こんにちは。
爽一郎です。
非常に考えさせられる本を読みました。
『わかりやすさの罪』という本です。
少し内容を引用します。
『企画書は1枚で、とか、伝え方が9割、とか、シンプルで明確であればあるほど、優良だと即断されるようになった。情報を受け取る人たちに余計な負荷をかけてはならないという営業マインドが、そこに存在していたはずの豊饒な選択肢を奪ってしまった。』
わかりやすいものばかりに触れていると、いろいろな選択肢を考えるとか、前提を疑うということをしづらくなる。
わかりやすいものは、誰かが恣意的に何かをそぎ落として説明したものだから。
そういったことが書かれた本です。
わかりやすく伝えることがビジネスでは重要で、そのことを一生懸命考えていた私には、新鮮な考え方だったのです。
ただ、こういう本が書かれてそりなりにアマゾンでも高評価を得るという背景は、逆説的に人々がわかりやすい明確なものを求めるからです。
そこに警鐘を鳴らした本なのですからね。
ビジネスでは分かりにくい説明はみんなの時間を奪うコストとみられます。
結局、なるだけ頭は使いたくない。しんどいですから。
だから、理解しやすい、脳への負荷が少ない、分かりやすいものを求めます。
わかりやすく、いかに説明できるか、は一つの重宝されるビジネススキルです。
私は難しい書かれ方がした本も時には読みますが、わかりやすい本のほうが好きですし、仕事で誰かに分かりにくい指示をされたら苛立ったりもします。
私もまた、わかりやすいものを求めているのだと感じています。
人間、考えたいこと以外を強制されて考えたくないものなのです。
だから、人に動いてもらうためには考えたいことを考えさせるしかない。
もしくは、考えたいと思わせるしかない。
私はそう考えています。
■なぜ答えを教えてくれないのか
私が大学生の頃。
授業のレポートで、社会人へのインタビューが必要となりました。
その際、大学の保健室的な場所にいる医者へインタビューしました。
どんなレポートだったか、何を質問したのかも忘れましたが、その医者は直接的な回答をしませんでした。
こちらに質問を投げ返してくるその医者へイライラしたことを覚えています。
答えを教えてくれよ。
なぜ聞いてくるんだ。
そう思ってイライラしたのです。
今思えば、その医者にはこちらに考えさせ、気が付かせる意図があったのだろうと思います。
大学勤務で、そういったインタビューも多かったのだと思います。学生に考えさせるということを是と考えていたのかもしれません。
いわゆるコーチング的手法で、答えを直接的に教えずに、学生である私に考えさせようとしたのでしょう。
その時の私は謙虚ではありませんでした。
すぐに目的が達成できる答えを欲しました。
なおかつ、答えが気に入らないものなら不平不満を言ってたのだと思います。
自分では考えず、答えを欲して、納得できなければ文句を言う。
最悪だなぁ、と今では思います。
コーチングの世界で『コーチャブル』という言葉があります。
これは、コーチングを受けて効果があるという意味です。
コーチャブルな人、と言うと、コーチングを受けて効果がある人。
コーチャブルではない人は、コーチングが功を奏しない人です。
コーチングはクライアントの目的達成を早めたり、自分自身で気付きを得てもらうためのツールです。
やる気のない人をやる気にさせるものではありません。
コーチの質問に対して、素直に考えることができる人でなければ、気付きもありません。
シリコンバレーでGoogleやAppleの経営者にコーチとして従事し、慕われ続けたビル・キャンベル氏というコーチがいました。
シリコンバレーの名だたる企業の立役者として、生み出した価値に敬意を表して1兆ドルコーチと呼ばれています。
ビル氏は亡くなったのですが、死後にGoogleのCEOを務めたエリック・シュミット氏らが彼のことを書いた本を出しました。
その中で、ビル・キャンベルはコーチャブルな人間にしかコーチングをしなかったというエピソードがあります。
『「でもそんなことはどうでもいい」とビルは言い放った。「私が知りたいのはただ一つ。君はコーチングを受け入れられるか?」ジョナサンは反射的に、そしてまずいことにこう答えた。「コーチによりますね」まちがった答えだ。「利口ぶるやつはコーチできない」ビルはぴしゃりと言った。彼が面接をおしまいにして、立ち上がって出ていこうとしたその瞬間、ジョナサンはエリック・シュミットが誰かにコーチングを受けているらしいという話を思い出した。まずい、これがそのお方にちがいない。ジョナサンはお利口モードから平身低頭モードにすばやく切り替え、さっきの答え(答えにもなっていなかったが)を撤回し、どうか面接を続けてくださいと懇願した。』
