凡人が成果を出すための習慣

残業ゼロで成果を出すには、どうしましょうか?

教科書通りを嫌えるのは、固定化された環境にいるものだけ

みなさんこんにちは。

爽一郎です。

 

教科書通りに物事を行う、というのは良いことでしょうか?

「世の中のことは教科書通りに行くことは少ないから、あまり意味がない」と言う人もいます。

「基本あってこその応用でしょ?だから教科書通りにまずやるのが大事」と言う人もいます。

 

まぁ、そんなもん場合による、というのが真の回答でしょう。

我々を取り巻く環境は、変化は激しいし、多様化してますしね。

ですが、私は変化の激しい時代だからこそ、自分の中で汎用的に使える考え、知識は身に付けておくべきと考えています。

そして、その知識を身に付けるためには教科書を読み、教科書通りに実践してみるということが必要だと私は思います。

 

■教科書通りにやってみる、というのは重要

私は本を読み、とりあえずそのとおり実践してみるタイプの人間です。

とりあえずは教科書通りに実践してから、自分なりに腑に落ちる形に落とし込む、ということをしています。

が、そんな私はかつての上司にこう言われたことがあります。

 

「お前は教科書通りに物事をこなすのは得意だが、教科書にないことが出てきたとき、行動できるかが心配だ。本に書いていることが役に立たないことは多い。世の中は教科書通りじゃないことが多いからな。」

 

その時に私は思いました。

教科書通りではないことなど、ほとんどないのではないかと。

ここで教科書と言っているのはビジネス本や自己啓発本と思ってください。

専門家たちがそれぞれ研究し、経験した知識の集合体たる本たちに乗っていない例外などあるのだろうか?

上司が例外と思っていることも、その例外の事象はきっと教科書に載っている。

本を読んで人より知識がある気になっていた私は、当時そんなことを思ったのです。

あまり本を読まない上司だったからこそ、「そもそも教科書通りを知らないくせに」と余計に腹が立ったのです。

 

自分の会社は特別だから、この業界は特殊だから。

そんな理由をつけて、自分が長年携わってきても状況を改善できない言い訳として「教科書通りではないから」という言葉を使っている。

そう生意気にも思っていたわけです。というか、これは今でもある程度、思っています。

 

実際、今でも私は多くのものは教科書通りであり、例外のもののほうが少ないと考えています。

会社の問題なんて、どこも似通っている。特別じゃあない。

人の問題も、多くの人はビジネス書に書かれた問題に当てはまるものです。

ただ、適切に実践するのが難しいとは思います。

教科書を読み、実践したことがない人が、はじめから「教科書通りには行かない」と高をくくっているだけのように思えたのです。

 

とはいえ、教科書通りに行かない、ということは一定正しくもあります。

状況は千差万別であり、多少のカスタマイズは必要です。

英語の勉強の仕方も、ダイエットの方法も、人それぞれにあったやり方があるでしょう。それと同じことですね。

よって、本当の意味で教科書通りという状況は少ないのは確かです。

だが、芯はそのままで、カスタマイズすることで対応できる。これが応用ですから、芯となる教科書知識は必要です。

 

教科書通りにまず試す、または適用できそうか考える。

そして、だめなら「これは使えない」とすぐに捨てるのではなく、「どうしたら使える形になるか」と考えることが重要です。

 

コンサルティングとは、コンサルタントの頭の中にある教科書を売っています。

様々な状況に合わせた、応用を考えるという付加価値付きで。

よって、職業として存在するくらいには、この「応用」は難しいのです。

難しいことに価値があるように思えるので、基本よりも応用が大事と考えることは、理解できます。

そんな考えが「本に書いていることは使えない」という発言を呼ぶのでしょう。

 

ですが、その難しい応用は何から来ているかといえば、基本であり勉強であり教科書なのです。

教科書通りにまずやってみる、というのはやはり重要なこと。

それは今でも私は信じています。

 

■固定化された状況では、教科書がない世界もある

ですが、教科書通りなんて意識しない世界もある。

それを考えさせられたことがありました。

 

上司から言われた「お前は教科書通り」発言について、腹を立てていた私は、友人に愚痴っていました。

 

私 「上司から、そんなこと言われたんだよ…。」

友人「へぇ。で、どう思ったの?」

私 「ああ、教科書って汎用的な内容じゃん。だから、それはまず覚えてやってみるべきだって思う。」

友人「その上司の人、転職してきた人?」

私 「いや、ずっとこの会社にいる人。転職じゃないし、今の役職も長い。」

友人「なるほど。その人にとっては、教科書通りなんて気にしなくてよいのかも。」

私 「どういうこと?」

友人「その人はずっと同じ会社で同じような仕事をしている。その固定された状況においては、彼の経験はまさに教科書のようなものってこと。」

私 「えー。そんなん汎用的じゃないよね。」

友人「ようするに、固定された状況にいる人は汎用的な知識なんていらないんだよ。その固定された環境で使えるこれまでの経験があるんだから。それで十分なわけ。」

私 「それこそ、教科書にないことは対応できないでしょ?」

友人「長い経験で、教科書にないことも対応できる自信があるんだろうね。あくまでの彼らのいる環境においてだけど。」

私 「そんなん、他の環境になったら使えないし…」

友人「そういう人はそこに骨をうずめるつもりなのかもね。お前はどういうつもりなの?一生転職しないの?」

私 「いや、転職は視野に入れてる…」

友人「じゃあ、その人とは別の価値観ってだけだな。あんまり気にしなくて良いんじゃない?」

 

ようするに、固定された環境に身を置いているならば、汎用的な教科書なんて不要なのです。

この会社特有の、その部署特有のノウハウがあれば、それで対応できます。

固定化された人間関係の中で過ごせば、余計にそれは顕著です。

あの部長にはこんな説明の仕方をすれば、あの人にはこんな頼み方をすれば。

それは経験に基づいた教科書的な知識となります。

 

ずっと変わらない環境にいるなら、それでも良い。確かに、その通りだと納得しました。

 

が、終身雇用もない今の時代に、そんな固定化された中での教科書を自分の中だけに作ることに、リスクを感じるのは私だけではないはずです。

 

本を読んで勉強する。教科書通りに実践する。

これは、変化の時代だからこそ、継続し続けるメリットが大きい習慣だと思うのです。

 

 

★終わり★