凡人が成果を出すための習慣

習慣定着コーチが、凡人が成果を出すための習慣をつづる

リスクマネジメントを脅かす原因をトイレ我慢から考える

こんにちは。

爽一郎です。

 

リスクマネジメントって、良く聞きますよね。

簡単に言えば、リスクマネジメントとは起きうることを推測し、損失を回避するためになんとかがんばることです。

 

トイレを我慢しているとき、リスクマネジメントについてふと思い浮かんだのです。

少し、リスクマネジメントというものについて考えましょう。

何がリスクマネジメントを難しくしているのか?それは、自分の都合よく考えるという人の癖です。

 

■うんこ我慢におけるリスクマネジメント

私はお腹が弱く、しょっちゅう電車の中で便意と戦っています。

激しい激しい便意

いやぁ、辛いです。

次の駅まであと3分、とか考えながら「俺はできる!俺はできる!」と自己暗示を頭の中でかけつつ、必死で我慢しています。

肛門がぶっ壊れるかと思うほどに。

電車で小刻みに震えながら眉間にシワを寄せて目を固く閉じている人がいれば、それはおそらく私です。

 

そんな時、神が現れたとします。

 

「苦しいか?苦しいだろう。

お前は昨日、浜辺でいじめられている亀を助けただろう。

その行いの褒美として、腸内の水分を蒸発させてやってもいい。

そうすれば、便は固くなり、気分は楽になるだろう。」

 

その時、私はきっと迷わずこう言ってしまうでしょう。

 

「おお、なんという思し召し。すぐにお願いします!」

 

このやり取りだけを見ると、神の申し出はリスクがなく、私の今の苦しみ(=損失)を無くしてくれるように見えるので、私の選択は考える余地もない選択です。

これはリスクマネジメントではありません。

 

ですが、もう少し冷静に考えてみましょう。

少し冷静な私なら、こう言うかもしれません。

 

「え?腸内の水分が蒸発したら、腸閉塞とか、悪影響が出るのではないですか?」

 

「うむ。出るかもしれん。」

 

「では、少し弱めに蒸発させることはできますか?悪影響が出ない程度に。」

 

「できるが、便意はそこまで収まらんぞ。それでもしばらく便秘にはなる。それでもいいのか?」

 

「大きな病気になるぐらいなら、多少のリスクは飲みます。最悪漏らしたとしても、腸閉塞にはなりたくありません。」

 

※フィクションです。

 

これは、リスクマネジメントです。

ここで行ったリスクマネジメントとしての行動は大きく二つに分かれます。

 

一つは、神の提案にリスクが無いのか考えること。

つまりは、選択肢を検討する時に、短期的・長期的デメリットを検討することです。

 

もう一つは、将来的に腸閉塞になるかもしれないリスクと、肛門の決壊というリスク。

二つを比べ、どちらを取るか選ぶこと。そして、腸閉塞にならない程度に神の力を使うという第三案を考えること。

つまりは、リスクを比較して最もリスクが許容できる選択肢を選ぶことです。

 

なお、この例でいえば、トイレ我慢が限界になる前に対策するのもまたリスクマネジメントです。

事前に便意が無くてもトイレ行っとくとか。これは防止策ですね。

もしくは、どうにもならないなら我慢するための呼吸法を覚えるとか、オムツ履くとか替えのパンツ持っとくとか。これは損失低減策ですね。

 

■確証バイアスを制するリスクマネジメントの出発点

なんの話をしているんだ、というと、リスクマネジメントの例でした。

ここで、冒頭に述べた「リスクマネジメントを難しくしているの、は自分の都合よく考える人の癖」ということに戻します。

 

リスクマネジメントで難しいことの一つは、リスクが予期しづらいことです。

 

トイレを我慢しているとき、神の提案があったとして、そこに副作用があるかもしれない、という視点にならねばなりません。

神が言ってるんだから当然大丈夫、とか思ってしまう。

さらに、余裕がなくて冷静に考えることもできず、提案をうのみにしてしまう。

 

元来、人は都合よく物事を解釈してしまう生き物です。

ノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマン氏はこの特徴を確証バイアスと呼びました。

自分の都合の良い情報を選別し、都合よく会社くするという我々の脳の特性です。

 

私がこれまで経験した中では、1年以上の長期となるプロジェクトは、大方当初想定の期間内に終わりません。

期間が伸びますし、全てとは言いませんが、費用も後に増える傾向のほうが多いです。

 

これは、いろいろと要因はあるのですが、その一つはリスクが見えていないことにあると、私は思っています。

簡単に言えば、過信しているのです。

意識は楽に考えるためにショートカットしようとします。

その結果、バイアスがかかった都合の良い計画が生まれることが原因の一つです。

 

ダニエル・カーネマン氏はこう語ります。

 

あなたはどうしても、手持ちの限られた情報を過大評価し、ほかに知っておくべきことはないと考えてしまう。そして手元の情報だけで考えうる最善のストーリーを組み立て、それが心地よい筋書きであれば、すっかり信じ込む。逆説的に聞こえるが、知っていることが少なく、パズルにはめ込むピースが少ないときほど、つじつまの合ったストーリーをこしらえやすい。世界は必ず筋道が通っているという心楽しい信念は、磐石の土台に支えられている。その土台とは、自分の無知を棚に上げることにかけて私たちはほとんど無限の能力を備えている、という事実である。

 

 

人間は、都合よく物事を解釈します。

すなわち、過大評価です。

 

トイレはきっと我慢できるだろうと考えるし、神の提案に問題はないだろうと考えます。

 

その場その場の一瞬の判断が生死を分けた狩猟時代はそれが必要でした。

バイアスがかかっていたとしても、すばやく判断して行動することが結果的に生存率を上げることにつながっていたのです。

ですが、今はそんな時代ではありません。長期的なリスクも考慮しなければなりません。

 

適切なリスクマネジメントは、この人間の持つバイアスをどう制するかにかかっています。

冷静に、客観的に、自分が何かに囚われていないかを意識し、具体的に想像すること。

これが、リスクマネジメントに必要なことなのです。

 

知的労働をサボれば、リスクマネジメントもできない。

素早い判断は狩猟時代同様、今の時代でも必要なものです。

が、必ずリスクを考慮に入れた判断を優秀な人ほどしています。

 

少しでも便意があれば、電車に乗る前にトイレへ。

 

下記Line登録で、ブログの更新やその他お得な情報をLineの通知でお知らせいたします!

