凡人が成果を出すための習慣

残業ゼロで成果を出すには、どうしましょうか?

プロフェッショナルに必要なことは『なんとなく』を撤廃すること

こんにちは。

爽一郎です。

 

プロフェッショナルって何?

この問いには、いろいろな答えがあるでしょう。

 

あ、NHKの番組ではないですよ。

ただ、第一線で活躍するプロの持つ特性や意識って何だろう、なんてことを考えると、仕事において成果を出すためのものが見えるのではないか。

そんなことを考える時があるのです。

 

私が思うプロフェッショナルな人が持つ特性として、次のことがあります。

 

行動一つ一つに、論理的な根拠がある

 

■プロの行動に、意味がないものはない

料理、しますか?

私は全然しません。

 

料理界においてトッププロの証とも言える、ミシュランの星。

そんなミシュランの一つ星を得たプロの料理人について、下記の記事があります。

 

blog.tinect.jp

例えばだが、豚肉の生姜焼きを作るとしよう(注・実際には豚肉の生姜焼きを作る動画はないです)

普通の人ならレシピをみて、食材を切って、炒めて、味付けして完成である。

素人がやると、これら一個一個の動作はバラバラである。

もっというと、動作と動作の間に繋がりがないし、何のためにこれをやるのかの目的意識がない。

それをトッププロがやるとどうなるか(以下、全ての動画に共通する核となる部分を僕なりに要約して説明する)

まずレシピをみて「この料理はどういう料理なのか」というレシピ本来の持つポテンシャルや味の方向性を見定める。

そして料理の味の方向を引き出すために、どんな食材を用いるべきなのかを食材に対する膨大な知識量を元に選定する。

下処理だって全然気を抜かない。

例えば野菜は繊維の方向性を見定めて、均一な火の入り方をするために大きさをほぼ揃えて切るし、盛り付けた際の見栄えの良さの演出の為に、美しく切らねばならない。

調理だって、プロは常なん時も最も美味しい状態に料理をもっていかねばならない。たまたま美味しく出来たは完全にNGだ。

だから調理中も、食材の色や状態を何度やっても同じに持っていくようにする。

 

私が料理をすると、なんとなく野菜を切って、なんとなく炒めて、なんとなく味付けをすることになります。

ただ、ミシュランの星を得たシェフともなれば、そんな何となくな行動は存在しないのです。

 

全てにおいて、論理的に必要な切り方、炒め方、味付け、もっともっと複雑な工程があるのです。

 

そこに、料理を作る普通の人と、プロフェッショナルな料理人との差があります。

 

 

ゲームしますか?

私はゲーム大好きです。

 

とは言え、格闘ゲームは私は苦手で、技を出すだけで精いっぱいではあります。

そんな格闘ゲームも、プロの世界ともなればパンチやキックと言った全ての動作が駆け引きとなっているようです。

 

すでにプロスポーツとなった、eスポーツの選手に”ときど”氏がいます。

彼は『ストリートファイターV』という格闘ゲームで、常に世界のトップを走り続けています。

著書に、ゲームの駆け引きについて記載があります。

 

駆け引きとは、相手がどう出てくるかを考えること。一般的にジャンプ攻撃は大ダメージが期待できますが、安易に仕掛けると対空攻撃(相手のジャンプを迎撃すること)で簡単に返されます。そこで工夫が必要になります。例えばこちらの地上の攻撃を相手に意識させ、ジャンプへの意識を薄くさせてやるわけです。

 

 

格闘ゲームが苦手な私からすれば、プロゲーマーの試合を見ても、なぜその場面でそんな技を放つのか、蹴りをするのか、そんなことは分かりません。

が、なんとなく放っているように傍からは見えても、全てのコマンド、全ての技に意味があるのです。

 

これが、ただのゲーマーとプロのeスポーツ選手を分かつものの一つなのでしょう。

 

 

一つ一つの行動に論理的な意味がある。

それが、プロたちが当然のように行っていることなのです。

 

 

■何となくしている仕事はないか

何となく、そうしている。

これはプロフェッショナルの世界では存在しないということです。

 

料理やプロゲーマーではなく、もう少し一般的な仕事で考えてみましょう。

 

なんとなく会議に参加している。

意味の見いだせない資料を作っている。

良く分からない質問をしてしまった。

 

