凡人が成果を出すための習慣

残業ゼロで成果を出すには、どうしましょうか?

自信が持てない人に読んでほしい話

みなさんこんにちは。

爽一郎です。

 

自分に自信を持ちたい。

そのためには、何が必要でしょうか。

私は、たゆまぬ努力や反復したトレーニング、それが自信をつけることにつながると考えていました。

 

プレゼンテーションで自信をもって発表するには、反復した練習が必要。

プロジェクトマネジメントに自信を持つには、プロジェクトマネジメントを勉強し、経験を重ねること。

 

それは確かに自信を得るために有効なことです。

ですが、反復練習している人でも、秀でたスキルを持ってそうな人でも、自信を持てない人がいます。

逆に、大したスキルを持っていないのに自信満々な人もいます。
 
そんな人々を見ると、本当の自信というものの源は、スキルの多寡や努力といったものだけでは説明できなさそうです。
自信はどうやってつけるのか?そんなことを考えながら、日々を過ごしていました。
 

■自信はただの思い込みかもしれない

ですが、最近面白い本を読み、そのヒントを得ました。

 

『insight(インサイト)――いまの自分を正しく知り、仕事と人生を劇的に変える自己認識の力』

 

 

その本は、自尊心を高く持ちすぎることの危険性について書かれています。

自信と自尊心は、まぁ微妙に違いますが、同じようなものとしてここでは話を進めます。

自尊心というものはあるほうが良い、というイメージです。私もある程度、そう思っています。

子供には自尊心を持てせて育てるべきだ、なんて言葉はよく聞きます。

が、その本では下記の研究結果について書かれています。

 

「自尊心と、それを持つことで期待される効果の関連性は、まちまちであるか、取るに足らないほどであるか、まったくないと言える」。そして「自尊心と一〇代の妊娠、子供の虐待、ドラッグおよびアルコール乱用の大部分」には何の関連もなかった

 

つまりは、自尊心があればよい効果があるか、と言えば特にない。そういう内容です。

 

さらに、その本では自分を特別と思い込むと、周りにも悪影響がある、と述べています。

 
私は人より頑張っている。だから、少しぐらい周りの人に怒ってもいいよね。
自分は人よりも勉強している。だから、私のほうが正しいに決まっている。
 
そんな人々のこと、思い当たるのではないでしょうか。
彼らは自分を特別と考え、自尊心が高いがゆえに周りの人々から疎まれます。
 
それでも我々は自分を特別なものと考えようとしてしまいます。
それはなぜか?その本ではこんな一文が書かれています。
 
最高で特別な自分になるよりも、最高で特別だと思い込む方が遥かに簡単
 

自信を持つ、という状態は、なんのことはない、自分の実力や事実とは無関係に自分で特別と思い込んだ結果、存在する状態だったのです。

 

そして、根拠の無い自信・自尊心・自己陶酔と言った自分愛はいとも簡単に高まります。

 

その本では、ソーシャルメディアが自己陶酔を高める調査結果についてもかかれています。

私もこうしてブログを書いていると、自分の考えを文字にしていく、という過程を経て、自分で自分を形成している、という感覚があります。

作った文章は愛おしいですし、それを通じて形成された自分も、はやり愛おしい。

ナルシストではないと思っていますが、自分に向き合えば向き合うほど自己陶酔に陥るという感覚はなんとなく分かります。

ソーシャルメディアは自分のことをアップロードするツールですからね。

 

要するに、自分のことを考えるだけでも、自己愛は高まる。

簡単に自己愛は高まるものなのです。

 

■自己認識を高くすることが「適切な自信」につながる

では、自信や自尊心なんて持たずに生きたほうがいいのかと言うと、そうは思いません。

ただ、根拠無く自信を持つということは、すべきではないのです。

逆に言えば、客観的な視点で自分を知ることが「適切な自信」を持つことにつながります。

 

本に戻りますが、この本の趣旨は決して自尊心はだめよ、という内容ではありません。

メインテーマは、成功者たちが持つ特性である、自己認識というものについて書かれています。

組織心理学者である著者は、成功者たちは自分が考える自分(内的自己認識)と、周りが自分をどう見ているか(外的自己認識)の差が少ない、ということを述べています。

 

内的自己認識と外的自己認識の差が激しいと、自信過剰だったり、実力はあるのに自信がなさすぎるという状態になります。

自分の思う自分と、人から見られた自分を適切に把握すること。

 

これは、すなわち、ありのままの自分、「事実」を知ろうとすることです。

自分は何ができて、何ができないかは、自分だけでは知ることができません。

自分の思う良い点は、他人にとっては悪いことかもしれません。逆もしかりですね。

「飽きっぽい」は「好奇心旺盛」と言い換えたりできるよ、なんてことは就活のときに散々学んだでしょう。

 

自分がどんな特性を持ち、人からはその特性がどう見られているのかを知る。

そして、不完全な自分を認めること。

これが真の意味での自尊心であり、適切な自信を形成するものなのだと思うのです。

 

 

★終わり★