マネジメント力向上、習慣定着等のご相談もお待ちしております!

https://peraichi.com/landing_pages/view/5aqzf

 

★終わり★

人狼系ゲームって、コミュニケーション能力高まるってばよ

こんにちは、爽一郎です。

 

私はアナログゲームが好きで、よく同僚、友達、親類と遊んでいます。

アナログゲームというと、人生ゲームのようなボードゲーム、トランプやUNOといったカードゲーム等の、いわゆる電源がいらないゲーム達ですね。

人生ゲームやUNOなんかは有名なものですが、そんなゲームが数多販売されております。

最近はそんなアナログゲームが流行っており、専門店も増えてますしヨドバシカメラに専用のコーナーが設けられたりしております。

 

アナログゲームはとても面白いのです。

ゲームとして面白いというのもあります。

 

が、今日は自己啓発的な視点から見ても面白いということをお伝えしたいのです。

(とは言え、私は自己啓発としてゲームをプレイしているわけではなく、結果的にスキルアップになってたりするかも、という内容です)

 

アナログゲームがビジネス研修に進出中

アナログゲームを研修に使う企業が現れ始めています。

 

prtimes.jp

www.projectdesign.co.jp

 

ビジネスにおけるスキルを学ぶためにアナログゲームというツールを用いているのです。

アナログゲームは良いもの。

私もスキルアップにつながるなぁ、と思ったゲームがあります。

 

先日、そんな、手軽で面白いゲームを教えてもらいました。

 

『ワードウルフ』と言います。

 

play.google.com

巷では人狼系ゲームと呼ばれていて、嘘をつき合うようなゲームです。
スマートフォンにインストールして遊べるのですが、スマホゲームではなくて人間同士で会話するゲームです。無料アプリです。

3人以上でできるゲームで、ルールは下記の通り。

・全員が一人ずつ、スマートフォンに表示されるあるお題を確認する

・その中で、実は一人だけ違うお題が表示されている人がいる

・数分、みんなで話し合って、最後に「別のお題を出されたであろう人」を投票して決める

・「別のお題を出されたであろう人」が投票で当たっていれば、それ以外の人が勝ち。そうでなければ「別のお題を出されたであろう人」が勝ち

 

ようは、誰が違うお題なのか分からない状況で、みんなで探り探り質問し合いながら、一人だけお題が違う人間を探すというもの。

例えば、5人でゲームをした場合には4人には「ブランコ」というお題で、1人だけ「すべり台」というお題が出されます。

ただ、みんな自分のお題しか見ていないので、「ブランコ」の人も、「ひょっとしたらブランコは私一人なのかも…?」と思いながらプレイするのです。

そうして、「それって毎日見ますか?」とか「公園にありますか?」なんて会話をしながら、一人だけお題の異なる人を探して投票で当てれば勝利。
もしくは一人だけお題が違うことがばれないようにして、投票で選ばれなければ勝利。
そんなゲームです。

 

とまぁ、駆け足の説明なので、良く分からない場合は下記を参考にしてください。

boku-boardgame.net

 

で、このゲームの何が良いかと言えば、まず面白い。

スマートフォンさえあれば手軽にできるので、場所を選ばない。

 

そして、自己啓発的観点で言うと、スキルアップすることができます。

具体的には、人を観察する、という能力です。

 

■人と人とのコミュニケーションがあるゲームってめっちゃ頭使う

このワードウルフというゲームをするうえで重要なのは、自分が仲間外れだった場合に嘘をつく能力です。

が、それ以上に重要なのは、仲間外れとなる人の嘘を見抜くことです。なにせ、確率的に自分が仲間外れではない可能性のほうが高いので、人の嘘を見破る役目を負うことの方が多くなります。

 

このゲームにおいて嘘を見抜くためにどうすればよいか?と言えば、人の反応をつぶさに観察することなのです。

 

具体的にお話ししましょう。

 

5人が参加していて、4人が「ブランコ」で1人が「すべり台」だったとしましょう。

「これって、公園にあるよね?」という問いには、全員がうんうん、とうなずくでしょう。

ですが、「これを極めるとどうなる?」なんて質問になったとき、「回転できそう」と答えた人がいたとしましょう。

おそらく、4人は「うんうん」かもしれません。が、「すべり台」の人は、おそらく反応が薄くなってしまいます。

 

社会的に協働して成果を出すには、コミュニケーションが必要です。

相手の望むものを把握する、というのは円滑なコミュニケーションに役立つと私は思います。

そのためには、人を観察し、どう思っているか察知する、という能力がいるのです。

 

ですが、この人を観察するというスキルですが、普段の生活で身に付けろ!となるとなかなか難しく感じます。

ビジネスの会議の場では、議題が複雑だったり、感情も複雑だったりします。

なにより、相手の気持ちを察知しても、コミュニケーションとうものが成就して成果になるまでにはしばしば時間がかかり、やらなくていいや、と言う気持ちに負けます。

 

そんな、ビジネスの場では研磨が難しいスキルが、楽しく鍛えられる。

それがワードウルフなのです。

何せ、何のために観察するべきなのか、何を観察して知るべきなのかが明確です。

結果も、ゲームの勝敗と言う形ですぐに成果がでます。

 

ビジネスは答えがなく、ルールも曖昧です。
そんな中でスキルを磨くというのは、何をどうすればいいの?となりがちです。

ですが、ゲームはルールがあって、特定の条件をクリアして勝つ、という明確な答えがあります。

その明確な勝利のために、何が必要か?そんなことをゲームは考えさせてくれます。

そして、人の心理が働くことが多いアナログゲームにおいては、ビジネスにおけるコミュニケーションスキルを磨くこともできます。

複雑なコミュニケーションというスキルを、シンプルなスキルに置き換えて考えることができるのです。

 

とにかく、スマホゲーはやりすぎちゃうのでしないと心に決めましたが、アナログゲームはめっちゃしたい。

ゲームというものは奥深い。

得るものもあるし、なんといって面白いですから。

 

下記Line登録で、ブログの更新やその他お得な情報をLineの通知でお知らせいたします!

