こんにちは。
爽一郎です。
私の祖父は、亡くなってもう十数年経ちます。
孫の私にとてもやさしく、かつとても聡明なじいちゃんでした。
そんなじいちゃんと、一度だけ政治家の話をしたことがあります。
それは、私が大学生になり、二十歳を迎え、選挙権を得て、変に政治に興味を持ち始めた頃でした。
選挙権だ!ちゃんと一票を投じないと!
良く分からない正義感で、テンション上がって政治に一時興味を持ったのです。
表層的な政治知識を身に付けた私は、じいちゃんに言いました。
「もうすぐ選挙権手に入るけど、誰にも投票しようという気になれないんだよね」
「ほぉ、どうして?」
「なんか、討論を見ても、こんなこと議論する必要ある?ということばっかり議論しているし、
ヤジも多いし、いつも野党は怒っているし。
なんか、政治家に魅力を感じない」
「ほぉ。
確かに、そう見えるかもしれんなぁ。
でも、政治家は賢いんだ。
みんな、頭が良くて勉強ができる。
そんな賢い人たちが、爽一郎の言うようなことに気が付いてないことはないだろう」
「じゃあ、なんであんなことばっかりするのさ」
「そうしたほうが、国民にわかりやすいからだよ。
怒ったほうが、これは悪いことだってわかりやすいだろ?
ヤジだって、文句があるっていうのをわかりやすくしているんだよ。
きっとあの人たちはわざとそんなことをやってるんだ」
***
政治家は主張をわかりやすくするために、ワザと怒ったりヤジを飛ばしたり、不要な議論をしている。
当時の私には、分かったような分からないような答えでした。
が、今ならじいちゃんの言っていたことが分かります。
端的に言えば、政治家は国民の感情を揺さぶって共感を得ている、とじいちゃんは言いたかったのだと思います。
■人は事実より感情で動く
『プロパガンダゲーム』という小説があります。
映画にもなった小説ですね。
『「君たちには、この戦争を正しいと思わせてほしい。そのための手段は問わない」大手広告代理店「電央堂」の就職試験を勝ちあがった大学生8名。彼らに課された最終選考の課題は、宣伝によって仮想国家の国民を戦争に導けるかどうかを競うゲームだった。勝敗の行方やいかに、そしてこの最終選考の真の目的とは?――先の読めないゲーム展開と衝撃のラストが、宣伝広告の本質、ネット社会における民主主義とはなにかを読者に問いかける。アマゾン電子書籍の人気作を大幅改稿した完全版!』
※書籍紹介より引用
国民役の人々に対して、大学生が二つの陣営ー戦争をすべきと啓蒙する陣営と戦争をすべきでないと啓蒙する陣営ーに分かれて、最終的にどちらの陣営が支持を得られるかを競うというゲームを描いたものです。
この小説において、あるリーダー格の大学生は、プロパガンダとして、事実を元にした正論でもってして国民に訴えかけました。
ですが、それよりも事実は関係なく、涙ながらに感情に訴えかける相手陣営のほうが支持が得られる、と言うくだりがあります。
リーダー格の大学生は、人は事実よりも感情で動く、ということを知る一場面です。
じいちゃんの言ってたことは、まさにこれなのです。
事実では人が動かない。
ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン教授のターリ・シャーロット氏は、著書『事実はなぜ人の意見を変えられないのか』のなかでいろいろな研究結果から、そう述べています。
人為的な要因による気候変動を強く信じるグループと、そうでないグループ分けて研究を行いました。
各グループにの人々に2100年の気温上昇を予測してもらったうえで、専門家から気温上昇に関する新しいデータを渡して、その後に再度気温上昇の予測を考え直してもらうというものです。
専門家の意見によって各グループの人々が意見を変えるか?という調査です。
結果は下記でした。
『彼らは、専門家の判断を踏まえて予測を変えただろうか?
