凡人が成果を出すための習慣

残業ゼロで成果を出すには、どうしましょうか?

便利の世の中が幸せな世の中とは限らない

こんにちは。

爽一郎です。

 

技術の発展は目覚ましく、大体のことはスマホでできるようになりました。

AIができることもどんどん増えています

 

単純な作業やパターン化された仕事、多くの情報から適切なものを選ぶ。

そんな物事はAIが得意とすることです。

 

AIがそういった仕事を人間の代わりに行うことで、人はより生産性の高い仕事ができる。

ただ、AIに仕事を奪われるという考えもあります。

これは数年前から言われていることです。

 

ベストセラーとなった、『AI vs 教科書が読めない子どもたち』でも語られています。

 

私の未来予想図はこうです。

 企業は人手不足で頭を抱えているのに、社会には失業者が溢れているーーー。

 せっかく、新しい産業が興っても、その担い手となる、AIにはできない仕事ができる人材が不足するため、新しい産業は経済成長のエンジンとはならない。一方、AIで仕事を失った人は、誰にでもできる低賃金の仕事に再就職するか、失業するかの二者択一を迫られるーーー。

 

教科書に書かれた文章を適切に理解できない子どもがいる一方、AIはMARCH大学の合格圏内の学力を有している。

そんな警鐘を鳴らし、この本はベストセラーとなりました。

 

実際、AIが”生産性の高くない仕事”を全て行ったとすれば、失業者は増えると私は思っています。

 

ただ、AIの勢いはそれにとどまりません。

”生産性が低くない”と思われている、人間の得意分野とされてきた創造的な領域にもAIは手を伸ばし始めています。

 

手塚治虫AIが『ぱいどん』という漫画を描いたり、レンブラントAIがレンブラント亡き後の新作を描いたり。

 

これをさらなる脅威と考える人は多いようです。

”生産性の高くない仕事”が奪われることが脅威なのであれば、これまで人間の専売特許と思われた”創造性の高い仕事”や”生産性の高い仕事”がAIにこなせるとなれば、さらなる脅威と考えるのは自然なのかもしれません。

 

このAIが仕事を奪うという話は、全ての人が一度は頭をよぎったことのあるような話題かと思います。

私も何度も頭をよぎっています。

 

そして思うことは、AIが生産的な業務をすることは、貴重な人的スキルを埋めるという点でむしろ都合が良いということです。

ただ、AIを使う側の人間が意識を変える必要があります。

生活を便利にするためにAIを使うのではなく、人を幸せにするためにAIを使う、ということが前提になります。

 

そうでなければ、不幸な未来となります。

 

■AIによる利益追求は不幸な社会を生む

創造的な仕事がどうしても苦手な人がいます。

私も仕事上、そんな人には何度も出会っています。

 

自分で考えることが、どうしてもできない。

考える業務を与えられると、停止する。

どう考えればよいかわからない。

 

そりゃ、思考法・考え方というものも勉強すれば身に付きます。

ロジカルシンキングしかり、知識を得て点と点をつなげることしかり。

 

ただ、どうしても身に付けられない人がいるのです。

 

 

全ての人が企画をしたり、自分で方針を立てたり、重大な意思決定をするような、創造的な仕事に対して適応できるわけではないと、私は思っています。

 

そういった人々はいわゆるAI文脈的な”生産的ではない仕事”をすることになります。

 

AIがそれらの仕事を代替するのだとすれば、『AI vs 教科書が読めない子どもたち』にある通り、彼らは職を失うことになるでしょう。

彼らを切ることにより、仕事に対するコストが下がり、企業からすればAIは便利なツールとなります。

 

AIを提供する者、AIを活用する経営者。

それらは利益を享受することでしょう。

そして、切り捨てられた人々は不幸になります。

 

これを、資本主義の原則だとか、自分のスキルを磨かないがゆえの罰だとか、自己責任だと主張するのは簡単です。

 

 

しかし、私はこういった創造的な業務に適応できない人々が、決して少なくないと思っているのです。

かなりの人数、もし人類の半数近くがそんな人だとしたら…?

 

AIによって不幸になったと感じる人々は何をするでしょうか。

きっと平和と秩序の維持は難しくなるのだろうと思います。

 

 

AIが生活を便利にしたとしても、人を幸せにするとは限らないのです。

 

■AIに手加減させる

創造的な仕事ができる人間を、企業は求めています。

指示通りの仕事をするの”生産的でない仕事”は替えが効きますが、何かを考えて生み出す仕事ができる人材は重宝されます。

 

その領域で活躍する人々は需要が高く、供給が追い付きません。

私の周りでも、そんな人材が足りておらず、欲する現場はいくつもあります。

 

だからこそ、AIがその領域の仕事ができるようになることは、願ったり叶ったりなのです。

 

しかし、AIにすべての仕事をさせるべきではない。

それは、前述の通り、不幸な人々を生みます。

 

”生産性の低い仕事”も”創造的な仕事”も、AIがすべてをこなすことができる未来になったとしても、人の尊厳を守るため、人に仕事を残す必要があるのです。

 

AIで人の生活を便利にします。

ただし、その力を使って全ての人が利益を追い求めると不幸な社会になる、という感覚的には理解しがたい世の中になります。

 

現実的には、企業に利益を追い求めさせないことはできないため、人の一定の雇用を維持するような法整備が必要になるのかもしれません。

そういう点では、AIは資本主義を揺るがす技術なのです。

 

私には、資本主義の原則に任せてAIで人間の仕事を奪いすぎないようにすることこそが、AIとの共存の道だと思うのです。

 

そんな思いで以前書いた短い小説があります。

bonzinkun.hatenablog.com

お暇があれば、こちらも是非お読みいただければと思います。

 

 