マネジメント力向上、習慣定着等のご相談もお待ちしております!

https://peraichi.com/landing_pages/view/5aqzf

 

★終わり★

論破で人を動かすことに意味はない。感情を逆なでしてどうするの?

こんにちは、爽一郎です。

 

人を動かすには正しいことを言えば良いんだ。

そう、論破すればそれは正しいことが証明され、人はそれに従う。

そんな思いで、論理的に正しいことだけを考えていた時期がありました。

 

が、今では、論破では人と協働できないと考えています。

 

■論理的に正しいことが正義!という誤り

私は論理的に正しいことを追求し、それを人に押し付けていたことがあります。

 

ある案件について、クライアントへの提案を上司から任せられたことがありました。

当時の私は、論理的に、自分では非の打ち所のないと思える提案資料を作ったのです。

 

が、上司は私にこう言いました。

 

「筋は通っているし、内容は分かる。けど、なんかこう…思いが足りない。何とは分からいけど、抜け落ちてる気がする。

もっとクライアントと話して、思いを汲んだ方がよいかも。」

 

それを聞いた私は、『はぁ?』という考えでいっぱいでした。

論理的に正しいのに、何を指摘されているのか?

私には理解できなかったのです。

 

クライアントにどう思うかを確認したところ、上司と同じような感想を抱かれました。

「正しいし、良さそうに思えるけど、私たちの思いと違うんです。」

 

クライアントが「思い入れを持って採用したい進め方」があり、クライアントが求めるものはその方法に添った提案だったのです。

私よりもクライアントと話をしていた上司には、そんな思いを感じて私に指摘したのでした。

 

私の提案は論理的に正しかったのかもしれません。

が、クライアントの思い、感情にはそぐわないものでした。

 

 

また、全く別の件で先輩とのやり取りから、論破について考えさせられたこともありました。

先輩が、他の部署の人(Aさん)とメールで話を進めたときのこと。

その、Aさんは屁理屈をこねてくるので少し面倒な人だけれど、重要なポジションの人で、いわゆるキーマンです。

そのAさんの部署との共同プロジェクトを先輩が進めていました。

 

先輩はAさんとプロジェクトの進め方を決めようとしていたのですが、Aさんは屁理屈をこねて、自分の仕事を先輩に押し付けようとしているのでした。

私の目から見ると、どう見ても先輩の主張の方が正しく、Aさんの言うことは屁理屈で、論理的につっこみどころも多い。

が、私の先輩は論破せず、Aさんの主張も考慮した折衷案を提案し、進めたのです。

 

私は先輩に言いました。

「こんなの、Aさんの主張なんてつっこみどころ満載なんですから、論破して先輩の元々言ってた進め方にしたほうがいいですよ!」

 

先輩から返ってきた答えは、下記のようなものでした。

「そんなことして、この後ちゃんとプロジェクトが進められると思う?

俺がAさんを論破したら、Aさんは俺に敵意を持つでしょ。これからチームとしてやってくのに、そんなことしてどうするのさ。」

 

「同じチームでやってくからこそ、なめられないようにしないと、ずっと同じように仕事を押し付けてきますって!」

 

「お前の言うことは分かる。俺だってあの人と仕事はしたくないけど、彼はキーマンだし今のところ代わりはいない。

彼の感情を逆撫でながら進めるのと、感情をなだめながら進めるのと、どっちがプロジェクトの成功につながると思う?」

 

私は、何も言えませんでした。

 先輩の主張は「自分は物事を論理的に考えるべきだけが、人の感情を無視して自分の論理を押し付けるべきではない」ということなのです。

 

■知的労働は、人間主義が原則

過去、大量生産が主流な産業で、ブルーカラーと呼ばれる人々が人口の大半を占めていた時期。

そのころ、科学的管理法というにより、人の思考なんて無視した管理が基本でした。

が、ホワイトカラー、いわゆる知的労働が主流になました。

時代の変遷とともに、現代経営学の父たるドラッカーはこれまでの科学的管理法を否定し、知的労働は人に焦点を当てる必要性を説きました。

 

フレデリック・ウィンスロー・テイラーやヘンリー・フォードなど、20世紀初頭の経営学の祖先とも言うべき人々は、いち早く生産高を系統的に測定し、どうすればそれを高められるかを分析した。そして最も効率的で収益性が高いのは、権威主義的組織であると主張した。

~中略~

その結果誕生したのが「明快な階層組織である。そこには命令を下す者と、それを受けて、なんの疑問も持たずに実行する者しかいなかった」とグローブは指摘した。

その半世紀後、テイラーとフォードのモデルを完全に否定したのが、大学教授、ジャーナリスト、そして歴史家でもあったピーター・ドラッカーだ。ドラッカーは結果重視の、それでいて人間本位の新たな経営理論を提唱した。企業とは「利益を生み出す機械ではなく、労働者への信頼と尊敬に基づくコミュニティであるべきだ」と。

 

 

知的労働においては、人の感情や思考を無視した管理では、成果が出ないのです。

 

そして、「論破」という行為はしばしば人の信念を無視して物事を進めるために使われます。

人が作り上げる信念には、多分に感情が含まれます。その人なりの思考が含まれます。

どれだけ正しそうな事を並べて証明しても、人の信念を変えることはできません。

 

認知神経科学者であり、ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン教授のターリ・シャーロット教授はこう言います。

 

民主党の大統領が国を発展させたと示すどんな数字も、筋金入りの共和党支持者は受け入れないだろうし、その逆も同じだろう。健康については? 運動が身体に良いというのはたくさんの研究で立証され、信じる人もたくさんいるが、悲しいことにその知識だけで人々を歩かせたり走らせたりすることはできない。

