凡人が成果を出すための習慣

残業ゼロで成果を出すには、どうしましょうか?

便利の世の中が幸せな世の中とは限らない

こんにちは。

爽一郎です。

 

技術の発展は目覚ましく、大体のことはスマホでできるようになりました。

AIができることもどんどん増えています

 

単純な作業やパターン化された仕事、多くの情報から適切なものを選ぶ。

そんな物事はAIが得意とすることです。

 

AIがそういった仕事を人間の代わりに行うことで、人はより生産性の高い仕事ができる。

ただ、AIに仕事を奪われるという考えもあります。

これは数年前から言われていることです。

 

ベストセラーとなった、『AI vs 教科書が読めない子どもたち』でも語られています。

 

私の未来予想図はこうです。

 企業は人手不足で頭を抱えているのに、社会には失業者が溢れているーーー。

 せっかく、新しい産業が興っても、その担い手となる、AIにはできない仕事ができる人材が不足するため、新しい産業は経済成長のエンジンとはならない。一方、AIで仕事を失った人は、誰にでもできる低賃金の仕事に再就職するか、失業するかの二者択一を迫られるーーー。

 

教科書に書かれた文章を適切に理解できない子どもがいる一方、AIはMARCH大学の合格圏内の学力を有している。

そんな警鐘を鳴らし、この本はベストセラーとなりました。

 

実際、AIが”生産性の高くない仕事”を全て行ったとすれば、失業者は増えると私は思っています。

 

ただ、AIの勢いはそれにとどまりません。

”生産性が低くない”と思われている、人間の得意分野とされてきた創造的な領域にもAIは手を伸ばし始めています。

 

手塚治虫AIが『ぱいどん』という漫画を描いたり、レンブラントAIがレンブラント亡き後の新作を描いたり。

 

これをさらなる脅威と考える人は多いようです。

”生産性の高くない仕事”が奪われることが脅威なのであれば、これまで人間の専売特許と思われた”創造性の高い仕事”や”生産性の高い仕事”がAIにこなせるとなれば、さらなる脅威と考えるのは自然なのかもしれません。

 

このAIが仕事を奪うという話は、全ての人が一度は頭をよぎったことのあるような話題かと思います。

私も何度も頭をよぎっています。

 

そして思うことは、AIが生産的な業務をすることは、貴重な人的スキルを埋めるという点でむしろ都合が良いということです。

ただ、AIを使う側の人間が意識を変える必要があります。

生活を便利にするためにAIを使うのではなく、人を幸せにするためにAIを使う、ということが前提になります。

 

そうでなければ、不幸な未来となります。

 

■AIによる利益追求は不幸な社会を生む

創造的な仕事がどうしても苦手な人がいます。

私も仕事上、そんな人には何度も出会っています。

 

自分で考えることが、どうしてもできない。

考える業務を与えられると、停止する。

どう考えればよいかわからない。

 

そりゃ、思考法・考え方というものも勉強すれば身に付きます。

ロジカルシンキングしかり、知識を得て点と点をつなげることしかり。

 

ただ、どうしても身に付けられない人がいるのです。

 

 

全ての人が企画をしたり、自分で方針を立てたり、重大な意思決定をするような、創造的な仕事に対して適応できるわけではないと、私は思っています。

 

そういった人々はいわゆるAI文脈的な”生産的ではない仕事”をすることになります。

 

AIがそれらの仕事を代替するのだとすれば、『AI vs 教科書が読めない子どもたち』にある通り、彼らは職を失うことになるでしょう。

彼らを切ることにより、仕事に対するコストが下がり、企業からすればAIは便利なツールとなります。

 

AIを提供する者、AIを活用する経営者。

それらは利益を享受することでしょう。

そして、切り捨てられた人々は不幸になります。

 

これを、資本主義の原則だとか、自分のスキルを磨かないがゆえの罰だとか、自己責任だと主張するのは簡単です。

 

 

しかし、私はこういった創造的な業務に適応できない人々が、決して少なくないと思っているのです。

かなりの人数、もし人類の半数近くがそんな人だとしたら…?

