こんにちは。
爽一郎です。
『内村のツボる動画』という番組が家でついていて、何の気なしに見ていました。
番組の中で、バズる動画対決がなされていました。
<日向坂46>ハリセンボン春菜とのコラボMVでテレ東アナ軍団と対決 制作舞台裏、結果も(MANTANWEB) - Yahoo!ニュース
ハリセンボンの春菜が作る動画と、局アナウンサーが作る動画。
どちらの動画がより再生数を稼げるか。
つまりはどちらの動画がよりバズるかを勝負するという企画でした。
結果はハリセンボン春菜の圧勝でした。
ハリセンボン春菜が大人気アイドルである日向坂46を動画に使ったことで、勝利したというような展開。
大人気アイドルの力で勝利したことを受けて、司会のウッチャンこと内村光良さんがこう言ってました。
「他人のふんどしなんです!
てめぇのふんどしで相撲をとってほしかった!」
春菜自身の力ではなく、日向坂46の力で再生数を稼いだのだと。
他人のふんどしで相撲を取る。
悪い意味でつかわれる慣用句です。
『相撲を取るには褌がなくてはならないが、自分の褌がないならやめればよいのに、他人の褌を出させてそれを使い、うまいことする意味から。
他人のものを利用して、ちゃっかり自分の目的に役立てるずるさをあざけって言う。』
ハリセンボン春菜は確かに日向坂46という、他人のふんどしを使ったのでしょう。
ただ、その勝利が圧倒的すぎて、私は驚きました。
他人のふんどし、すごすぎる、と。
こんなすごいなら、使っていかないともったいないじゃん、と。
■2倍以上の再生回数の差
ふんどし力を語るために、もう少しその番組の内容を細かくお伝えしましょう。
ハリセンボン春菜の動画は日向坂46の『ドレミソラシド』という歌のPVチックな作りです。
ダンスする日向坂46の合間に、春菜が面白おかしくチャーハンを作ったり、大物プロデューサーっぽく振舞ったり、コント的なものを挟みます。
なお、その動画はこちらです。
対するアナウンサーチームは、米津玄師の『感電』という歌をアナウンサーたちが演奏し、歌うという内容です。
なお、その動画はこちらです。
アナウンサーチームは楽曲の演奏練習、歌の練習に時間をかけているようでした。
明らかに準備時間はアナウンサーチームのほうがかかっていたでしょう。
ですが、蓋を開けると再生数 78万回 対 31万回 でハリセンボン春菜の圧勝。
私も内容から春菜が勝つとは思っていたのですが、予想以上の圧勝で驚きました。
かけた時間はアナウンサーチームの方が上。しかし、努力では勝てなかったのです。
ハリセンボン春菜の動画は、日向坂46というすでにアイドルとして成功したパッケージ化されたものに、春菜の笑いというパッケージ化されたものを付け加えた、いわば加工品です。
アナウンサーチームは楽曲の『感電』は加工品ですが、演奏パフォーマンスという意味ではフルスクラッチです。
加工品に比べて、一から作るものは労力がかかります。
そして、その労力に見合わず加工品はアナウンサーたちから勝利をかっさらいました。
そんな春菜の作った加工品をウッチャンは他人のふんどしと呼んだのです。
ここから言えることが2つあります。
・加工品は短時間で成果が上がる
・イノベーションは難しい
何を言っているのか?