 実のところ、今日の私たちは押し寄せる大量の情報を身に受けることで、かえって自分の考えを変えないようになってきている。マウスをクリックするだけで、自分が信じたい情報を裏づけるデータが簡単に手に入るからだ。むしろ、私たちの信念を形作っているのは欲求だ。だとすれば、意欲や感情を利用しない限り、相手も自分も考えを変えることはないだろう。

 

 

過去、私が打ち合わせで正論で指摘すると、メンバーはしぶしぶうつむきながら従うようなこともありました。

メンバーが納得してなかったことは明らかです。

論破された人は、しぶしぶ行動は指示どおりに行うかもしれません。が、嫌々やってるだけです。

納得しての行動と、納得のない行動では、知的労働においては成果が異なります。

 

■昨今コーチングが注目されているのはなぜか

最近、コーチングが注目を浴びています。

特に管理職はコーチングというスキルは重要だよね、と研修などが多く行われています。

その背景には、これまで書いてきた権威主義や正論による論破が意味をなさなくなったことがあります。

人の感情を無視した管理ではなく、メンバーが自律的に動けるような管理が今の時代には必要だからです

 

問題解決方法をコーチの意見を押し通して論破するのはコーチングではありません。

コーチングはクライアントから答えを引き出します。

マネージャーやリーダーはそんな、コーチング的アプローチが必要なのです。

これは、リーダーのみでなく、人と協働する人全般に言えることです。

論破しても物事はうまく進まない。人の感情に寄り添うことが必要である、と。

 

思い通りにことが運ぶ、というのは万能感があって嬉しいことです。

論破とは、一見思い通りにことを運ぶために最良の方法に思えてしまいます。

だから、やってしまう。

もちろん、しぶしぶでも人は動くので一定の成果は出ます。

が、納得感を持たせる方法であれば、知的労働はもっとパフォーマンスが上がるのです。

 

論破が飛び交うチームは、最適解には辿り着くかもしれませんが、居心地は悪く、個人のパフォーマンスは低いでしょう。

そして、論破する人のワンマンになり、誰も考えることや活発な意見を出す人がいなくなります。

 

納得感を無視した論破なんて、するもんじゃありません。

それは、旧世界の成果の出し方なのです。

 

下記Line登録で、ブログの更新やその他お得な情報をLineの通知でお知らせいたします!

習慣定着のご相談もお待ちしております!

https://peraichi.com/landing_pages/view/5aqzf

 

★終わり★

優先度を決めないことは、マネジメントの怠慢

こんにちは。

爽一郎です。

 

とある友人から愚痴をこぼされたことがあります。

彼はある会議のファシリテーションをしました。

ブレストをして問題と対策を出し、次の行動を決めるという会議です。

その会議が終わった時のこと。

会議にオブザーバとして参加していた別の部署の課長が、その同僚に指摘しました。

 

「あなたは、どの問題にフォーカスするなどの優先度を決めようとしすぎる。

 もっとすべてを同時に進めるようなことを考えないと、ブレイクスルーは生まれないよ。」

 

その友人は、どの問題についてフォーカスするか決め、その問題についての対策を議論するという進め方をしました。

問題は多いので、どの問題が解決の優先度の高いもので、みなで議論すべきものであるかを決めないと時間が足りないからです。

参加者はみな忙しい。だから、しょっちゅう人を集めることもできない。

彼なりに1時間の会議の中で成果を出そうと、考えた結果でした。

 

それなのに、全部の問題について考えないと素晴らしい案は出ないよ、という旨の指摘を受けたわけです。

納得いかない。

 

と、そんな愚痴を私は友人からもらいました。

 

友人側の情報しかないので、客観的にはその話を論ずることはできません。

ブレイクスルーを考える思考は、時には必要でしょう。

が、少なくとも話を聞く限りは、一時間の会議でそんな夢のようなブレイクスルーは難しそうでした。

そして私は、そのオブザーバの課長は難しいことを避けている、と思いました。

 

え?優先度をつけずにすべての問題を解決する方策を考えるほうが難しいでしょ?

課長さんは難しいことしろって言ってるじゃん。

 

そう思う人はいるでしょう。

確かにその通り。ですが、私が言いたいのは、難しいマネジメントとしての判断を怠っている、という意味です。

 

■優先度を決めて集中することこそマネジメント

かつての上司がこんなことを言っていました。

 

「新しい業務が出てきたとき、できない、ではなく20%でも30%でも、すすめる方法を考えろ。」

 

確かに、できない、といってはねのけてしまうよりも少しでも進めようと考えるほうが建設的な気がしますね。

ですが、むやみにこの行為を行うことは、マネジメントの視点から見ると愚かな行為です。

 

なぜなら、優先度を決めることはマネジメントの基本であり、何もかもに中途半端にリソースを投入しても何も成し遂げられないからです。

 

マネジメントの父たるドラッカー教授は優先度を決めて集中することの重要性について繰り返し述べています。

 

優先順位の高い目標に資源を集中することなしに、成果をあげることはできない。

 

 

 インテルをマイクロプロセッサの世界で成功に導き、Googleの目標管理制度にも影響を与えたインテル社元CEOのアンディ・グローブ氏。

彼も、著書の中で優先度を決めるということがマネジメントに必要なものであると、巧みに表現しています。

 

マネジメントの〝技術〟というのは、一見比較してみて同じくらいの重要度を持つ多くの活動から、テコ作用の優れたものをひとつ、2つ、あるいはせいぜい3つほど選び出して、それに集中する能力にある。

 

 

マネジメントの原則は、優先度を決めて集中したリソース投下をすることなのです。

 

■それでも全てに手を出そうとするのはなぜか

多くの成功者や教科書的なものが「優先度を決めろ」と言うにもかかわらず、なぜこうも優先度をつけずに多くを取りたがるのでしょうか?

