みなさんこんにちは。
爽一郎です。
ビジネスではゴールを決め、そのに向かって行くという方法が良しとされています。
また、私はコーチングというものを行っています。
その効果の一つは、クライアントのゴールや得たいものを明確にし、そこに向かうエネルギー増加と行動を促すということです。
つまり、ゴール・目的・目標といったものを明確にし、そこに向かう具体的な行動を続けること。
それがより良い自分になるために最善の方法と、私は思っています。
ですが、そうではない生き方でも幸せを手に入れられる、とも最近は思っています。
それは、ゴールではなく、知的好奇心に任せて生きる、という生き方です。
■資格とりまくりな人々
私の周りには、大量の資格を取っている人が何人かいます。
多くは今の仕事のため、とか転職のため、キャリアのため、という堅実な理由で取得した人たちです。
ですが、数人、キャリアは全く関係ない多彩な資格を持つ人たちがいます。
一人の例を挙げると、ソムリエだの、お茶の資格だの、キャリアカウンセラーだの、様々なジャンルの資格を持っています。
なぜそんなに資格を持っているのかと彼らに問うと、返ってくるのは下記のような言葉です。
「なんとなく」
「面白そうだから」
つまるところ、ただただ知的好奇心から大変な勉強をし、資格を取っているというのです。
何かのゴールのためではなく、面白そうだから、という理由がモチベーションになっているのです。
そして、そういう人たちの雰囲気は、なんというか「ゆとりをもって楽しそうに生きている」感じがします。
とは言え、サンプルが私の周りに数人だけなので全ての人に当てはまるかは分かりませんが、共通点はありそうです。
きっと、幸福度チェックなんてものができるとしたら、彼らの幸福度はきっと高いのではないか。そんな気がします。
ゴールを決めてそこへ向かうという生き方は、今でも私は充実感のある生き方だと思っています。
ですが、彼らを見ていると、ゴールにとらわれない生き方も幸せなのかもしれない。そんな気がしたのです。
■ゴールや目標はストレスにもなりうる
目標というものは、時にストレスとなります。
心理学に精通したニューヨーク大学のマーケティング学科准教授であるアダム・オルター氏。
彼は、著書『僕らはそれに抵抗できない』で目標というもが人にモチベーションを与えることを述べる一方で、下記のようにも述べています。
『おそらく、人生に大きな目標を掲げると、それ自体が人間にとって多大なストレス源となるのかもしれない。目標が失敗すれば失望するし、成功すれば次を目指さねばならず、結局心の休まるときがないからだ。しかも現代において、このがんじがらめの苦しさは、過去とは比べものにならないほど強くなった。現代は目標追求文化の時代だ。強迫観念的な完璧主義や自己評価が蔓延し、労働時間は長時間化し、娯楽が後回しにされている。』
目標を達成したいという気持ちは行動力を生む。
それを私は信じています。
が、目標に近づけば達成感はあるものの、達成が見えなければ焦燥感に変わる。
目標を掲げると、それを達成しないと!という焦りが生まれることは確かに経験としてあります。
■ゴール設定せず、好奇心のままに生きて成果が出ることもある
一方で、ゴールや目標に頼らず知的好奇心に任せて生きるというのは、「どこへ向かっているの?」という博打感はあるものの、楽しい生き方だと思います。
そして、その博打感のある生き方もあながち悪いものではないと、スティーブ・ジョブズ氏の伝説的スピーチが思わせてくれます。
記事からの引用
『将来をあらかじめ見据えて、点と点をつなぎあわせることなどできません。できるのは、後からつなぎ合わせることだけです。だから、我々はいまやっていることがいずれ人生のどこかでつながって実を結ぶだろうと信じるしかない。』
知的好奇心に任せて勉強を続ける人は、ジョブズ氏の言う「点」を大量に作り出している状態です。
もしそれがつながれば…。そして、点は多ければ多いほどつながりやすいのは想像に難くありません。
楽しくスキルを磨き、それがいつのまにか成果を出す武器になる。焦燥感とは無縁の成果の出し方です。
手前みそですが、私も知的好奇心は低いほうではないと思っています。
が、ゴールを決めて行動するという生き方をしがちなので、どうしてもゴールよりの知識に偏ります。
あれが面白そうだから、勉強してみよう!という発想は、あまりありません。必要そうなものが面白そうに見える、そんな思考です。
もしかすると、知的好奇心のままに勉強を続けられる人は、世界が面白いもので溢れる遊び場に見えるのかもしれません。
そこから考えると、彼らが面白いと言う理由で資格をとる様を羨ましく思うのです。
そんな生き方も幸せだろうなぁ、と。
★終わり★