こんにちは。
爽一郎です。
Go Toキャンペーンが始まりましたね。
とは言え、政府の対応が直前で変わったりと、世論の印象は良くないように、メディアは伝えています。
私個人としては、何にせよやらないよりやる方がよい、と言う考えです。
よって、いろいろ混乱はあるものの、観光地に行く人は増えるでしょうから、良い政策なのだと思います。
と言いながら、Go Toキャンペーンの良し悪しを伝えたいわけではありません。
こういった、新しいルールを作るのは大変です。
ルールを作るというのは、それだけで偉い。
今日は、それを伝えるための記事となります。
■誰かが何とかしてくれる
熊本で豪雨となり、川が氾濫して災害となりました。
今でも、避難所生活の方がいる状況が続いています。
少しでも早い復興を祈るばかりです。
この件において、メディアで放送されていたのが、ダムがあったら災害はなかったのでは?という話です。
ダム建設が反対され、ダム以外の河川氾濫対策として政府は川の底を深くしたり、堤防を高くする工事を進めていた。
が、大きな川なので途方もない事業であり、完遂には50年かかる。
よって、今回はその対策は間に合わず、氾濫してしまった。
ダム建設の反対は正しかったのか?
そんな論調でした。
ダムを作ると、水の下に豊かな自然が沈んで失われる。
ただ、ダムが無いと災害が起きる。
これは難しい選択です。
私に答えはありません。
ただ、一つ言えるのは、災害対策もできて、自然も失われない選択を考えてくれ!と誰かに求めることは、無理難題を吹っ掛けているだけなのです。
全てのことを充足させるルールを作ることは、ほぼ不可能に近い。
無茶な要望として思い出す例が、もう一つあります。
過去、IS(テロ組織のイスラミックステート)が後藤健二氏を拉致・拘束し、身代金を要求した挙句殺害した凄惨な事件がありました。
後藤氏が殺害される前、テレビでアイドルがこう言ってました。
「身代金も支払らなくて、後藤さんが助かる方法を安倍さんには考えて欲しいです」
すぐさま、周りにいた評論家たちに、そんな方法あるか!と突っ込まれていました。
基本的に、自分の手が及ばないこと、と認識すると、人は誰かに頼ろうとします。
親に、政府に、神に。
無理な要求をしてしまうのです。
誰か、完璧なルールを作ってくれ!と。
■自分でルールを作らねばならないとき
権限のある人が、ルールを作るべき。
だから、自分は作れない。
としても、自分なりにルールを決めなければならない時はあります。
例えば、災害時の避難。
こうなったら避難する、というルールが明確じゃないから、避難しなかったという方は多くいた、とメディアでは報道されています。
ですが、それで命を落としても、誰もその命の責任はとってくれません。
ルールが無ければ、自分でつくらねばならないのです。
ないと困るのは自分なのだから。
ルールは偉い人だけが作るものではありません。
作らないと困る人が、作るものなのです。
自分がないと困るルールを、人に頼るのは、間違っています。
多くの人が同調しなければならない、だから指示できる権限を持つ人がルールを作るべき。
それはその通りです。
かといって、誰かが作らないからと言って何もしなければ、困るのは自分です。
また、例を出しましょう。
幼稚園の運動会というものは、場所取りがなかなか大変です。
戦争です。
みな、我が子を良いアングルでカメラに収めるため、最前列を狙います。
幼稚園側が決めたルールは、朝8時からいっせいのーで場所をとってよい、というものだけです。
基本的には、8時になると幼稚園入口のロープがはずされ、保護者は一斉に走り出し、各々シートを引いてグラウンドで場所をとります。
個人勝負ですね。
ただ、個人勝負よりも強いのは、チームプレイです。
私は個人で取っていたので、小さな区画をとるので精一杯でした。かつ、最前列ではありません。
一方、何家族かが一丸となり、チームプレイで場所をとっている人々がいました。
圧倒的な強さです。
8時の号令とともに、横に広がって最前列をとるわけです。
勝てません。
それで起きるのは、一部の組織による寡占状態。
そして、もう一つあるのは、各人が場当たり的に場所をとっていくことで微妙な隙間ができます。
詰めて場所をとれば、もっとたくさん座れる場所が捻出できるでしょうが、謎の隙間がたくさんできるのです。
そう考えると、場所をとれなかった人からすれば、幼稚園は区画整理せよ!寡占を許すな!と運営に求めることになります。
いわゆる、ルール作ってくれ、です。
その気持ちは、私も分かります。
私も場所取りの勝者とは言い難かったので、その気持ちはありました。
ただ、幼稚園がルールを決めてくれないからこそ、複数家族で動いた人々は、自治組織として彼らの中でルールを作ったのです。
ルールを考えるのはめんどうです。
幼稚園側も考えるのは面倒だろうし、仲良し家族同盟だとしても、場所をとった後の区分けはルール作りがいるでしょう。
誰がどう動くの?なんて役割分担も必要で、言い出しっぺは面倒だったでしょう。
家族同盟は、自治組織としてルールを作ったからこそ、場所を手にしたのです。
■ルールを破らねばならないとき
また、ルールが決められたとしても、守るれないものもあります。
コロナ渦中で、たくさんのルールが作られました。
店の営業が制限されたり、外出が制限されたり。
皆を守るためのルールです。
ですが、そんなルールを破る企業もありました。
避難はされましたが、一部は、仕方ないものと私は思います。
そりゃ、倒産するならルールを破ってしまうのは当たり前だと思うのです。
ルールは守るべきものでしょう。
ですが、守って不幸になるルールを守るかどうかは、当人が考えるべきです。
もちろん、原則として法律は守るべきです。
が、それを守っていたら死ぬ場合は?
私なら法律という固いルールだとしても、破ることになるでしょう。
死にたくはないですから。
■ルールを考えるのは、とにかく大変
何が言いたいかと言えば、ルールは作ることが大変と言うことです。
前述のとおり、人によっては従えないルールもあります。
そんな人からしたら、なんでこんなルールにしたの?という不満になる。
可能な限り、万人に対応したルールを考えようと、ルールの策定者は思っているはずです。
ですが、全ての人が納得するルールなど、ほぼ不可能です。
”例外のないルールはない”
そんなことわざが海外にあるようですし。
なんにせよ、人間は考えることをとにかく避けます。
みんな、なにかに従いたいのです。
そんな、従う基準となるルールを考える人は、さぞかし大変です。
フワッとしたことを明確にする。
いろいろな要望がある中で規則を作る。
これらは大変なことで、それだけでご飯が食べていけるようなスキルです。
そんなことばっかり求められる政治家ってすごいなぁと思います。
ストレスもすごそうですが。
ですが、ルールを考える人は、代わりに他の人のストレスを下げているのです。
考える、というコストを、代わりに引き受け、みなが行動しやすいようにルールを決めているのです。
ルールを決める人は、すごい。
私はそう思います。
★終わり★