 

一つは、それが評価されるからです。

何もかも実現せよ。

できない理由より、できる方法を考えろ。

上司から見ると、そんな要望に応える人間はとても有能に感じる存在です。

そういう人が迎合され、出世してきたのかもしれません。

なんでもやってくれるように見えるから、評価は上がりますよね。

実際には中途半端な成果しかでないとしても。

 

もう一つは、優先度を決めないことは楽だからです。

何かをやめるという意思決定がいらないのです。

前述の元インテルCEOのアンディ・グローブ氏は業務をフォーカスする重要性についてこうも語っています。

 

何かにコミットするのは、他のことにコミットする機会を放棄することにほかならない。もちろんこれは有限な経営資源を配分するうえで避けがたい結果である。計画を立てる立場の者は、プロジェクトを開始するだけでなく打ち切る、「イエス」とほほ笑むだけでなくきっぱり「ノー」と言うための胆力と誠実さと規律を持たなければならない。すべてに注力しようとすれば何事にも注力できないことを理解し、その理解に基づいて行動しなければならない。

 

 

何かをしない、という選択肢を取ることは、胆力や誠実さが必要な、一つの難しい意思決定なのです。

 

全てを20%だとしてもやる、というのは大変です。

チームで実施することなら、メンバーに負担をかけてしまうことでしょう。その割には集中できないので成果は低い。

それがプライベートな活動なら、一人でいろいろこなす肉体的なしんどさも伴うかもしれません。

ですが、そんな負担をとってしまうぐらいに、全て受け入れて良い人と思われたい。

そして、物事の優先度を考えるということを人は避けようとするのです。

 

ビジネスでもプライベートでも、何かをする時は優先度を決めるべきです。

成果に結びつく、最も優先される目標は何であるか。

それを論理的に考えて決断を下すことは、確かに大変で面倒な作業です。

ですが、それを考えることをしないのは、管理を疎かにしています。

組織の管理も、自分の管理も。

 

全てやるという決断は考えなくて良いので楽です。が、時間もリソースも有限です。長くは続かないし中途半端な結果になります。

そんな行いは、成果につながりません。

 

 

私は冒頭の友人にこう声をかけました。

 

「あなたはきっと、その課長よりも真摯に成果を出そうとしていると思う。」

 

下記Line登録で、ブログの更新やその他お得な情報をLineの通知でお知らせいたします!

習慣定着のご相談もお待ちしております!

https://peraichi.com/landing_pages/view/5aqzf

 

★終わり★

人間はめんどくささと戦っている

みなさんこんにちは。

爽一郎です。

 

人は「めんどくささ」と常に戦っています。

「めんどくささ」に対応するには、どうすればよいでしょうか?

 

前回の記事で、建設的な議論ができないのはめんどくささのせいであるということを書きました。

bonzinkun.hatenablog.com

 

建設的な議論を面倒くささが阻んでいるとしましたが、議論のみでなく全ての成果において面倒くささは厄介な存在です。

「めんどくささ」について、さらに深堀りしたいと思います。

  

■人が成果をだすことを阻む「めんどくささ」

私は、人が成長して成果を出すには下記の三つが必要だと考えています。

①知識への欲求

②知識の獲得

③知識の実践

(詳しくは下記の記事を、よろしければ参照ください)

bonzinkun.hatenablog.com

簡単に言うと、何らかの理由で知識が欲しい!と思って、知識を本などで獲得し、その知識を実践することで成長できる、ということです。

例でいえば、

会議で思うような成果がでず、会議がうまく進行できるようになりたい!と思って、

会議のファシリテーションに関する本を読み、

その内容を実践してみる。

それが、成長に必要なステップです。

 

ただ、全てのステップでめんどくささが障害となります。

 

なぜ会議で成果がでないのかを考えないと、進行・ファシリテーションスキルが必要とは思い立ちません。

何が自分に必要であるかを考える部分に「めんどくささ」があり、さぼってしまう。

 

ファシリテーションが必要と思っても、知識を獲得することにも「めんどくささ」があります。

本を読むのは面倒かもしれません。セミナーを登録するのも面倒かもしれません。

 

ファシリテーションの知識を得たとして、実際の会議で実践するのもまた「めんどくささ」との戦いです。

本を読んでそのまま何もしない、というのは自己啓発あるあるだと思います。

 

■知的労働はめんどくささとの戦い

単純作業や家事はやり方を知っていて、考えなくてもよいけれどもめんどくさいものではあります。

が、知的労働や自己改善という分野においては、単純作業はありません。

その中において「めんどくささ」を生み出す原因は、考えなきゃいけない、ということです。

人の脳には、考えるというエネルギーをなるだけ減らすために、思考をさぼろうとする癖があるのです。

 

逆に言えば、考えなきゃいけない、と言うことを軽減すれば、「めんどくささ」もまた軽減されるのです。

つまり、「めんどくささ」は、考えなくてよい状況にすることで対策できるのです。

 

具体的にどうすればよいか。

全部、事前に決めておくべし、です。

 

本を読むのがめんどくさいという方がいるとしましょう。

本を読むときに、いつ、どの本を、どの程度読もうか。

そんなことを考えるのがめんどくさくて、読書をしない。

もちろん読む行為自体がめんどくさいということはあるかもしれませんが、それ以外のめんどくささ=考えること、を全て事前に排除するのです。

 

事前に決めておく、ということがまた面倒くさいものではありますが、やる気があるときに決める、ということができるわけです。

いざ読書などの行動するときの気分は分からないのです。

少し元気がないだけで、眠いだけで、タンスの角に指をぶつけただけで、気分は落ち込みます。

そんな時に考える、というコストを払わなくて済むよう、事前に決めておくのです。

 

■人への交渉も、めんどくささへの対処が有効

人を動かす行為も、めんどくささへの対処がとても有効です。

 

例えば、仕事の押し付け合い。

どこにでも、どのチームのものでもない隙間に落ちている業務、というモノはあるでしょう。

基本的にそういう業務はどこも受け取りたがらないものです。

やるのが面倒ですからね。

ですが、その業務をどう進めていけばよいか一緒に考え、明確にすると経験上、仕事を受け取ってくれる場合が結構あります。

 