★終わり★

社会人が主体性を身に付けるための思考法

こんにちは。

爽一郎です。


各企業で、新人が配属されるシーズンですね。
彼らは、去年の採用試験を勝ち抜いてきた人々です。

そんな採用活動ですが、今、企業はどんな人を求めているのでしょう。

コミュニケーション能力が一位。
そして、主体性が二位。
そんなことを、以前記事にしました。

bonzinkun.hatenablog.com

 

コミュニケーション能力と同レベルで、企業が求めるものがあります。

それが主体性です。

 

経団連の調査結果で、産業界が学生に求める資質として、主体性がトップに挙がっています。

http://www.keidanren.or.jp/policy/2018/029_kekka.pdf

 

コミュニケーション能力と同じぐらいに定義が曖昧な特性ですが、まぁ、なんとなく分かりますよね。

いわゆる指示待ち人間じゃなく、自分で考えて行動する。

物事を他人事と思わずに、自分事と捉える。

そうして、自律的に、もっと言えば「放っておいても」利益をもたらすような人間。

そんな人を企業は求めているのです。

 

さらに、昨今はコロナによって在宅勤務が進み、サポートが難しくなった点より、ますます自律性や主体性といったものが求められています。

 

 

この主体性はどうつければよいのか?

自分で考える、ということをどうすれば意識的にできるのか?

 

多くの場合、主体的ではない人に主体的に考えさせようとすることは、徒労に終わります。

ぶら下がり社員、働かない社員。

そんな人々は主体的にはなりません。

 

基本的には、外的な要因ではなく、内的な要因でしか主体的にはなれないものです。
いわゆるモチベーションと言うやつです。

そういう点で、経団連もリンク中で「資質」という言い方をしたのかもしれません。

 

そんな、内的な要因として何を考えれば主体的になれるものだろうか。

一つのの答えとして私が思うことがあります。

 

それは、

・この世には答えがないと受け入れる

・よって、答えを誰も与えてくれない

と考えること、です

 

 

■世界は複雑

私はゲームが好きでして。

最近は『ホロウナイト』というNintendo Switchのゲームにハマっていました。

1500円という安いゲームなのですが、これが超面白い。

いわゆるマリオやロックマンのような2D横スクロールのアクションゲームです。

これがうまくできたゲームで、自分が少しずつアクションがうまくなっていく、という感覚が得られるゲームなのです。

ライフも少しずつ増えて強くなる。

途中でダッシュができるようになったり、二段ジャンプができるようになったり。

そうすることで敵の攻撃も避けたり耐えられるようになり、より強い敵にも挑戦できる。

 

なんだか、安心して遊べるゲームでした。

いや、この感覚はホロウナイトのみでなく、ゲーム全般に言えることかもしれません。

というのも、プレイしていて「今自分がやっているこの行動は、確実にゴールへ向かう行動だ」と思えるからです。

 

前に進めば、新たな能力が得られたり、物語が進む。

進めばゴール、いわゆるエンディングに近づく。

ある意味、前に進みさえすれば正解なのです。

 

答えが明確。

多少ゲームによって紆余曲折があるにせよ、ゲームとはプレイしてレベルを上げたり、クエストをこなして前に進めること自体が答えなのです。

 

まぁ、『Skyrim』のようなオープンワールド過ぎて何が答えか分からないゲームもあるのですが、そういったゲームはリアリティが高いと言われたりします。

リアリティが高いということは、現実世界に近いということ。

現実世界は答えがないということなのでしょう。

 

私はゲームをしていると、答えがある世界に浸ることができ、安心するのです。

 

 

私見ですが、学生は基本的に答えが用意された世界で生きていると思います。

勉強の方法は学校が教えてくれるし、問題に答えはあるし、試験を受けるとなったら必要な手続きが決まっている。

人間関係など、私生活では答えがないものがあるかと思いますが、生活の大部分が答えがある物事に囲まれています。

 

社会人になっても、始めは答えらしきものを先輩から与えられます。

経験やスキルがない間は模倣が最も手っ取り早い成長方法なので、周りは経験やノウハウを「答えらしきもの」として新人に教えます。

 

次第に「新人」でなくなるにつれ、答えらしきものが与えられなくなります。
その時、答えらしきものを自分で探すようになると主体性があるとみなされます。

そんな人は成果が出せる人間になりがち。

逆に、答えを求め続けると、深く自分で思考することを避け、指示待ちに陥る。

 

 

答えを自分で探すようになるか。

これが、主体性を持つための要素だと私は思っています。

 

ただ、世界はゲームのように単純ではなく、とんでもなく複雑です。

 

先ほどのゲームの話のように、答えが明確なことをするのは安心します。

間違っていないのですから。

ゲームに熱中してやり続けてしまうのは、何をしてもゲーム中では前に進むために必要なことと思えるからなのでは?と感じています。

 

そうでない現実世界において、答えを自分で探すというのはとてもしんどいことです。

脳みそパワーを使うので、正直みんな「難しいことを考える」のは避けたいことなのです。 

 

 

■複雑なものは嫌なので、わかりやすい答えを欲する

有識者たちは、言います。

世界は複雑であり、分かりやすいものはほとんどないと。

 

分かりやすい説明が世の中に溢れているのは、いろいろなものを切り捨てて分かりやすくしようとした結果なのだと。

 

複雑に絡み合った話題を、いかに要約して伝えるか。何度だって繰り返すが、あらゆる思案とは、複雑に絡み合っている状態だからこそ生まれたものだと思う。だが、このところの風潮といえば、その思案がどのように発生したかなんてどうだっていいようで、とにかく目の前の事象を即座に理解してもらうことが急がれる。そのために、複雑な事象がシンプルに加工される。

~わかりやすさの罪~

 

