みなさんこんにちは。
爽一郎です。
良いチームには心理的安全性がある。
というのは昨今言われていることです。
以前、私も心理的安全性についての記事を書きました。
『Googleは、パフォーマンスの高いチームは心理的安全性が前提として存在するということを突き止めました。
Google re:Work - ガイド: 「効果的なチームとは何か」を知る
心理的安全性がある状態とは、単純に言えば、なんでもリスクなく行動や発言ができる、という関係性がチーム内にある、ということです。
他のメンバーから否定されるかも、バカにされるかも。
そんな気持ちを抱かずに意見を言えたり、失敗するかもしれない行動をとれる、ということなのです。
それはチャレンジ精神やメンバーの自律性、相乗効果、信頼関係を高める前提として機能し、チームのパフォーマンスを高めると言います。』
この心理的安全性について、私はある矛盾を感じていました。
リスクある行動が取れるのが心理的安全性。
臆することなく何でも言えるということです。
心理的安全性を得るには、積極性を促すために頭から否定しないとか、話しやすい環境を作るために激しく罵倒しないとか、すべきではないことがあります。
ですが、否定や罵倒も、必要と思えば言えるのが本当の心理的安全性なのではないか、とも思うのです。
否定や罵倒は人を恐縮させ、積極的行動を妨げる。けれど、何でも言えるのであればそういうことも言えないとおかしい。
これは矛盾だなぁ、なんて思っていました。
このもやもやについて、以前からどうすれば整理できるのかを考えていたところ、ある本を読んで一つの答えが見つかりました。
この本は、GoogleやAppleと言った名だたるシリコンバレーの企業経営者にコーチングし、成功に導いたビル・キャンベル氏が、どのように偉業を成し遂げたかを記載した本です。
今を時めくテクノロジーカンパニーのコーチとして活動し、2016年に亡くなりました。
葬儀には、GoogleやAmazon、FaceBookなど名だたる企業のCEOが列席した点から見ても、多くの人に愛された偉大なコーチだったと言えるでしょう。
そのビル・キャンベル氏は、偉大なコーチであったようですが、とても言葉は汚く、罵倒やののしりを多く使ったようなのです。
が、それでも人々は彼に対して心理的安全性を抱き、心を開きました。
本書にこんな文章があります。
『ビルのハグと悪態のスタイルが受け入れられたのは、彼の行動のすべてが心の奥底から、愛情から出たものだったからだ。いや、「受け入れられた」というのはちょっとちがう。誰もがビルのハグと口汚いののしりを楽しみにしていた。なぜならそれは「君らを愛している」という意味だったのだから。』
『私たち自身も経験したことだが、不思議なことに、ビルの率直な言葉はどんなに痛烈であっても元気をくれた。これは意外な感じもする。ひどいヘマを指摘されたら、誰だって落ち込んでしまう。だがビルの口から出てくれば別だった。「率直さ+思いやり」の方程式には効果があるのだ! 私たちが向上できるようにビルが尻を蹴飛ばしてくれているのだという信頼がそこにはあった。ビノッド・コースラも言う。「胸の内を言わない人が多いなか、ビルはいつも自分の考えをそのまま口に出した。でもビルは、たとえ痛手を与えても発奮させるような方法でそれをやった! あれはたぐいまれな才能だよ」』
「愛」や「率直さ+思いやり」があれば、罵倒もフィードバックとなる、と言うのです。
「愛?率直さ?思いやり?何その曖昧なもの。」
確かに、そう思います。
これは言葉の伝え方とか、接し方というノウハウ的なものではないのです。
スキルというよりは姿勢なので、イメージが難しいものです。
愛や率直さや思いやりが何かといえば、同じ本の中にヒントがあります。
『ビルが指針とした原則は「チーム最優先」であり、彼が人々に何よりも求め、期待したのは、「チーム・ファースト」の姿勢だった。メンバー全員がチームに忠実で、必要とあらば個人よりチームの目的を優先させなければ、チームの成功はおぼつかない。チームを勝たせることが最優先事項でなくてはならない。』
チームの成果を考える人。
利己的でなく利他的な人。
これが率直さであり思いやりというものなのです。
自分だけのことを考えるのではなく、チームとしての成果に真摯になる。
これを意識した上の行動が率直さと思いやりを兼ね備えた言動となるのです。
利己的でない成果を求めていることが伝われば、真剣さが伝わります。
この人は自分のために怒っているのではない。
チームとして成果を挙げるために真剣なだけだ、と。
そうなれば、罵倒だとしても真剣なフィードバックとして受け取られます。
心理的安全性の出発点は、なんでも言えることを意識するのではなく、いかに利他的になれるか、ということなのです。
少なくともリーダーと呼ばれる人はチームの成果を真摯に考え、利己的ではなく利他的にふるまう必要があります。
さもなくば、良いチームは作れないのです。
チームメンバーとともにチームのビジョン実現のためにひたむきに成果を求めるという働き方は、楽しいです。
きっと、利己的に生きるよりも、人に何かを与えてチームの成果を意識できる方が、楽しく生きていけるのではないかと、私は思います。
★終わり★