こんにちは。
爽一郎です。
去年のことですが、仕事でめっちゃ頭使って疲れた日の夜に『進撃の巨人』のアニメをNetflixで見てめっちゃ後悔したことがあります。
気分転換のはずが、余計に疲れた。
進撃の巨人、話はめちゃくちゃ面白いのですが、多くの少年漫画や半沢直樹のようにスカッとする展開はなく、ストレスフルでシリアスな展開が続きます。
疲れた…。
というわけで、今日は、精神的に疲れない方法の一つとして、こんな方法あるんじゃない?と思うことを書きます。
簡単に言えば、気持ちの状態によって得る情報を変える、ということです。
しんどい時は難しい本読むのやめようよ、とか、逆に元気溌剌なら勉強の本とか、難しめの小説とか読もうと、なんて当たり前のことです。
本だけでなく、テレビやネット動画視聴なんかも同じ。
ただ、なんとなく生活しているとそんな当たり前のこともおざなりになり、受動的に情報を得がちで、精神力の回復に時間かかっちゃうよ、という話です。
■エンターテインメント見てても脳みそ使っちゃうときがある
私は、ガンダムが好きです。
今の最新のガンダムは良く知らないのですが、小学校のころからガンダムが好きで、その時代のガンダムがいまだに好きです。
最近、私の好きなガンダムであるウイングガンダムゼロのプラモデルが出たので、買って作っていました。
めちゃくちゃにパーツが多くて、10時間以上かかって完成。
で、久々に新機動戦記ウイングガンダムってどんな話だっけ?なんて思いました。
さすがに25年前のアニメなので、部分的な映像しか記憶にはありません。
小学生当時はアニメを見ていたのですが、なんか漫画になっていたのでkindleで思わず大人買いして読んでおります。
子供のころと大人になってから。
同じ話を見ていますが、感じ方が違う。
昔アニメで見た子供の頃には思わなかったのですが、大人になった私は作者の意図を考えようとしていることに気が付きました。
感じ方は年齢で変わるものですね。
…なんて思ったのですが、ちょっと違うか、とも感じました。
これは年齢が異なるからではなく、ただただ楽しもう!と思って何も考えずに見るか、それ以上の目的を持って見るかの違いであるのではないかと。
ようするに、物語を見る時の意識の違いではないかと。
他の例で説明します。
アニメの話が続きますが、私は子供とプリキュアを見ることがあります。
女の子が変身して悪者と戦うアニメですね。
毎週放送されているわけですが、話はだいたいワンパターンで、30分の間に敵が出てきてプリキュアがそれを倒すというもの。
ただ、見ているとクリエイターたる大人たちのメッセージが見えるのです。
例えば、友達との友情を大切にしよう、とか。
差別はダメ、とか。
ひとそれぞれで、なりたい自分になろう、とか。
あと、プリキュアの関連玩具を売ろうとしているな、とか。
きっと5歳の我が子は、そういったメッセージには気が付いてないでしょう。
ただただプリキュアかわいい!という反応ですから。
でも、私はそれを見て取ってしまう。
おそらく、プリキュアがワンパターンでそんなに面白いものと思っていないので、表面上以上のメッセージを読み取ろうとしてしまうのだろうと思います。
さきほどのガンダムの話でも、忘れているとは言え一度見た話なので、二度目に目を通す際には新たな何かを得ようと作者の意図を読み取ろうとしているのかもしれません。
大学の頃、映画を見た際、その映画を見たことがない母にあらすじを口頭で伝えたことがあります。
その折に、こんな言葉が返ってきました。
「で、その映画は何が伝えたかったの?」
当時の私は、読書感想文じゃないんだから、そんなこといちいち考えてないわいな、と思っていました。
面白いんだからそれでいいじゃん、と。
その考えは今でも持っていますが、ふと、今は作者の意図を考えるようになったなぁ、とも感じます。
逆に言えば、ただただ、頭を使わずに物語を楽しむ!ということが、意識しないとできなくなったとも感じるのです。
■脳みそに負担かけない選択肢を
自分でも小説書いてて思いますが、多くの物語は、何かの比喩です。
何かを伝えるために、物語と言う形をとって主張しているのです。
そういうものに触れ続けると、物語を見ときに何かを得ようとして、頭を使うのです。
しかし、何も考えずにみられる物語も、この世にあります。
私も常にそんな面倒なことを考えてエンターテインメントに接しているわけではありません。
何も考えずに物語を楽しむ、ということは良くあります。
『有吉の壁』とか『おそ松さん』なんかは脳みそ停止で、ただただ楽しむだけです。
中身がない。それが良い。
しかし、そういう「何も考えなくても良い情報」とは、この世に思ったより少ないものです。
意識しないと、プリキュアのようにいくらでもなんでも考えられてしまう。
よって、自分が考えなくて良い情報の選別、ができないと、脳みそに負荷を知らぬ間にかけてしまっているのだと思うのです。
仕事終わってから見るテレビや本なんて、頭は切り替わっているから疲れはしないでしょ?なんて思うかもしれませんが、そんなことはないです。
人間、仕事もプライベートも関係なく、脳みそを使って物事の判断をしています。
脳みそ使うと考える力『認知資源』は下がっていき、資源がない状態で思考するとクオリティが下がるのです。
科学的に検証されたものはあまりないですが、実験としては多く行われ、裏付けがなされています。
『ある初期の研究では、この考えを検証するために被験者に簡単な課題を与えた。画面上に赤い点が見えたらボタンを押す。ときどき点が現われる直前に、別の画像が画面上にパッと表示される。ダイエットをしていない人にとって、この画像は点が見えるかどうかに影響しなかった。それとは対照的に、ダイエット中の人に興味深いことが起こった。食べ物の画像を見た直後だと、赤い点が見えにくくなったのだ。たとえばケーキの画像をパッと表示すると、ダイエット中の人がその直後に赤い点を見る確率が下がる。まるでケーキが彼らの目を見えなくしたかのようだ。そうなったのは食べ物の画像だけで、食べ物でない画像に効果はなかった。』
センディル・ムッライナタン著 いつも時間がないあなたに より引用
ダイエット中の人はダイエットのことで頭がいっぱいなので、他の認知処理に時間がかかってしまう、という例です。
仕事で疲れていて認知資源がない状態で、裏のメッセージ性が高い物語を見る。
理解が難しい本を読む。
リフレッシュしているつもりでも、認知資源が使われるので回復という点では、その行為はNGです。
体力の回復は動かなければ良いわけでわかりやすいですが、認知資源の回復は分かりにくいものです。
思考しない、というのはなかなか難しいですから。
よって、脳みそが付かれている時の情報として、選択肢を持っておく方が、いわゆる「精神力」の回復には有用です。
例えば、脳みそ停止して見られるテレビをとりだめておく。
例えば、読書好きの人なら、あまり深く考えさせられない本や漫画を用意しておく。
例えば、単純なゲームをプレイし続ける。私はロックマンXを延々やることがたまにあります。
精神的に疲れないためには、それらの必要以上に日常生活で認知資源を使わないための選択肢を持つことがおススメです。
その選択肢の多さが、したいことをするためのに精神力を確保することにつながるのです。
★終わり★