さらに、研究者などの売名行為や市民団体の思惑、国際間の政治的駆け引きなどが科学情報を歪めます。専門知識がなく裏側に隠された事情を読み解くことができないまま、マスメディアはだれかの思惑に乗せられて複雑な話を切り捨て、分かりやすい報道をします。

~メディア・バイアス~

 

基本的に物事は複雑なのに、人々は分かりやすい答え、確実な答えを求めるのです。

 

 

特に知識労働の世界では、複雑なことばかりです。

ステークホルダー間の利害。

複雑に絡み合う、想定外の各システムの動き。

単純な意思決定より、状況をよく理解して難しい判断を下す意思決定のほうが多いことでしょう。

 

答えがなく、悩み、すっきりせずに暗中模索する。

それが辛いという人を、私は沢山見てきました。

 

みな、答えを知りたい。

ゲームのように自信の取れる行動がしたい。

 

私自身もそうです。

だから、人から答えを得られる状況をありがたく感じるのです。

 

 

しかし、主体性はその心地よさから抜け出た者が得られる特性です

 

 

主体性を身に付けるために必要な思考は

・この世には答えがないと受け入れる

・よって、答えを誰も与えてくれない

ということ。

 

そう思えば、自分で答えを探さざるをえなくなる。

主体性は、自分自身で答えを探そうとする思考なのです。

 

 

★終わり★

万人が知ることを知ろうとしないことは、迷惑になる。でも、蔑むべきでもない

こんにちは。

爽一郎です。

 

コロナでお家生活。

とにかく、ITの恩恵を感じます。

 

仕事もITを使ったテレワークですし、プライベートでもWeb会議の仕組みを使ったオンライン飲み会やボードゲーム会、オンライン帰省。

先日記事にしましたが、リングフィットアドベンチャーという運動をするためのゲームもITの力です。

それらがなければ、この自粛生活はもっと大変なものになっていたでしょう。

多くの人が、その恩恵を同じように感じていると思います。

 

だからこそ、アフターコロナの世界は、ますます多くの人がITを使う世界になるでしょう。

もともと我々の世界に入り込んでいたITが、加速して入り込んできた。

そんな気がするのです。

 

逆に思うのが、それを使えない人はどうなるか、ということ。

 

■とにかく人と話したい症候群

コロナ渦の中でも、私は1週間とか2週間に一度は出社しています。

全国的に緊急事態宣言が出ていた最中でも、どうしても出社して仕事しなければならないことがあります。

 

私は出社がてら昼ご飯をある中華料理屋で食べたのです。

その店では、ほとんどテイクアウト待ちの客ばかり。

そして、逆に店内はガラガラでした。

まぁ、そりゃそうでしょう。

ガラガラだったので、感染リスクは低いかと思って入店し、チャーハンとレバニラを注文して待っていました。

 

その中で、一人、初老の男の客が何やら店員と話していました。

その客は私と同じくイートインの客。

店員に注文をしていたのだと思うのですが、いろいろと店員に話していました。

 

「10年前はランチのセットメニューあったのに、今はないの?」

「一人暮らしだから、料理作るのめんどうでね」

「持ち帰りの人多くて、全然料理出てこないじゃん。大変だね」

 

などなど。

大変だと思うなら話しかけるなよ、なんて私は思いながらその光景を見ていました。

なお、クレーマー的な人ではなく、ただただ店員に話かける客という印象。

いや、人と話したい、という印象を受けました。

 

もちろんその客の詳細は、正直私には分かりません。

でも、服装からすると完全に家着で、仕事をしているという感じではありません。

おそらくは、家から外にご飯を食べに来たのでしょう。

そして一人暮らし。

 

その時に、ふと思ったのです。

その男性が、もし家に一人で、かつオンラインで誰かと話すようなITリテラシーもないとすれば。

昼ご飯に店に来て、店員と話す。

それぐらいしか人と会話するチャンスはないかもしれません。

店員に話しかけたい、というのは無理もないのかもしれません。

もちろん、私の考えすぎかもしれませんが、そんな人はきっとたくさん世の中にいるんだろうな、と思ったのです。

 

私は家族がいます。

コロナの渦中でも、幸いなことに直接会って話せる人がいます。

ですが、それ以外にも話す機会は結構あります。

冒頭で書いたようにオンライン飲み会もありますし、テレワークでも人と話しますし、雑談もします。

コロナでも、人と話すことは多いのです。

 

が、ITがなければどうなっているか。

家族との会話がほとんどでしょう。私の場合はそれで救われているかもしれません。

…独居の人は…?

 

■ITリテラシーがないと、迷惑な人になる

独身の同僚が言ってました。

家族がいるって良いと。

このコロナの中でも話す相手がいるという点で。

 

誰とも話せない人は、外へ出て会話できる人々を探すしかありません。

ですが、この状況下では限定的な状況しかありません。

例えば中華料理店。

 

オンラインでつながれば、離れた家族と会話もできます。

知り合いと世間話をすることもできます。

 

ですが、ITに疎くそれができなければ、中華料理屋の店員に忙しい中迷惑をかけることになります。

市役所で働く友人によれば、給付金がオンラインで申請できず、市役所に駆け込んで「今すぐよこせ」と文句を言う人もいると言います。

ITリテラシーがなければ、他人にコストを支払わせるような行為をすることになります。

 

これは個人の話だけではありません。

Web会議ができないという理由で、面接にわざわざ来いと言う、そんな企業の例もあります。

 

私の知り合いは良く、両親から楽天やアマゾンで何かを買うことを依頼されると言います。

その際に、商品のURLのコピーができないから、商品名を電話で話してくるとのことです。

電話で聞いた商品を検索し、同じものかを確認して買うのが大変とぼやいていました。

 

ITリテラシーの低さによる迷惑というのは、程度の差はあれどいくらでもあるものなのです。

 