ここでも、自分がもっていた世界観に合う情報を得たときだけ、人々は意見を変えた。人為的な気候変動をあまり信じないグループは、以前考えられていたよりも状況が良くなったという明るいニュースに影響されたが(彼らの予測は約二度下がった)、気がかりなニュースは一切影響を及ぼさなかった。気候変動を強く信じるグループは、正反対のパターンだった──彼らは、状況がさらに悪化しているという科学者の考えには動かされたが、問題はさほど切迫していないという考えにはあまり影響されなかった。
新しいデータを提供すると、相手は自分の先入観(「事前の信念」と呼ばれる)を裏づける証拠なら即座に受け入れ、反対の証拠は冷ややかな目で評価する。私たちはしょっちゅう相反する情報にさらされているため、この傾向は両極化の状況を生み出し、それは時を経て情報が増えるたびに広がっていく。
実のところ、自分の意見を否定するような情報を提供されると、私たちはまったく新しい反論を思いつき、さらに頑なになることもある。』
単純に言えば、自分が信じる情報だけを信じる、という結果です。
人は見たいものだけを見て、信じたいものだけを信じるのです。
だから、事実では人は動かないわけです。
では、何をもって人は動くのでしょうか?
これまた、同書『事実はなぜ人の意見を変えられないのか』に記載があります。
『プリンストン大学の研究グループは、人々に政治家の演説を聞かせ、そのあいだの脳活動をMRI(核磁気共鳴画像法)スキャナーで記録した。この実験でわかったのは、力強い演説を聞いているとき、複数の聞き手の脳が「歩調を合わせる」ことだった。脳波は似通ったタイミングで上下し、まるで同期したかのように、脳の同じ領域が同じように活性化したり沈静化したりしたのだ。
この結果は意外ではないかもしれない。魅力ある演説が人々を引きつけるのは当然で、すべての聴衆が熱心に話を聞いていれば、脳のパターンも似てくるだろう。逆に、ペンキが乾くのを見守るくらいつまらなければ、聞き手の心は各々の世界へ漂い、同期することもないはずだ。ただ、明らかになったのはそれだけではない。
同期が認められたのは、言葉と聴覚に深く関わる脳の領域だけではない。それは物事の関連づけ、感情の生成や処理、そして他人への共感や同情に不可欠な領域でも認められた。』
感情が高ぶるような演説をすると、脳波が同調し、感情も同調し、共感するというのです。
つまるところ、人間は脳に支配されているのです。
そして、脳のまんなかは原始的で、感情で動きます。
偏桃体という感情を察知する脳部位が働けば、人間の行動は偏桃体によって制御されます。
人は事実ではなく、感情で動く。
これは、生物としての人間の性(さが)です。
■知っている人は、感情を利用する
人は事実では動かない。
感情をあおるほうが、共感され、動いてもらえる。
それを知っている人は、もちろんそれを利用します。
政治家はその代表者です。
野党はいつも与党に、怒っているかもしれません。
みっともなく見える人もいるでしょう。
しかし、選挙時にすべての人に笑顔で接して握手し、人と交渉し続けるような仕事をする彼らが、感情のコントロールに長けていないはずがないのです。
彼らは、ワザと怒っているふりをしている。
不毛な議論も、怒れる議題を選んだ結果なのです。
もっと他に議論すべきことがある、なんてことは彼らも理解しています。
ですが、感情をあおって討論することが、国民から共感を得る最も良い手段なので、そうしているのです。
じいちゃんは、きっとそんなことを言ってたのでしょう。
よって、真剣に人を動かそうとしている人は、わざと感情を使います。
ヒトラーは怒ったような激しい話し方で人々をあおりました。
結果、間違った方向に当時のドイツは動いてしまいました。
真剣であれば真剣であるほど、一部の人からは政治家のように滑稽に見えるのです。
ですが、それは多くの人の指示を集める、という点では理にかなった方法です。
淡々と事実を述べる政治家よりも共感を集めます。
私は正直、人を動かそうという時に感情を使いこなすほどのテクニックはありません。
感情を謀ることは、とても難しい。
俳優という、嘘の感情を使いこなすための専門の仕事があるぐらいですから。
そう考えると、感情を使いこなす人々は、とんでもないテクニックの持ち主なのだろうと感心せずにはいられないのです。
★終わり★