それは、「どうすれば良いかわからない曖昧なものは考えるのが面倒なので、受け取らない」ということなのです。

だから、面倒な部分をサポートして軽減すれば、動いてくれる。

 

人を動かすことには様々な考えがあります。

世界で1500万以上売れている、超ロングベストセラー本『人を動かす』では、人を動かすには人に目的意識を想起させる、ということが書かれています。

 

 

つまりは、相手にメリットを感じさせてやる気を起こさせる、ということです。

人の気持ちになることは必要だし、相手にメリットを思わせることも必要です。

 

が、他に大きな人を動かす要素として、「相手のめんどくささを軽減する」ことに着目することがあると思っています。

 

 

自分の行動を管理することも、他人と協働することも、めんどくささへの配慮で成果は大きく変わるのです。

 

下記Line登録で、ブログの更新やその他お得な情報をLineの通知でお知らせいたします!ご意見もお待ちしております!

https://peraichi.com/landing_pages/view/5aqzf

 

★終わり★

なぜ建設的な議論ができない人がいるのか

みなさんこんにちは。

爽一郎です。

 

建設的な議論ができる人と話しているときは、心が楽です。

逆に、そうでない人と話すときはエネルギーを使います。

批判ばかりされたり、感情的になって論理的に話せなかったり。

 

物事は前に進めたいもの。

そのためには建設的な議論が当たり前のように必要で、それが有効であることはみんな理解はしているはずです。

ですが、建設的な議論ができない人は確かにいます。

なぜ、建設的な議論ができない人々がいるのでしょうか。

 

■妻が教えてくれた、喧嘩腰の会議

妻が、喧嘩腰の人々を目撃した話をしてくれました。

 

妻は、ある商品の社内説明会に参加したらしいです。

その説明会の質疑応答で、一部の人が喧嘩口調で質問をしていたとのこと。

 

「これって、どういう意味なんですか?ちゃんと考えているんですか?」

 

みたいな口調だったと言います。

応答していた説明者も、喧嘩口調で応戦していたようで、説明会は恐ろしい雰囲気だったということです。

 

ああ、想像するだけでも辛い。

(はたから見ていると面白いかもしれませんが。)

 

これを聞いて、私は思いました。

 

「建設的な議論ができない人々だなぁ。」

 

質疑応答で質問した人は、「教えてやっている」という気持ちなのかもしれません。

応答側は、負けじと「知っとるわ」という気持ちで答えたのかもしれません。

それよりは、もっと良くするには何をどうしたほうがよいかを導き出すために、明確化の質問と提案をするほうがよっぽど良いはず。

マウンティングしても、物事は進まない。

 

■人はめんどくさいものを単純化してさぼろうとする

冒頭で述べた通り、建設的な議論ができない人は、確かにいます。

日本中、どこにでもいるでしょう。

批判しかしない人。

評論家みたいな正論しか言わない人。

とにかく何も話さない人。

怒りだしちゃう人。

 

なぜ建設的に議論できない人々がいるのか。

それを私は妻の話を聞いたのちに考えていました。

 

完璧に自分に害がない状態でないと仕事を引き受けたくないから、批判をし続ける。

非の打ちどころのない正論を言っていれば、自分の非はないから正論をふりかざしてしまう。

自分が仕事を増やされたくないから、話しに入ろうとしない。

理由はいろいろあると思います。

 

が、根本にあるのは「めんどくさい」なのではないかと気が付きました。

 

しばしば感情的になって、論理的、建設的に話し合えない人がいます。

感情に任せて話すのは、脳としては楽なのです。論理的に感情を抑えて話すのは「めんどくい」。

 

正論ばっかり言う人は、現実的な案を現状を捉えて考えることが「めんどくさい」。

リスクのある発言をして、後に責任をとらされるのも「めんどくさい」。

何せ、正論は間違っていないのですから、言っておけば安心。楽なのです。

 

批判ばかりする人は、あるべき姿を考えるのが「めんどくさい」。

目についた悪い点を指摘するのは簡単で、楽なのです。

どんな状態が今の最善だから、こうしたほうが良い、という建設的な視点で考えるのはエネルギーが必要ですから。

 

人間の脳は複雑な情報処理を常に続けています。

エネルギーを節約するため、「めんどくさい」思考は回避しようとします。

 

ノーベル賞を受賞した心理学者ダニエル・カーネマン氏は著書でこう述べています。

 

だが問題が難しすぎて、スキルを総動員してもよい解決が思い浮かばないときにも、直感は働く。そしてすぐに答を出してくるが、しかしそれは、もともとの問題に対する答ではない。あの投資責任者が直面した問題、すなわち「私はフォード株を買うべきか」は難しい。だが、もとの問題と関係はあるがより簡単な質問「私はフォードのクルマが好きか」になら、すぐに答は出せる。そしてこの答が選択を決めた。これが、近道探しをする直感的なヒューリスティクスの本質である。困難な問題に直面したとき、私たちはしばしばより簡単な問題に答えてすます。しかも問題を置き換えたことに、たいていは気づいていない。

 

 

我々人間には、「考える」というエネルギーを抑えるために、難しい物事を簡単な物事に置き換えて考えるヒューリスティックという機能があります。

「フォードの株を買うべきか」は難しい問いかけなので、脳内で「フォードの車は好きか」という質問に置き換えて意思決定をしてしまうのです。

 

建設的な議論ができない人たちは、このヒューリスティックに支配されているのです。

面倒なものを「嫌いなもの」に単純化して置き換えて、攻撃的になっているだけなのかもしれません。

面倒なものを「正しくないもの」に単純化して、正論をふりかざすのかもしれません。

 

■成果を出すには、めんどくささに立ち向かう必要がある

日本は過去からの経緯で、時間に対して対価が払われているという印象がまだあります。

毎日8時間、一ヵ月働けば給与がもらえる。

時間に対しての報酬を仕事ととらえると、「建設的な議論」だろうが「攻撃的な質問」だろうが、同じ時間を使っているので同等の仕事をしていることに変わりはありません。

攻撃的な議論だとしても、対価は支払われます。

 