両親ならともかく、他人にコストを支払わせる行為を行う人は、「迷惑な人」です。

 

もしITが前提となる世の中がもっと加速すれば、ITリテラシーは前提となった社会になります。

サザエさんのマスオさんや波平さんの会社のデスクにはパソコンはありません。

昔はなかったということですよね。

ですが今、パソコンなしに働く人はほとんどいません。

仕事をする上でパソコンを使えないなんて「迷惑な人」です。

 

パソコンのように当たり前になるITは増えます。

少なくとも、Line、Zoom、Google Meet、様々なオンライン会議は、その一つになるでしょう。

 

それを知らない人は「迷惑な人」になるのです。

 

■だが、そんな人がいるということは認めるべき

コロナでこれまでにないほどの勢いでITを使わざるを得ない世界に放り込まれた社会になりました。

その爪痕は、きっと残ります。

 

もはや、ITは知れば便利になるという類のものではないのです。

知らないと生きづらい。

 

ただ、これは若者はスマホが使えて、高齢者は使えない、という単純な話ではありません。

 

新しいものを知るというのはしんどいものです。

過去、祖父母と話す際にはこんな言葉を良く聞きました。

 

「この歳で新しいことを学ぶなんて、私には無理だ。」

 

スマホも覚えるのはしんどい。

そういうものだとは思います。

 

高齢者でなくとも、新しい仕事、新しいチャレンジ。

そういうことは面倒でなかなかできないのが人間です。

 

私もITのことはそこそこ知っていますが、他の分野になれば、新しいことをするのが億劫です。

マイナンバーもなかなか申請しなかったし、中国語覚えたいなとか思いつつも全く勉強しないし。

 

そう考えると、新しいものに触れようとしない人がいることは、当然なことなのだと思います。

 

 

ITリテラシーがない人を置いてきぼりにする社会が良いかと言えば、そうではありません。

オンライン学習が物語るように、家庭のIT環境やリテラシーによって教育に格差がでるようなことは防がなければなりません。

ITを知らない人にも優しい世の中。それが理想です。

だから、簡単に、直感的に使える技術を技術者は考えています。

らくらくフォンなんてのは、その典型ですね。

 

そんな風に、「迷惑な人」を無くすために優しさを持ちたい。

前述の中華料理屋の客は迷惑な人のように思います。

ですが、そんな人をさげすむのではなく、なくすにはどうすればよいか。

そんなことを考えられる人間でいたいのです。

 

上から目線かもしれませんが、IT業界に従事する人間としては、ITを知らない人を不幸にする世の中にはすべきではない。

 

何かを知らないからと言って「自己責任でしょ」と切り捨てる人間にはなりたくない。

何かを知ろうとしたくとも、どうしてもできない人が、それぞれの分野にいるのだから。

 

 

★終わり★

上司が邪魔でうざいのは至極当然。どう対処すればよい?

こんにちは。

爽一郎です。

 

「上司が正直、うざい」

 

こんなセリフを最近、耳にしました。

私のセリフじゃないですよ?

 

業務を進めようとすると、上司が指摘してきたり、文句を言ってきたり。

こちらが進めようとしていることを阻害してくる。

上長承認?そんな行為が無ければ、仕事は減るのに…。

 

上司うざい発言は、そんな風に思っている知り合いからでた一言でした。

 

ただ、私は思うのです。

 

組織で働く以上は、上司は阻害要因であり、部下から嫌がられるのは、当然なものであると。

そんな上司というものとどう付き合えばよいのか。

 

今日は、そんな話です。

 

■上司は邪魔ものだけど、不要ではない

顧客へのプレゼンテーションこれでいいですかー?

稟議承認とるぞー。

 

上司に対して説明し、合意を得なければならない場面、社会人ならあると思います。

そんな時、上司はいろいろと言ってくるものです。

 

 

この説明、根拠が弱い。

 

これ、失敗する可能性あるよね。リスクヘッジできてるの?

 

良く分からん!もっとわかりやすくしてきて!

 

 

心が折れるような一言をもらうこともあります。

上司って邪魔だ…。

上司がいなければ、仕事がスムーズになるのに…。

そんな考えを抱く気持ちは、組織で働く私にも良く分かります。

 

 

しかしながら、上司がいなくなれば良いものかと言えば、そうではありません。

上司とは組織運営に必要な”機能”だからです。

 

 

さて、上司がいない環境ってどんなものでしょうか?

当然のごとく、自分がトップである環境です。

ようするに、社長ですね。

 

トップは上司への承認などありません。

自分が決断を下します。

同時に、全ての成果は自分に跳ね返ります。

決断と実行がうまくいけば、儲かってウハウハ。

失敗すれば借金を背負うかもしれない。

すごいリスクです。

 

一方、会社員として組織にいれば、業務に失敗しても個人へのダメージは少なくてすみます。

社運をかけた業績を大きく左右するプロジェクト、なんてものを手掛けているなら別ですが、殆ど個人の仕事一つで会社が傾くことはありません。

 

会社員は、真の意味での責任は、個人が取る必要がないのです。

そりゃあ、失敗すれば個人の評価は下がるかもしれません。

しかし、失敗による利益の低下という責任は、会社組織が追います。

個人は失敗できる環境を組織から提供されているのです。

庇護されている、と言い換えてもよいでしょう。

 

 

損失が全部自分に跳ね返るなら、慎重に行動するもんです。

家を買ったり、投資をするときはみんな慎重になる。

ただ、組織の中で個人の損失が押さえられた形だと、慎重さは少なくなります。

 

というわけで、どうしても慎重になれない個人に業務をさせる会社組織においては、組織が被る不利益を少しでも減らすために、上司という機能がいるのです。

 

上司は”より慎重に”意思決定をするために立ちはだかる、壁なのです。

よって、邪魔者で当然。

会社の不利益を避け、利益を出すためもっと慎重に検討せよ、と促す存在なのですから。

(それをしない上司は、上司として機能してないのかもしれません)

 

 

■上司というか壁を超える手軽な方法はノーサプライズ

独立して企業すれば、上司はいなくなります。

独立してリスクを取ることにエネルギーを注ぐのか、上司への対応にエネルギーを注ぐのか、どちらかを選べということですね。

ただ、リスクや必要性から、上司がうざいと思っていても多くの人は独立・企業という選択をとりません。

 

組織の庇護を受けるなら、障害となる上司には嫌でも対応せねばならないのです。

嫌な上司でも自分を庇護する存在の一部と思えば、見え方は変わってくるのではないでしょうか。

 

では、そんな壁となる上司から承認を得て突破するには、どう対処すればよいでしょう?