ちょっと書きたいと思います。
■加工品は短時間で成果が上がる
テレビから離れて大げさな話になりますが、人間は前時代の知識を糧に成長してきました。
例えば物理学。
17世紀にガリレオやデカルトが数理物理学を形作りました。
数学的に物理的な現象を表すということ、実証実験で仮説を証明するという基本理念を元に、その後の物理学者たちは物理学を発展させていきます。
有名なアインシュタインの相対性理論だって、それまでの物理学者たちの積み重ねが無ければ、一代で作られるものではなかったものなのです。
学問と言うものは、大体そうやって前時代の知識を次の時代が昇華して出来上がっています。
また、次の世代が過ちを侵さないというのも前時代の経験則です。
戦争が前時代に比べてなくなったのは、戦争が人命や様々な資源を失う悪手だということを前時代が学んだからです。
個人が本を読むこともそうです。
前時代とまで言わないものの、他の人が過去に考え、実践し、まとめた知識を得ています。
いわば、知識を得て、それを加工し、生活に役立てているのです。
そして、加工元の完成度が高ければ高いほど、楽に成果が出せるものです。
例えば、
プレゼンテーションの方法。
資料の作成方法。
会議の進行の仕方。
そういったものは話し尽くされたテーマで、完成度が高い。
だから、その知識を加工するだけである程度成果は出せます。
何も知識なくプレゼンテーションしたり会議するよりは、本やセミナーで得た知識を実践するほうが成果が上がるのは、当然のことでしょう。
日向坂46というすでにファンが多数いる完成度のものを加工すれば、バズる動画としては簡単に成果が出せたのです。
成果が上がりにくいフルスクラッチを選んだからこそ、アナウンサーチームは成果が上がらなかった。
実際、私にはアナウンサーチームの動画は、歌が上手い人たちが歌を歌っている、程度のできに見えます。
■イノベーションは難しい
この動画対決から思うこと。
そのもう一つは、イノベーションは難しいということです。
完成度の高いものを加工するだけではイノベーションにはなりえません。
社会的に何かを変えるほどのインパクトはありません。
なにせ、これまでやってきたことの焼き直しになるわけですから。
アナウンサーチームの動画が仮にバズっていれば、アナウンサーに新たな生き方が生まれたかもしれません。
イノベーションとまでは言えないでしょうが、春菜の動画がバズった状況に比べれば、社会への影響はあったでしょう。
ですが、日向坂46には全く勝てなかった。
加工しないもので成果を出すことは、とても難しい。
(なんだかんだで局アナウンサーというパッケージの加工なので、再生数が31万回もあって成果が全く出てないとは言いませんが)
イノベーションとは、他人のふんどしで相撲が取れないものなのです。
だからと言って、加工品にたよらずに変に付け焼き刃的なオリジナリティを出すのもまた、成果に繋がりにくい。
よっぽどの独創性ある天才でもないかぎりは。
では、凡人はイノベーションなんて目指さずに生きてればよいのか?
と言うと、そうでもありません。
かのドラッカーがこう述べています。
『静的な経済には、企業は存在しえない。そこに存在しうるものは、手数料をもらうだけのブローカーか、何の価値も生まない投機家である。企業が存在しうるのは、成長する経済のみである。あるいは少なくとも、変化を当然とする経済においてのみである。そして企業こそ、この成長と変化のための機関である。 したがって企業の第二の機能は、イノベーションすなわち新しい満足を生みだすことである。経済的な財とサービスを供給するだけでなく、よりよく、より経済的な財とサービスを供給しなければならない。企業そのものは、より大きくなる必要はないが、常によりよくならなければならない。』
イノベーションを起こせるか起こせないかは別として、それは企業が目指すものです。
企業人である限りは、それを意識することは求められます。
そして、ドラッカーはイノベーションには知識が必要であるという点についても述べています。
『つまるところ、成果を生み出すために、既存の知識をいかに有効に適用するかを知るための知識がマネジメントである。しかも今日、知識は、「いかなる新しい知識が必要か」「その知識は可能か」「その知識を効果的にするためには何が必要か」を明らかにするうえでさえ、意識的かつ体系的に適用されるようになっている。知識はイノベーションにも不可欠である。』
知識がないとイノベーションは起こせない。
しかし、完成度の高い知識を加工するだけではイノベーションは起こせない。
だから、我々はまず加工品を通じて知識を得なければなりません。
その上で、オリジナリティができあがり、そのほんの小さな一部がイノベーションになる。
結局、加工品を取り入れながら少しずつオリジナリティを発揮することが凡人のやり方なのだと思うのです。
変に何かを生もうとオリジナリティを追求するより、他人のふんどしで相撲を取り続けて生まれる何か。
それを目指す方が成果が出るのです。
★終わり★