みなさんこんにちは。
爽一郎です。
先日、昔の上司と話す機会がありました。
その上司も熱い人なので、なんだかんだで仕事論みたいな話になったのです。
その時「コスト意識って大事だよね」という話題になりました。
こういうことを考えるというのが、コスト意識かな、と私は思っています。
もっと抽象的に言えば、自分が費やす時間、行動はどんなコストがかかっていて、それによってどんな価値を生み出しているか。
そして、その価値はコストに見合っているか。
ということです。
■コスト意識はビジネスには必須
ビジネスにおける時間も、給金をもらって仕事に時間を費やしてるので、金です。
コンサルタントという職業は商品が人であり、加工費がほとんどないので、コスト意識の重要性は顕著です。
こんな記事があります。
『一人ひとりのコンサルタントの付加価値とは、その人の売り上げで計られる。クライアントに高い付加価値を提供するコンサルタントは、引く手あまたで稼働率が高くなる。その一方で、時間当たりフィーに比べて、いい提言ができない人、付加価値を生み出せない人は、稼働率が落ち、年間の売り上げも下がる。』
コスト意識がないとダイレクトに評価が下がる世界です。
ただ、これはコンサルタントはコストが見えやすく顕著というだけで、ビジネスの世界では共通したルールです。
私がアメリカ出張に行けば、うん十万の金がかかります。
それでどんな成果を出すべきか、なんて考えると結構プレッシャーを感じますね。
ビジネスにおいてコストは思ったよりもかかっているものであり、意識しないと浪費してしまうのです。
私の元上司は
「時間をコストと捉えて、自分の時間を何に使うべきかを考えられない人はダメ」
というようなことを言っていました。
給料の高い人の1時間は、給料の低い人の1時間とはコストが異なります。
だから、部長という役職の人が電話番を行うべきではなく、電話番という利益を生むかどうかわからないような仕事はもっと低コストな人がやるべきなのです。
それでも電話番をしちゃうような部長がいたら、それはダメ。極端に言えば、そういう話です。
■コスト意識が低いと、コストを人に強要することになる
さて、極端に話しましたが、実はこんなコスト意識のない行動は、大量に見かけます。
特に、「人のコスト」に目を向けたときにコスト意識がおざなりな行動が多く見受けられます。
例えば、先日ある会議に参加しました。
30人以上が参加する会議で、1.5時間の予定でした。
が、会議のファシリテーションもよろしくなく、質疑応答などが延々に続くしタイムマネジメントもできていない。
そんな状況で結局会議は3時間に及びました。
そして、その会議の成果はというと、いまいちであり、いわゆる典型的なグダグダ会議です。
この場合、30人の時間をコストとして使ったにもかかわらず、大した成果が出なかった、という損害を与えています。
これを反省もせずに何度も繰り返せば…。その会議の主催者は会社からは損害を与えるお荷物と認定されても無理はありません。
例えば、メールでの依頼。
メールは、送った相手に「読ませる」という時間的コストを支払わせるコミュニケーション方法です。
そんなメールにおいて、長いうえに何を伝えたいのか要領を得ないメールが来ることもあります。
これは、相手に「長いメールを読み、伝えたい内容を時間をかけて理解させる」というコストを支払わせる行為です。
コスト意識から考えれば、相手が早く理解でき、送り手側の意図が伝わる文面であればあるほど、読み手のコストが下がります。
分かりにくい長文メールを送り続ける人は、コスト意識が低いのです。
ホリエモンこと堀江貴文氏は、コスト意識の低い人を「自分の時間を奪う存在」として痛烈に批判しています。
電話はこちらの時間を奪うコミュニケーションだから電話には出ない。
道端でファンらしき人から声をかけられても、時間が奪われるからそっけなく対応する。
ここまでできるのは社会的強者である必要があるかもしれませんが、堀江氏は自分の時間を適切なコストとして費やすため、時間を奪う他人とは関わらないようにしているわけです。
冒頭で話した上司はこう言ってました。
「世の中みんながコスト意識をもっと持って仕事したら、成果は上がるだろうね。」
自分のコスト、そして人に支払わせたコストを使って、どんな成果をあげているか。
そんなことを考えると、自分の行動について見直さねば、と襟を正す思いでした。
★終わり★