 

アメリカの伝説的経営者ハロルド・シドニー・ジェニーン氏が著書『プロフェッショナルマネジャー』のなかで語っています。

意思決定を迅速に行い、問題を早く見つけるにはどうすればよいか、ということについての文章です。

 

危機や破局は一夜にして生ずるものではない。それは問題が長いあいだ隠蔽され、症状が悪化するままに放置されてきた結果である。

 

〜中略〜

 

 こうした会議での経験から生まれたITTの基本ポリシーのひとつは、「びっくりさせるな!<ノー・サプライズ>」ということだった。

 企業にあって、びっくりさせられることの九九%までは良くないことに決まっている。経営チームとしてわれわれがどれほど熟達していようとも、だれかがきっと失策を犯し、予期しなかったことが起こり、問題が生じるものだ。しかし、予期しなかった問題を発見し、それに対処するのが早ければ早いほど、解決するのはそれだけ容易になる。その全部を早期発見することはできないかもしれないが、手遅れにならないうちにそうした状況の九五%に対処できれば、残りの時間とエネルギーを、網の目に漏れた二、三の大きな問題の処理に向けることができよう。

 

これはマネジメントする側、つまり上司の立場から書かれたものです。

情報をこまめに集めておくことで、急で驚くような悪い情報をなくす、ノー・サプライズ状態にすることが重要だと述べています。

 

要するに、上司からすると、急に知らない情報が来ると、意思決定が難しくなるのです。

それが、悪い情報であれば、あれこれ指摘をせざるを得なくなります。

壁としての上司をかいくぐるための、もっとも手軽な答えがここにあります。

 

こまめに報告せよ。

 

ノー・サプライズにすることで、上司に意思決定しやすくしてもらう。

承認しやすくしてもらう。

 

嫌な上司に、さらに報告を増やす?勘弁してくれよ…

と言わずに、逆にこまめに接点を持つことが乗り越えるコツなのです。

 

★終わり★

無茶ぶりやブラック企業勤務などの辛い経験は、成長に良いものなのか?

こんにちは。

爽一郎です。

 

ブラック企業は駆逐されるべき。

そう思います。

 

ただ、知り合いと話していると間接的にそれを否定する言葉が出ることがあります。

 

その知り合いを、仮にTとしましょう。

Tは数年前まで過酷な労働環境で働いていました。

残業は過労死ラインを越え、かつその半分以上がサービス残業。

休日も家で仕事をしていたとか。

いわゆるブラック企業。

今では転職したTですが、当時のことを辛かったと言う反面、こんな発言もありました。

 

T「ブラック企業だったけど、あの経験は貴重なものだったとも思えるわ」

 

私「え?辛かったのに?」

 

T「うん。めっちゃ忙しかったから、徹底的に効率化を考えるとか、手の抜きどころを考えるとか、そんなスキルは付いた」

 

 

 

苦労は買ってでもしろ。

そんな言葉がありますね。

 

辛い経験が成長に役立つ。

だから、辛い経験を受け入れよ。といういうことでしょう。

それは、私も同意です。

 

ペンシルベニア大学心理学部教授のアンジェラ・ダックワース氏は著書『GRIT やりぬく力』でこう述べています。

 

私たちは年齢を重ねるにつれ、新しい環境に放り込まれる。たとえば初めての就職や結婚も、大きな環境の変化をともなう。いつのまにか親たちが年老いて、自分が親の世話をする立場になることもある。このように状況が変われば、それに応じて生活のしかたを変えなければならない。そして、地球上でもっとも適応能力に長けた人類は、変化する。困難に立ち向かうのだ。 言い換えれば、私たちは必要に迫られれば変化する。必要は「適応の母」なのだ。

 

 

難しいこと、チャレンジ。それらは成長に役立つ。

むしろ、環境の変化や苦難への適応こそが成長を促すものとさえ思っています。

 

 

しかし…

それが全て是だとすれば、過労死ラインも是だし、成長のためという大義名分で丸投げ無茶振りする上司も是になってしまいます。

 

この矛盾をどう考えたら良いのか…。

これは積年、私にとって答えが出ないものです。

 

■苦難を与える側が気をつけたら…

私の仕事に対するモットーは、

「安定して成果を出す」

です。

 

そのため、過剰な無理はしなせん。
無理は続かないので。

残業も可能な限りしない方法を考えながら生きています。

それでも高い成果を出す。

そればっかり考えて仕事しています。

 

そんな生き方を会社に見透かされたようでして、

成長を促すため、という名目で私は上司から大量の仕事を振られたことがあります。

 

その時、理不尽さを感じながらも一心不乱にその大量の仕事に打ち込みました。

辛かったですが、仕事の効率化などなど確かに得るものはありました。

が、ずっとは続けられないな、とも思いました。

 

実際、その育成方法でつぶれた同僚もいます。

 

苦難を与える、という育成方法は、万人に有効なものではないのでしょう。

 