ですが、実際は成果に対して払われるべきものです。

成果を高めるには、同じ時間にどう過ごすかという、行動の質を上げる必要があります。

「攻撃的な質問」から「建設的な議論」に切り替えることは、行動の質を上げる行為です。

攻撃的な質問をする人の8時間と、建設的な議論をする人の8時間では成果が異なるのは、想像がつくのではないでしょうか。

 

かつて、上司に言われたことがあります。

 

「手を動かすことに手を抜いて良い時はあるが、考えることに手を抜いてはいけない」

 

「めんどくさい」ことに向き合い、考えること。

それが成果につながるのです。

成果に対して対価が払われ、行動の質を全ての人が考える時代が来ることを、私は切に願っています。

 

下記Line登録で、ブログの更新やその他お得な情報をLineの通知でお知らせいたします!ご意見もお待ちしております!

https://peraichi.com/landing_pages/view/5aqzf

 

★終わり★

試してわかる、継続性の評価をあたりまえにすることの難しさ

みなさんこんにちは。

爽一郎です。

 

過去、It's a Sony. なんて言われた時代がありました。

Sony製品、大げさに言えば日本製品なんだから大丈夫、という意味を込めたフレーズです。

世界的に見て、日本の商品のクオリティは特別なレベルで高かったわけです。

 

が、最近は他の国のものもかなりのものになってきましたね。

以前は誰も見向きもしなかった中国製品も、クオリティは上がっています。

価格は相変わらず安いのに…。

100円均一に行くと、なんかすごいものが100円で売ってるので、世界は進歩してるんだなぁ、なんてしみじみ思います。

 

ただ、製品のクオリティは上がっているのですが、測ることが難しいのが耐久性。

いわゆる、継続的に使えるか、ということです。

 

我々の仕事においても、同じことが言えます。

短期的な成果は分かりやすい”クオリティ”として図りやすいのですが、継続的な成果である”耐久性”は評価しにくいものなのです。

 

■継続的に使えるか、という評価は難しい

私は試すことが人生を豊かにすると信じています。

だから、いろいろ試しながら生活をしています。

 

その一つとして、以前、健康トラッカーの記事を書きました。

bonzinkun.hatenablog.com

 

FitBitという健康トラッカーの有名メーカーのものと、中国製の安い健康トラッカーの二つを紹介しています。

 

FitBitのほうがクオリティは高いのですが、できる性能だけ見ると、中国製の製品でも似たようなことができます。

強いこだわりが無ければ、中国製のものでも心拍数や睡眠の質、消費カロリーなどは測ることができるので、クオリティとしては十分と言えます。

だからこそ、Amazonで売れ行きがすごいのでしょう。有名メーカーのものと同じようなことができるにもかかわらず、安いですから。

 

その、中国製の健康トラッカーを妻が使い初めて3か月ちょっと経ったころ。

物理的に破損しちゃいました。

無茶な使い方をしていたわけではないようですが、バンドを固定する部分が折れてしまったのです。

なお、サポートに連絡するとすぐに新しいものに交換してくれました。サポートもなかなかのクオリティ。

が、さらに3か月後にまた壊れてしまったので、大体3か月で物理的に破損しちゃうというのが我が家で測定した結果でした。

高価なFitBitはまだまだ問題なく稼働中です。

 

他にも、私はマルチツール的なものが好きで、ちょいちょい買ってしまいます。

10徳ナイフみたいな、下記のようなものです。

 

 

ドライバーが付いていたり、栓抜きが付いていたり…。

こんなもん、いつ使うんだという話はさておき、こういうモノが好きなのです。

 

これまた、老舗のSwiss+Techなんかは何年使っていても壊れないのですが、どこで作られたのかわからない謎のメーカーのものを買うと、結構すぐに壊れます。

ドライバーがねじ切れたり、栓抜き折れ曲がっちゃったり…。

単純に機能だけ見たら充足されていますが、やっぱり耐久性が段違い。めっちゃ安いんですけどね。

 

同じく、スマホの充電ケーブルなんかも同じような感じです。

安いもんはすぐ壊れる。

でも、機能は満たされています。

 

安いものが売れている理由は、これではないかと、私は思ったのです。

すぐに壊れる、というのは、少し計測するのが難しい。

2,3日で壊れるものであれば、さすがにレビューでわかるわけですが、数か月で壊れる、と言うレベルになると、なかなか分からない。

結局、商品を選ぶ基準は機能面であり、それがクオリティと称されがちなのです。

 

継続的に使えるか、と言う点は評価が難しい。何せ、時間が必要ですから。

 

■一時的な成果は注目されやすい

これは、日頃の成果においても同じことです。

いわゆる短期的な成果は評価しやすいのですが、長期的な評価は評価しずらい。

 

システム開発において。

要望を聞いて必要な機能を実現することは、評価が分かりやすいです。

できたものを見れば、評価ができるわけですから。

一方、システムを運用していくことの評価はされづらい。

安定運用をするための運用設計というものを行っても、それが適切に機能しているかを測るには時間が必要です。

運用は注目されなくなり、問題が起きたときだけ注目されて怒られる、なんてことはよくあるでしょう。

 

それは、評価が難しいゆえだと思います。

だから、優秀な人は運用ではなく、一時的な成果が出やすいエリアに集まりがちです。

メーカーの人に話を聞くと、エースが開発に行って、二軍が運用をしている、ということがよくあるようです。

 

評価されやすい領域にエースは集約され、評価されにくい領域に二軍が残る。

そんな、構図なのでしょう。

 

■日常的な成果の積み重ねって大事と言いたい

新しいものを生み出すことは、イノベーションなどと呼ばれて難しいとされるプロセスです。

一方で、生み出されたものを維持するというのは、生み出すことに比べたら簡単なのかもしれません。

ですが、世の中は変化していくのですから、本当の現状維持というのは改善しながら変化に合わせていくことなのです。

そう考えると、運用と呼ばれる仕事も常に変化を求められるものなのです。

 

