みなさんこんにちは。
爽一郎です。
何か月も前ですが、旅行に行きました。
いやぁ、楽しかったです。
楽しかった思い出はさておき、旅行のプランを考える際に、思ったことがありました。
それは、自由というものについてです。
■旅行は何をしたいか、どうするかを考えることのオンパレード
旅行する時は、旅先で何をしようか、どこで何を食べようか、計画を少なからず立てる人が多いのではないでしょうか?
私の家では、ある程旅行前に度考えるタイプの家庭です。
だいたいは、妻がどこ行きたいとか要望を持っているので、妻が基本的に考えます。
ですが、期間が長めの旅行になると、プランを考えることが面倒くさく感じることがあります。
そんな時には、ツアーを探します。
ツアーって楽なんですよ。
何時に、どこで、何を食べるか、ツアー会社が決めてくれますし、ホテルからの移動も迎えにきてくれるものもあります。
何をするか、どうやって移動するかなど、様々な考えることから解放してくれます。
「プランを考える」ということをツアー会社に金を払ってお願いするわけです。
もちろん、強烈に自分でやりたいことがあって、それを実現するためならば、頑張って自分たちで考えます。
ですが、それには意欲が必要です。
一緒に旅行をした両親はこう言っていました。
「いろいろと計画するのは大変そうね。私にはできないから、ありがたいわ。」
■考えることは、面倒だが、適度に考えないと、退屈だ
かの発明家、トーマス・エジソンはこう言ったそうです。
『人間は思考する努力を省きたいために、ありとあらゆる方便に頼ろうとする。
Man tries to depend on every expedient because he’d like to omit a considered effort.』
人間は、考えることを面倒に思う生き物なのです。
ですが、一度何をしたいかが明確になると、考えて行動するようになります。
「あれが欲しい!」と思えば、「どうやって買おうかな…今月はお小遣いが足りないから、来月に変えるようにするためにはあれを節約して…」とか考えますよね。
旅行の例でも、やりたいことがあれば前述のとおり考えますが、
強烈な目的はないので、おすすめのところだけ楽しみたい、そんなときは考えること自体をツアーに委託するわけです。
ちなみに、私は昔はツアーは嫌いでした。自由が制限されるからです。
何時にどこに集まって…など窮屈に感じてしまっていました。
ですが、今はツアーも良いなぁと思います。やはり、楽ですから。
旅行で目的を曖昧にしてさまようのも楽しかったりします。まぁ、バランスというやつですね。
考えられたものばかり消費してもつまらないし、考えすぎると面倒くさい。人間とは複雑な感性の生き物ですね。
■考えられるということが自由というわけではない
冒頭の自由という言葉にフォーカスしましょう。
昔、自由とは、何もかも自分で考えて行動できることだと思っていました。
ですが、それは同時に途方もない面倒くささが付きまとうのです。
矛盾しているようですが、考えるという面倒くさいことは、本当にしたいことに当てる時間を奪うのです。
なんでも考えて行動できるということが自由だとしたら、自由すぎると逆に時間は考えることに奪われ、足りなくなるのです。
旅行のツアーのように、適度に考えることを委託できる。
この選択肢も取れるということが、本当の自由なのだろうと、今は思います。
その意味では、自律的に、自分がしたいことと委託することを分けて考えられる、そんな能力がある人こそが、本当に自由を手にする人なのです。
その自由さの縮図が、旅行というものに現れていると思った次第です。
仕事で委託を使うことは、必要です。自分以外のリソースを利用するという選択肢なのです。
これを使いこなせることが、我々が自由を手に入れる方法ではないでしょうか。
★終わり★