与えられる苦難とは良いものなのか、悪いものなのか。
悩ましい問いです。

一つ、この問いの答えとなったものがあります。

インテルの元CEO、アンドリュー・S・グローブ氏のベストセラー『High Output』にてその記述があります。

 

「マネジャーは部下を手とり足とり指導すべきか、それともやり方は任せて結果だけを見るべきか」

という問いに対して、アンドリュー氏はこう答えました。

 

アンディの答えは「場合による」だ。正確には「対象となる部下の資質による」。もし部下がその業務に経験が浅く、未熟であるなら、いちいち細かいところまで指示し、教育することは必須だ。しかし逆に部下が経験を積み、成熟しているなら権限を移譲することが理にかなっている。アンディは次のように明快に説明する。 その部下は仕事がうまくできなかった。それに対する同僚の考え方はこうだった。「彼は自ら間違いを経験しなければならない。そうして次第次第に覚えてゆくものなのだ」と。この場合の問題は、部下の授業料を顧客に払わせていることにある。これは絶対に正しくない。

 

 

すなわち、苦難を乗り越えられるよう、適切な仕事の与え方をせよ、ということです。

同じ「大量の仕事を振る」という行為でも、部下に合わせて難易度調整するわけです。

できそうな人間には、ノーヒントで実践させる。

苦しそうな人間には、大量の仕事を捌くための具体的な方法を伝える。

もっと難しそうなら、サポートする人をつけて、使わせてみる。

 

人のレベルも考えずに無茶ぶりで仕事を振ることは、ブラック企業同様の行為です。

苦難を乗り越えられない人々の屍を積み重ねていくことになります。

 

簡単に言えば、チャレンジはさせるべきだが、人のレベル見てフォローしようぜ、ということ。

 

ただし、これは仕事を振る側の視点であって、与えられる側の視点ではありません。

 

冒頭の元ブラック企業勤務者のTのように、与えられる側はどう考えればよいのでしょう。

 

 

■苦難で得られるものを見極めよ

冒頭のTのように、辛かったけど良い経験だったわ、というのはあくまでも結果です。

たまたま生き残れた人間のセリフなのだと思います。

 

やはり、私はむやみに苦難へ飛び込むことを是としたくないのです。

しかし、苦難から逃げ続ければ成長も達成感も充実もありません。

 

と言うわけで、一つの考え方として、

自分で乗り越えようと思った苦難にチャレンジすべき

なのだと思い至りました。

 

この苦労は価値がある、と自分で思えるか。

 

もっと言えば

この苦難は自分に何をもたらすのか?

という問いに対して、意味ある答えを出すということです。

 

なんとなく激務を与えられて辛い人生送るのと、
極限まで業務の効率化をしてやる!とか精神的にタフになる!という目的のために激務をこなすのでは、
きっと得られるものが違います。

 

何か今の苦難から、チャレンジから、得られるものはあるのか?

そう自問し、得られるものが得たいのであれば、苦労は買ってでもしたほうが良いのです。

 

得られるものがない、ただの苦行なら…

もちろん結果的に得られるものはあるかもしれませんが、むやみに飛び込むことは、命を削ることになるかもしれません。

 

と言うことで、今日言いたいことは下記です。

・無理を強いるなら、その価値や意味、そして人に応じたフォローをせよ

・自分が挑むなら、その無理は意味あるものか考えよ

 

 

★終わり★

成長する人がしている、「振り返る」ための方法

こんにちは。

爽一郎です。

 

難しいことをやるっていうのが好きな人がうらやましい。

私はあまり、難しいこととかチャレンジが好きではありません。

 

難しい仕事は辛い。

簡単にできるようになりたいもんです。

 

新人の同僚にこんなことを聞かれたことがあります。

 

「社会人経験、10年以上していても難しい仕事ってあるんですか?」

 

あるわいな!と即答しましたね。

 

変化の多い社会なので、仕事は流動的。

難しい仕事も複雑な判断も多くあります。

難しいことも簡単にできるようになる、そのために頭を使っているように思います。

 

 

そんな、難しいことを簡単にする、ということを考えながら家で家事をしていたのです。

その時、ふと思いました。

 

「初めは妻に不満を言われまくっていた家事も、今はほとんど文句言われないクオリティでできるようになったなぁ」

 

私が担当である家事がいくつかあります。

食事の片付けとか、幼稚園の用意とか、トイレ掃除とか。

数年前まで、私にとって家事は難しいものでした。

 

毎回、妻に

 

「幼稚園の用意に、タオル入ってなかったよ」

 

「食器はここに片付けて」

 

とかご指導を受けていました。

家事自体を忘れてしまうこともあって、家事ってむずいわ、と思っておりました。

 

が、今では食事後に流れるように片付けはできるようになりましたし、幼稚園の用意もおおむね完璧。

人間、続けるとできるようになるもんだなぁ、と思ったのです。

 

しかし、それなりの時間はかかりました。

私にとって家事は、

 

「難しく、辛い仕事だったけれど、できるようになったもの」

 

の一つなのです。

(妻がもう不満を言ってもしょうがないから言わなくなっただけ、という可能性もなくはないですが)

 

仕事でも家事でも、何かができるようになるために必要なものってなんだろうなぁ、と考えてしまいます。

 

知識を得ること?

がむしゃらにがんばること?

人と話すコミュニケーション力?

