凡人が成果を出すための習慣

残業ゼロで成果を出すには、どうしましょうか?

誰かのしわ寄せを食う。そこに挑む場合のマインドってどうしたら良いの?

みなさんこんにちは。

爽一郎です。

 

雑な仕事の振り方。

無理な納期。

恐怖政治的なチームリーディング。

 

マネジメントやリーダーシップの知識不足から引き起こされる、そのような状況はこの世の中にいくらでも存在します。

そんな理想的とは言い難い状況。

その中でも、何か得られるものはないでしょうか。

 

■残念ながら、理想的ではない状況を完全になくすことはできない

私は過去、次のような記事を書きました。
 

両方、伝えたいメッセージは

 

「雑な仕事、無茶ぶり、そういったマネジメントの怠慢は無いのが理想。

 だが、なくなることはないので、そんな仕事も適切にこなせるようにするスキルを身に付けたほうが良い」

 

ということです。

 

企業で生活をしていると、そんな理想的ではないマネジメントやリーダーとしての怠慢は、やはりなくならないものと再認識させられます。

 

例えば。

より生産性の高い職場にするため、私の部署でみんなが話しやすい雰囲気を作ろう!という取り組みが立ち上がりました。

具体的には下記のようなアクティブリスニングの一部を皆にやってみてもらおうという試みをしたのです。

・話をさえぎらない

・否定する場合も、一度受け入れてから

・人を責めない

・うなずく

 など

 

ですが、一部の方々から、下記のようなフィードバックがありました。

「そんなぬるま湯のような環境を作ったら、この部署の外と会話する時に挫折する社員を育ててしまう」
 
いつか業務の負荷がかかって忙殺されたときに備えて、普段から仕事の負荷を増やす上司。
いつか誰かから仕事を丸投げされるときにも対応できるように、普段から雑な指示を出すマネージャー。
いつか威圧感のある人と交渉するタイミングがあるかもしれないから、普段から威圧感と否定を持ってメンバーに接するリーダー。
 
そんな「将来に役立つように、わざと辛い環境にしている」というマネジメントのスタイルがあります。
ぬるま湯、と表現されたフィードバックも、そういう考えから生まれたものです。
 
私は、これは容認すべきでないと考えています。
本来は、業務は効率良くなされるようにマネジメントすべきであり、みなが話しやすい環境をつくるのが真のリーダーシップです。
いつか来るかもしれない苦境に備えるなら、トレーニングとして特別に機会を設けて方法論を教えるべきなのです。
あるコンサルティング会社では、教育として非常に厳しいクライアントへの対応を想定したロールプレイをすると言います。
それは、実際の厳しいクライアントと対峙するには必要なトレーニングでしょう。
ですが、普段の業務で上司と部下で接する時には、そのクライアントのような振る舞いをするわけではありません。
あくまでもトレーニングとして、厳しく接する機会を作っているのです。
これが、本来あるべき「いつかくる苦境への耐性を作る方法」でしょう。

 

苦境を前提としたトレーニングを普段の業務の機会で平然とやってのけるのは、ただのマネジメントの怠慢です。

業務効率やチーム力を犠牲にしてまで、博打のようなトレーニングを続ける理由があるのでしょうか。

それは、マネジメントしない理由をでっちあげているだけのようにしか、私には思えないのです。

 

が、そんな人々は確実にいるのです。

これは、マネジメントをしない理由の一つに過ぎません。

マネジメントをしない人、できない人は、確実にいるのです。

 

そう考えると、マネジメントやリーダーシップがあれば回避できる苦境も、残念ながら、完全になくすことはできないのです。

 

■作り出された苦境にはどういうマインドで向かえばいいのか

個人的には無くなるべきだと考える、マネジメント不備で起きた苦境。

例えば、超短納期で、かつ抽象的な内容の資料作成を、ろくな指示もなく依頼される。

例えば、会議で殺伐とした態度をとられる。

 

あなたがマネジメントする立場なら、なくすべきです。そういう苦境は、明確なトレーニングとして区別し、メンバーに機会を与えましょう。

ですが、誰しもマネジメントを受ける立場でもあるはずです。

企業にいる限りは、誰かに何かを指示されるでしょう。

そんな時に降りかかる、誰かのせいで引き起こされた苦境は「これはトレーニングなのだ」と認識するのが精神衛生上良いです。

 

ブラック企業は無くなるべきものです。

そんなブラック企業について、無理やり良い点を挙げるならば、従業員に高負荷をかけて、それに耐えうる人材を多少なりとも作り上げていることです。

なお、私は決してブラック企業を肯定しているわけではありません。

なにせ、ほとんどの人がそんな高負荷には耐えられずに体を壊したり、精神を病むのだから、あって良いものではありません。

が、ブラック企業に勤めていた人の一部に

「あの企業は辛かったけど、超高負荷の中で徹底的な仕事の効率化を考えせられたから、今思うと良い経験だった」

なんて言う人もいます。

繰り返しますが、ブラック企業は無くなるべきです。

ここで私が言いたいのは、そんなブラック企業の極悪な経験からでも、得られるものがある人もいる、ということです。

 

ブラック企業のように人を潰すことは許されることではありません。

ですが、ブラックとは認知されないレベルのマネジメントの不備はそこら中に転がっています。

雑な指示や、むちゃぶりや、話しづらい態度。

適切なマネジメントを知らない人もいるし、そもそもそんなものいらないと考える人もいます。

 

そんな苦境を目の前にしたとき、ただただ無能なマネジメントを憎悪するのが良いことでしょうか?

これは「トレーニング」と言い聞かせられるならば、得られるものも見えてくるかもしれません。

 

もちろん、その苦境がブラックであると感じるなら、環境を変えることを強くお勧めしますが。

 

 

★終わり★