲームにハマっていました。
1500円という安いゲームなのですが、これが超面白い。
いわゆるマリオやロックマンのような2D横スクロールのアクションゲームです。
これがうまくできたゲームで、自分が少しずつアクションがうまくなっていく、という感覚が得られるゲームなのです。
ライフも少しずつ増えて強くなる。
途中でダッシュができるようになったり、二段ジャンプができるようになったり。
そうすることで敵の攻撃も避けたり耐えられるようになり、より強い敵にも挑戦できる。
なんだか、安心して遊べるゲームでした。
いや、この感覚はホロウナイトのみでなく、ゲーム全般に言えることかもしれません。
というのも、プレイしていて「今自分がやっているこの行動は、確実にゴールへ向かう行動だ」と思えるからです。
前に進めば、新たな能力が得られたり、物語が進む。
進めばゴール、いわゆるエンディングに近づく。
ある意味、前に進みさえすれば正解なのです。
答えが明確。
多少ゲームによって紆余曲折があるにせよ、ゲームとはプレイしてレベルを上げたり、クエストをこなして前に進めること自体が答えなのです。
まぁ、『Skyrim』のようなオープンワールド過ぎて何が答えか分からないゲームもあるのですが、そういったゲームはリアリティが高いと言われたりします。
リアリティが高いということは、現実世界に近いということ。
現実世界は答えがないということなのでしょう。
私はゲームをしていると、答えがある世界に浸ることができ、安心するのです。
私見ですが、学生は基本的に答えが用意された世界で生きていると思います。
勉強の方法は学校が教えてくれるし、問題に答えはあるし、試験を受けるとなったら必要な手続きが決まっている。
人間関係など、私生活では答えがないものがあるかと思いますが、生活の大部分が答えがある物事に囲まれています。
社会人になっても、始めは答えらしきものを先輩から与えられます。
経験やスキルがない間は模倣が最も手っ取り早い成長方法なので、周りは経験やノウハウを「答えらしきもの」として新人に教えます。
次第に「新人」でなくなるにつれ、答えらしきものが与えられなくなります。
その時、答えらしきものを自分で探すようになると主体性があるとみなされます。
そんな人は成果が出せる人間になりがち。
逆に、答えを求め続けると、深く自分で思考することを避け、指示待ちに陥る。
答えを自分で探すようになるか。
これが、主体性を持つための要素だと私は思っています。
ただ、世界はゲームのように単純ではなく、とんでもなく複雑です。
先ほどのゲームの話のように、答えが明確なことをするのは安心します。
間違っていないのですから。
ゲームに熱中してやり続けてしまうのは、何をしてもゲーム中では前に進むために必要なことと思えるからなのでは?と感じています。
そうでない現実世界において、答えを自分で探すというのはとてもしんどいことです。
脳みそパワーを使うので、正直みんな「難しいことを考える」のは避けたいことなのです。
■複雑なものは嫌なので、わかりやすい答えを欲する
有識者たちは、言います。
世界は複雑であり、分かりやすいものはほとんどないと。
分かりやすい説明が世の中に溢れているのは、いろいろなものを切り捨てて分かりやすくしようとした結果なのだと。
『複雑に絡み合った話題を、いかに要約して伝えるか。何度だって繰り返すが、あらゆる思案とは、複雑に絡み合っている状態だからこそ生まれたものだと思う。だが、このところの風潮といえば、その思案がどのように発生したかなんてどうだっていいようで、とにかく目の前の事象を即座に理解してもらうことが急がれる。そのために、複雑な事象がシンプルに加工される。』
~わかりやすさの罪~
『さらに、研究者などの売名行為や市民団体の思惑、国際間の政治的駆け引きなどが科学情報を歪めます。専門知識がなく裏側に隠された事情を読み解くことができないまま、マスメディアはだれかの思惑に乗せられて複雑な話を切り捨て、分かりやすい報道をします。』
~メディア・バイアス~
基本的に物事は複雑なのに、人々は分かりやすい答え、確実な答えを求めるのです。
特に知識労働の世界では、複雑なことばかりです。
ステークホルダー間の利害。
複雑に絡み合う、想定外の各システムの動き。
単純な意思決定より、状況をよく理解して難しい判断を下す意思決定のほうが多いことでしょう。
答えがなく、悩み、すっきりせずに暗中模索する。
それが辛いという人を、私は沢山見てきました。
みな、答えを知りたい。
ゲームのように自信の取れる行動がしたい。
私自身もそうです。
だから、人から答えを得られる状況をありがたく感じるのです。
しかし、主体性はその心地よさから抜け出た者が得られる特性です。
主体性を身に付けるために必要な思考は
・この世には答えがないと受け入れる
・よって、答えを誰も与えてくれない
ということ。
そう思えば、自分で答えを探さざるをえなくなる。
主体性は、自分自身で答えを探そうとする思考なのです。
★終わり★