 

人によって回答は違う質問でしょう。

 

私は、一つ挙げるとするなら、

振り返ること

と言いたい。

 

 

■みんな、一挙に成長したい

ぶら下がり社員という言葉、いろんな本やネット記事で見るようになってきました。

会社勤めで、がんばって働きはしないけど、会社は辞めない。

そんな人々のことです。

それなりの年齢でキャリアの先が見えている人なんかがそうなりやすいようで、クビになりにくい日本の大企業に多いとのこと。

 

そんな人が増えているからぶら下がり社員と言う言葉も生まれたのかもしれません。

 

ただ、そうでない人のほうが、私の周りには多いというのが実情。

なんだかんだ言って、仕事ができるようになって部署に、会社に、社会に貢献したいという人が大半です。

人間、自分のやってることが誰かに認められることが”本質的喜び”なんだろうと思います。

私も、そういう考えの一人です。

 

貢献できるようになるには、必要なスキルを上げなければなりません。

いわゆる成長というやつですね。

 

その成長に必要なものは「振り返ること」だと思っています。

 

成長には、知識を得ることが重要じゃないのか?そんな声も聞こえてきそうですね。確かにその通りです。

知識を得て、実践することは重要です。

ただ、それだけではよっぽど運が良くないと成長が難しいのです。

 

英語が話せない…。一挙に話せるようになりたい!

プレゼンテーションが苦手…。すぐにうまくなりたい!

 

問題はすぐに解決したい。

だから、一週間で話せるようになる!なんて英会話の本が売れたり、

これさえやれば大丈夫!みたいなテクニックが重宝されます。

 

しかし、よっぽど自分に合った情報を手に入れない限りは、その情報通りにすぐにスキルが身に付くことはありません。

本は汎用的な情報なので、万人に合うわけではありませんし。

 

プレゼンテーションの本を読んだ。

しかし、うまく伝えることはできなかった。

そこで、「一挙に成長を得ることができなかった」がゆえに諦めてしまう人が多いのです。

がんばったけど、ダメだった…と言う気持ち。

 

実際は、やり方が自分に合ってないだけなので、いろいろやり方を変えて継続する必要があります。

そのために必要なものが「振り返ること」なのです。

 

得た知識を実践して、結果を振り返りながらやり方を変えていく。

そうやって、難しいことをこなすスキルは、ちょっとずつ上がっていくものです。

 

私は家事を忘れないようにするため、何かの後に差し込むことで対策をしました。

食事が終わったら、そのまま食事の片づけをする。

食事の片付けの特定の動作の後に幼稚園の用意をするし、次の日のお茶も沸かす。

そうやって、振り返りながら行動を変えていったのです。

 
 

■振り返るって、具体的にどうすんの

難しいものをモノにするには1万時間かかる。

そう、マルコム・グラッドウェル氏が研究を元に提唱しました。

 

 

何かで卓越するには、1万時間の経験がいるよ、というものです。

期間にすれば、5年間ほど頑張れば、その分野はものにできるということ。

逆に言えば、難しいことを簡単にできるようになるためには、5年ほど苦行が必要とも言えます。

 

家事はそこまでクオリティを求められないのでなんだかんだ言って難易度は低いものかもしれません。

ただ、知識労働は難しい。複雑。明確な解もない。

すぐにスキルが身につかないものです。

 

すぐに成長したい!そんな思いが勝って、ちょっと頑張ってみたけどあきらめる、という状況になる人を、私は何度か見ました。

 

そんなときに特に必要なのが振り返りです。

 

私は部下や同僚と1on1ミーティングを良く行いますが、その中で振り返りを必ず行います。

 

この1週間で何をやったか?

その結果はどうだったか?

良いと思う点と悪いと思う点は?

 

そうすることで、できるようになったことや、修正すべき点を明確にするのです。

 

とはいうものの、全ての人の周りに振り返りを促してくれる人がいるわけではありません。

じゃあ、どうやって振り返ればよいのか?

 

一つの方法が、ある本に書かれています。

『変化に強いサラリーマンが密かに使う、ワンランク上の自問術』

 

 

この本は、私のコーチングの師である松本瑞夫氏が上梓された本です。

コーチングでは質問による振り返りを良く行います。

私が1on1ミーティングで行っているのも、質問による振り返りです。

 

この本には、コーチングを元にした振り返るための質問が、自問術として書かれています。

 

一見失敗のように見えるものは、実は一過性のものであり、現時点で自分が思う理想からどのくらいズレが生じているのかを教えてくれる単なる一つの材料にすぎません。そういう意味では「失敗というものは存在せず、そこにはフィードバックがあるだけ」ということがいえると思います。

 

「あなたは、過去にどのような失敗をしましたか?」

「あなたにとって、それは本当に失敗ですか?」

 

また、私が学んでいる実践心理学NLPでは、次のような問いが存在します。

 

「そこから何を学んだのか?」

「この経験から何を得ることができたのか?」

「この出来事にはどんな意味があるのだろうか?」

「この出来事のポジティブな目的(意味)は何だろうか?」

 

振り返るための自問ってどうすればいいの?

そんな疑問を解消する本として、最適です。

 

質問というのは、多くは他者に対して行うものです。

よって、自問は意識しないとできません。

 

定期的にだったり、辛い時にだったり。

そんな折に、自分へ質問する。

 

「何がつらいの?」

「今週どうだった?」

 

自問することが、振り返りとなります。

成長する人は、自分へ質問し、自分の変化や状況を客観的に把握しているのです。

 

組織心理学者のターシャ・ユーリック氏は様々な分野で成果をだす人々を研究し、彼らにある共通する特徴を見つけました。

著書『insight(インサイト)――いまの自分を正しく知り、仕事と人生を劇的に変える自己認識の力』でそれが書かれています。

 

 

共通する特徴とは、自己認識が高い、ということです。

 

自己認識とは、本書によれば『自分が考える自分』と『他人が見る自分』を知っており、かつその差が少ないということです。

客観的な自分を知ることが、成果を出す=何かができるようになること の一要素なのです。

 

そのための最も簡単な方法は、自問。

自分へ、質問を投げかけることなのです。

 

★終わり★

異世界×プロジェクトマネジメント 第16話『運用設計すべし』

プロジェクトマネジメント知識をライトノベル感覚でお伝えする小説です。
初めからご覧になりたい方は、こちら↓から

異世界✕プロジェクトマネジメント カテゴリーの記事一覧 - 凡人が成果を出すための習慣

 

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パフォーマンスを上げる方法。それは自分の役割を認識すること

こんにちは。

爽一郎です。

 

あなたは何の役割を持ってますか?