そして、ビル氏にとってのコーチャブルさとは、次のようなものだと言います。
『ビルが求めたコーチャブルな資質とは、「正直さ」と「謙虚さ」、「あきらめず努力を厭わない姿勢」、「つねに学ぼうとする意欲」である。』
世界最高と呼ばれたコーチも、謙虚に考える姿勢がある人間にしか時間を割かなかったということです。
大学のころの私は、コーチャブルではなく、謙虚に考えたくないことでも考えて成長するなんて真似はできなかったのでしょう。
ようは、考えようとしない人に考えさせることは、世界最高のコーチもしなかったほどに効果が低いことなのです。
■考えたくないのは、自然なこと
冒頭の『わかりやすさの罪』にあるように、世の中分かりやすい答えをみんな欲します。
自分で出した結論だって、他者からの意見などでさらに複雑にしたくないものです。
もっとみんな考えろよ、わかりやすいものばかり求めるなよ。
そう言いたくなる気持ちはあります。
でも、自分もそれを求めていることを理解しているし、前述した通り、考えない人を考えさせることは難しいことです。
コーチャブルかどうかの外の話として、ビジネスが『思考に負担を書けない分かりやすい説明』を前提に形作られているということも事実です。
繰り返しになりますが、ビジネスでは時間をかけることはコストです。
上司の時間は、自分のそれよりも貴重なものです。
だから、要約してわかりやすくしなければ、承認は得られません。
大量の時間を上司や同僚に使わせることは、コストを支払わせるということです。
成果をコストをかけずに出すことが、ビジネスでは求められる。
効率化のために。
よって、分かりやすいものを求めることはビジネスにおいては合理的なのかもしれません。
より考える方が、より最適解にたどり着くというのは正しいでしょう。
時間をかけ、複数の選択肢を検討し、ベストアンサーを導き出す。
はい、これがベストアンサーですよ〜と誰かからわかりやすく言われると楽でありがたいですが、それが本当にベストかは分かりません。
とは言え、すべての物事を深く考えることなんて、全知全能の神か暇な人間にしかできないことです。
世の中は、みな思考力をセーブしてわかりやすいものを求める。
そういうモノだとして受け入れる必要があります。
■考えたいと思わせるものがある
が、例外的に分かりやすくないことがさらに自主的に考えさせる、という例があります。
ジブリの映画は、良くストーリーが深読みされています。
『となりのトトロ』や『崖の上のポニョ』では主人公たちが死後の世界を旅しているのではないか、とか。
『エヴァンゲリオン』が私は好きですが、話が分かりにくい、というのが一つの魅力であるようにも思えます。
これらは、分かりにくいがゆえに解釈が分かれるからでしょう。
ジブリ作品の不明瞭な部分を考えて、自分なりに理解したいから思考力をさく人が多いのです。
公式がもっと分かりやすいジブリ解説を出したら?
きっと物語の魅力が喪われるでしょう。
それは、考える、という余白がなくなってしまうからです。
よく分からないものを解き明かしたい。
その欲求が思考力を生みます。
エンターテインメントの世界だけじゃありません。
ビジネスにおいて役立つらしいロジカルシンキングを身に着けたいから、自分なりにどう使うか解き明かしてみたい。
この案件の進め方がわからないから、解き明かしたい。
そんな欲求が無い限り、人は思考力をさきません。
逆に、そんな欲求があれば人はコーチャブルになるのです。
ビジネスにおいて、まずは自分が人にわかりやすく伝えようとすることは、正しいことだと思います。
ただ、人に明確な答えを伝えずに考えてもらおうという場合は、その人が考えたいと思っているかをまずは確認したほうが良いのです。
コーチャブルな人には考えてもらうことことは有効ですが、それが当てはまる人は決して多くはありません。
なんでもかんでも考えさせようとする人は、ビジネスではコストを強要してくる人、と映ってしまいます。
考える人を選んで、考えさせる。
これが人と協働する時に必要なことなのだろうと思うのです。
★終わり★