当たり前のことを当たり前に続けるという事が、とても大変なことは皆さんご存知でしょう。

世の中の構造上仕方ないとしても、それが評価されないという現状を私は嘆かわしく思います。

だからどうすべきなのか、その答えは私にはまだありません。

ですが、当たり前のことを、改善しながら続ける。

それは、まさに習慣というものであり、確実な成果につながると伝えたいのです。

 

下記Line登録で、ブログの更新やその他お得な情報をLineの通知でお知らせいたします!ご意見もお待ちしております!

https://peraichi.com/landing_pages/view/5aqzf

 

★終わり★

不都合な真実から目を背けてしまう。だって人間だもの

みなさんこんにちは。

爽一郎です。

 

人間はみな、見たいものしか見ません。

脳が、不都合なものは見えないようにしてしまうのです。

認知バイアスと言われたりするこの脳の癖。

避けることはできないのですが、自分がそうなっている、と認識できれば、対策はできます。

 

私自身、自分が見たいものしか見ていない、と感じた出来事が、最近ありました。

 

■バイアスに支配されていた自分

先日、ある研修がありました。

その研修では、あるテーマについて会議を行い、その会議風景をビデオに撮られます。

そして、会議での参加の仕方、ファシリテーションの仕方などをビデオを見ながら第三者にフィードバックされるというものです。

 

仕事の人との関わり合いについての改善要素をフィードバックされ、今後の自分の成長につなげるための研修でした。

 

そこで、私は下記のようなフィードバックを受けました。

 

「爽一郎さんはイニシアチブをとって会議をリードする点は評価する。

でも、話過ぎで他の人に発言を促したり、意見を聞いたりする姿勢が足りない。

他のメンバーが話辛いように見えた。」

 

私は確かに、ビデオで客観的に見ても一番話していました。

それは、まぎれもない事実でした。

ですが、フィードバックでは「他のメンバーが話辛いように見えた」と言われましたが、そうではないように思えたのです。

 

フィードバックしてくれた方は、さらにこうも言っていました。

 

「自分が思っている以上に、自分の意見を主張する人と話すときは、周りは話辛いと感じていると思った方がいい。

話をもっと振って意見を収集しないと、誰も本音を言ってくれなくなるよ。」

 

正直、その時、私はそんなことはないのでは、と思いました。

 

自分の場合は、みんな本音で話してくれている。

周りが話辛い雰囲気を感じることは、最近ではあまりない。

話しやすい雰囲気、というものを心掛けているからこそ、そのフィードバックを認めたくなかったのです。

 

そうして私は、自分の部下やチームメンバーにそれとなく聞きました。

私と話しているときに話辛くないか、と。

 

もちろん、メンバーは話辛いとは言いません。

それを聞いて、私は安心したのです。

 

が、ここで気が付きました。

自分がバイアスに支配されていると。

 

■信じたいものを信じ続けてしまう

ノーベル賞を受賞した心理学者、ダニエル・カーネマン教授は言います。

人には一度信じたことを揺ぎ無く信じてしまう癖があると。

 

カーネマン氏は、投資家の投資回収率を調査した結果、その回収率はサイコロを振るもと同じようなものであるという結論を得ました。

ですが、投資家は自分たちはプロフェッショナルであり、より高い成功率で投資を回収できると信じています。

それはなぜか、下記のように述べています。

 

妥当性の錯覚とスキルの錯覚は、プロフェッショナル集団の根強い文化にも支えられている。同じ考えを持った人間の共同体に支持されているときは、どれほどばかげた考えであっても、揺るぎなく信じ続けることができるものだ。金融業界のそうした文化を考えれば、あの世界の大勢のプロフェッショナルが、自分たちは他人にはできないことができる少数の選ばれし人間だと信じていても、驚くには当たらない。

 

 

自分にこれまで培った経験とスキルがあり、周りにそれを肯定する人々がいれば、それが真実かどうかに限らず人は自分の力を信じ、過大評価し続けてしまう。

 

私は、「私と話しているときに話辛い」とは言わないであろうメンバーから自分の望む答えを引き出し、ただただ安心しようとしたのです。

私は、自分が得たい結論を得るために、恣意的な答えを探したのすぎないのです。

 

研修でフィードバックされた内容は、きっと事実です。

実際、そのフィードバッカーはそう感じたのですから。

私は話すぎの男であり、周りに圧力を与えていたのかもしれません。

 

世の中には、『エコーチェンバー』なる現象があります。

Wikipediaによると、下記の定義です。

閉鎖的空間内でのコミュニケーションを繰り返すことよって、特定の信念が増幅または強化される状況の比喩である。

 

反・安倍首相の人がいたとします。
ネットの反安倍コミュニティにその人が訪れ、自分の主張が増幅され、もはや反安倍が正しいことでありそれを信じて疑わない、信念になるような状態です。

これも、人は信じたいものしか見ない結果です。

信じたいもの、見たいものを得るために、それを得られるコミュニティに参加します。

そして、ますますその考えは強化されていきます。

そんなコミュニティが無数にネット上に広がっています。

多様化し、ネットで都合の良い情報のみを得やすい状況になったため、「自分にとって不都合な情報はシャットダウン」「見たいものだけを見る」ということが容易になりました。

 

それは人の脳が持つ癖です。

違う意見を取り入れる、ということはその癖に抗うということなのです。

 

癖に抗うことは難しい。そしてその癖は完全になくすることはできません。

ですが、こういう認知バイアスがある、と認識しているかいないかは、重要です。

 

実際、私はこの認知バイアスの存在を知っていたことで、振り返ることができました。

 

偏った考え方をしない、客観的な視点を持つには、自分がどんなバイアスにかかっているかを意識したほうが良いのです。

その、偏った考え方の一つは、見たいものしか見ない、というものなのです。

抗うには、謙虚に、他人の意見を受け入れる。ただそれだけです。

 

下記Line登録で、ブログの更新やその他お得な情報をLineの通知でお知らせいたします!ご意見もお待ちしております!

https://peraichi.com/landing_pages/view/5aqzf

 

★終わり★