そりゃあ、いろいろですよね。

私も親、夫、リーダー、コーチ、マネージャー、ブロガーなどなどいろいろな役割を持って生きています。

 

そんな自分の役割。

何の役割を今、担っているの?という意識は、自分を律する上で大事だなぁなんて思ったのです。

 

■役割が与えられて急に話すようになった人

私はプロジェクトというものを始めるときに真っ先に行うのは、プロジェクト目的の定義です。

プロジェクト目的は、ためにこのプロジェクトやるの?という話なので当然ですね。

 

で、次に重要なのが体制を明確にすることだと思っています。

というのは、役割が人を作ると思っているからです。

 

役割が人を作るという例は、いろいろと見かけます。

 

以前、ある研修を受けたときのこと。

グループワークをする研修でした。

 

6人ぐらいでグループワークしていたのですが、私ともう一人は結構話すけれども他の人はあんまり話さないという展開が続いていました。

そこで、研修の司会の人が我々に言いました。

 

「リーダーを決めてください。えっと、〇〇さん、リーダーお願いします」

 

指名された人は、これまであまり議論に参加していない人でした。

が、リーダーに指名されたとたんに、積極的に議論に入り、進めるようになったのです。

 

研修の司会の人は彼のポテンシャルを見抜いてリーダーに指名したのかもしれません。

が、リーダーという役職になって初めて、彼がリーダーっぽくなったのは事実でした。

 

役割が人を作るって、こういうことか。

そう、その時、私は思ったのです。

 

 

有名な実験で、スタンフォード監獄実験というものがあります。

スタンフォード監獄実験 - Wikipedia

 

1971年8月14日から1971年8月20日まで、アメリカ・スタンフォード大学心理学部で、心理学者フィリップ・ジンバルドー (Philip Zimbardo) の指導の下に、刑務所を舞台にして、普通の人が特殊な肩書きや地位を与えられると、その役割に合わせて行動してしまうことを証明しようとした実験が行われた。模型の刑務所(実験監獄)はスタンフォード大学地下実験室を改造したもので、実験期間は2週間の予定だった。

 

新聞広告などで集めた普通の大学生などの70人から選ばれた心身ともに健康な21人の被験者の内、11人を看守役に、10人を受刑者役にグループ分けし、それぞれの役割を実際の刑務所に近い設備を作って演じさせた。その結果、時間が経つに連れ、看守役の被験者はより看守らしく、受刑者役の被験者はより受刑者らしい行動をとるようになるということが証明された、とジンバルドーは主張した。

 

どんな善良な人間でも、看守という役割を与えられて受刑者役と接するうちに、受刑者を家畜のように扱う等の態度をとるようになったと言います。
今では実験内容の不備などが指摘されてはいるものの、役割が人を作る、ということを検証しようとした最も有名な実験です。

 

一定、人は自分の役割を知るとそれに従おうとする性質があるようです。

 

だから、体制図は書いたほうが良いし、チームを作るなら各メンバーに期待する役割、成果を明文化したほうが良いのです。

 

■自分の役割って何?

そしてこれは、自分自身についても言えます。

つまり、自分にも、

「今、なにの役割で行動しているの?」

と明確化することは、パフォーマンスに大きく影響するということです。

 

私は冒頭で伝えた通り、仕事ではリーダーだったりマネージャーだったりコーチだったりします。

 

似たようなロールなのですが、私なりの定義で言えば、全て異なります。

 

リーダーは、メンバーを導きます。

私は仕事の打ち合わせで、よく自分の意見を言います。そして意見を仰ぎます。

それがリーダーシップだと思っているからです。

リーダーという役割で行動しているからです。

 

コーチとして話をする時は、自分の意見は求められたり、許可を得ない限り話しません。

クライアントが主役で、クライアントに気づいてもらうのがコーチの役目です。

自分のことについて考えてもらうコーチングセッションの時間に、リーダーシップを発揮してはなりません。

クライアントの意見が誘導されてしまう。コーチという役割で行動しているから、そんな行動になります。

 

マネージャーはなんとかうまいことやってチームで成果を出せるようにする役割です。

マネージャーとして接するときは、物事が進めにくい状態か、そうならば何が問題かのヒアリングがメインになります。

メンバーがパフォーマンスを出せるようにするのがマネジメント。

マネージャーという役割で行動しているから、そんな行動になります。

 

まぁ、これは私なりの定義なので、これが正しいからこうしたほうが良いよと言いたいわけではありません。

 

伝えたいのは、役割によって似たような「人に接する」という活動も、かなり変わってくるということです。

 

 

■何したらいいのかなぁ。そんな時にも役立つ

今自分が何の役割で活動しているのか?

 

この問いは『何をすればよいか悩む』という場面でも有効です。

 

明確でない内容の仕事は、世の中にあふれています。

具体的なタスクに落とす、というのはそれだけで難しい、1つのスキルなのかもしれません。

 

そんな明確でない仕事をこなすときに、自分の役割って?という意識は、少なからず役立ちます。

 

技術リーダーなら、技術的な観点から目的達成のタスクを考える。

ファシリテーションが役割なら、他の人々とどうすすめるか、という点からタスクを考える。

 

役割を認識することは、ゼロから何かを作るときの、ヒントにはなります。

 

 

役割が人を作る。

役割を考えることが役立つ。

 

だから、自分は何の役割かを認識して、それに即した行動をする。

それだけで、パフォーマンスは変わって来るものです。

 

 

★終わり★