それは、プロフェッショナルとしてはあるまじき行動、ということです。

 

自分がこの会議に参加する根拠、資料を作成する意味、質問の理由。

それらを論理的に説明できなければならない。

 

 

コンサルティングの有名企業、アクセンチュアの方に話を聞く機会がありました。

 

コンサルという仕事は、言葉の一つ一つに神経を使うそうです。

提案書のパワーポイントを作るのであれば、スライドにある言葉について、なぜその言葉を使うのか、厳しく教育を受けると聞きました。

顧客を納得させる資料として、全ての言葉が論理的な意味を持つのです。
なんとなく『連携』とか『分析』のような便利を使ってしまいがちですが、彼はそんな、なんとなく、を一切排除しているということでした。

 

仕事は小さな行動の積み重ねです。

料理の下処理と同じ。

小さな行動をおろそかにすれば、行動全体で得られる成果の品質は下がります。

 

ドラッカーは著書『プロフェッショナルの条件』で成果を出すために、知識を元にした行動を行うことが必須であることを述べています。

 

今や知識とされるものは、それが知識であることを行為によって証明しなければならない。今日、われわれが知識とするものは、行動のための情報、成果に焦点を合わせた情報である。その目的とするものは、人間の外、社会と経済、さらには知識そのものの発展にある。

  しかもこの知識は、成果を生むために高度に専門化していなければならない。実は、古代に始まり、いまだに教養科目とされているものが、そのような知識をテクネつまり技能の地位に貶めてきた理由もここにあった。テクネであったために、それらの技能は学ぶことも教えることもできなかった。法則もなかった。具体的に専門化されすぎていた。学習できるものではなく、経験でしか得られないものだった。教育によってではなく、訓練でしか得られないものだった。

 

 

プロフェッショナルとは、経験則でなんとなく行動することではありません。

それで成果が出たとしても、プロフェッショナルとは言えません。

ドラッカーが言うには、経験則ではなく、知識を元に行動を行うことがプロフェッショナルとして必要なことなのです。

となれば、なぜこの行動をするの?という思考が働き、行動は論理的な意味を持ちます。

 

 

経験や得た情報を言葉にし、知識とし、論理的に説明できる状態にする。

そして、その根拠を元に行動する。

 

そうできなければ、再現性がありません。

なんとなくできた、は博打です。

プロは博打ではなく、いつでも成果を出せるよう再現性を持たなければなりません。

 

 

プロゲーマーときど氏も、先ほどご紹介した本の中でこう語っています。

 

今の僕にとって何かが「できる」とは何か。その答えのひとつが「言語化できる」ことです。自らの行動を理解していれば、もう一度再現したり、「ここが良かった・悪かった」というフィードバックにつながります。反対に、もしブラックボックスのままだといざ不調になったときに改善ができなくなってしまいます。

 

プロは、なぜできるのか?なぜそうするのか?を言語化し続けているのです。

 

 

■なぜそれをしたの?と問い続ける

ただ、勘違いしてはいけないことがあります。

プロは確実に成果が上がる論理的な行動しかしていないわけではありません。

今は根拠があって確実に効果がある行動だとしても、この変化が早い時代には陳腐化していきます。

 

では、何をしているかと言えば、成果を出せるように、試行をくりかえすことです。

無駄と思えることも、時には試してみる。

これもまた、彼らが行っていることです。

 

料理は店で客に出すことが本番であり、その前には数多の試行を繰り返しています。

ゲームも大会での本番に備え、練習試合で戦略の試行を繰り返しています。

 

ただ、一般的な企業でのビジネスは、本番の連続です。

だから、常に試行を重ねていくのです。

その試行を振り返り、論理的な情報を見出せばよい。

 

そうすれば、次の行動はさらに根拠だったプロフェッショナルなものになります。

 

成果を出すためには、根拠ある行動と、試行が必要なのです。

 

 

これは、一部のトッププロだけではなく、誰もが実践できることです。

 簡単な話で、次の問いを自分に投げかけ続ければよいのです。

 

今、自分はなぜそうしたのか?

 

その問いの答えは、きっと誰でも答えられます。

なんとなくやっちゃった。そんな答えもあるでしょう。

 

ただ、その解を、論理的に、根拠を持って言語化できるように意識的にしていく。

それが、プロフェッショナルとして成果を出すために必要なことなのです。

 

 

★終わり★