 

AIによって不幸になったと感じる人々は何をするでしょうか。

きっと平和と秩序の維持は難しくなるのだろうと思います。

 

 

AIが生活を便利にしたとしても、人を幸せにするとは限らないのです。

 

■AIに手加減させる

創造的な仕事ができる人間を、企業は求めています。

指示通りの仕事をするの”生産的でない仕事”は替えが効きますが、何かを考えて生み出す仕事ができる人材は重宝されます。

 

その領域で活躍する人々は需要が高く、供給が追い付きません。

私の周りでも、そんな人材が足りておらず、欲する現場はいくつもあります。

 

だからこそ、AIがその領域の仕事ができるようになることは、願ったり叶ったりなのです。

 

しかし、AIにすべての仕事をさせるべきではない。

それは、前述の通り、不幸な人々を生みます。

 

”生産性の低い仕事”も”創造的な仕事”も、AIがすべてをこなすことができる未来になったとしても、人の尊厳を守るため、人に仕事を残す必要があるのです。

 

AIで人の生活を便利にします。

ただし、その力を使って全ての人が利益を追い求めると不幸な社会になる、という感覚的には理解しがたい世の中になります。

 

現実的には、企業に利益を追い求めさせないことはできないため、人の一定の雇用を維持するような法整備が必要になるのかもしれません。

そういう点では、AIは資本主義を揺るがす技術なのです。

 

私には、資本主義の原則に任せてAIで人間の仕事を奪いすぎないようにすることこそが、AIとの共存の道だと思うのです。

 

そんな思いで以前書いた短い小説があります。

bonzinkun.hatenablog.com

お暇があれば、こちらも是非お読みいただければと思います。

 

 

★終わり★

社会人が主体性を身に付けるための思考法

こんにちは。

爽一郎です。


各企業で、新人が配属されるシーズンですね。
彼らは、去年の採用試験を勝ち抜いてきた人々です。

そんな採用活動ですが、今、企業はどんな人を求めているのでしょう。

コミュニケーション能力が一位。
そして、主体性が二位。
そんなことを、以前記事にしました。

bonzinkun.hatenablog.com

 

コミュニケーション能力と同レベルで、企業が求めるものがあります。

それが主体性です。

 

経団連の調査結果で、産業界が学生に求める資質として、主体性がトップに挙がっています。

http://www.keidanren.or.jp/policy/2018/029_kekka.pdf

 

コミュニケーション能力と同じぐらいに定義が曖昧な特性ですが、まぁ、なんとなく分かりますよね。

いわゆる指示待ち人間じゃなく、自分で考えて行動する。

物事を他人事と思わずに、自分事と捉える。

そうして、自律的に、もっと言えば「放っておいても」利益をもたらすような人間。

そんな人を企業は求めているのです。

 

さらに、昨今はコロナによって在宅勤務が進み、サポートが難しくなった点より、ますます自律性や主体性といったものが求められています。

 

 

この主体性はどうつければよいのか?

自分で考える、ということをどうすれば意識的にできるのか?

 

多くの場合、主体的ではない人に主体的に考えさせようとすることは、徒労に終わります。

ぶら下がり社員、働かない社員。

そんな人々は主体的にはなりません。

 

基本的には、外的な要因ではなく、内的な要因でしか主体的にはなれないものです。
いわゆるモチベーションと言うやつです。

そういう点で、経団連もリンク中で「資質」という言い方をしたのかもしれません。

 

そんな、内的な要因として何を考えれば主体的になれるものだろうか。

一つのの答えとして私が思うことがあります。

 

それは、

・この世には答えがないと受け入れる

・よって、答えを誰も与えてくれない

と考えること、です

 

 

■世界は複雑

私はゲームが好きでして。

最近は『ホロウナイト』というNintendo Switchのゲームにハマっていました。

1500円という安いゲームなのですが、これが超面白い。

いわゆるマリオやロックマンのような2D横スクロールのアクションゲームです。

これがうまくできたゲームで、自分が少しずつアクションがうまくなっていく、という感覚が得られるゲームなのです。

ライフも少しずつ増えて強くなる。

途中でダッシュができるようになったり、二段ジャンプができるようになったり。

そうすることで敵の攻撃も避けたり耐えられるようになり、より強い敵にも挑戦できる。

 

なんだか、安心して遊べるゲームでした。

いや、この感覚はホロウナイトのみでなく、ゲーム全般に言えることかもしれません。

というのも、プレイしていて「今自分がやっているこの行動は、確実にゴールへ向かう行動だ」と思えるからです。

 

前に進めば、新たな能力が得られたり、物語が進む。

進めばゴール、いわゆるエンディングに近づく。

ある意味、前に進みさえすれば正解なのです。

 

答えが明確。

多少ゲームによって紆余曲折があるにせよ、ゲームとはプレイしてレベルを上げたり、クエストをこなして前に進めること自体が答えなのです。

 

まぁ、『Skyrim』のようなオープンワールド過ぎて何が答えか分からないゲームもあるのですが、そういったゲームはリアリティが高いと言われたりします。

リアリティが高いということは、現実世界に近いということ。

現実世界は答えがないということなのでしょう。

 

私はゲームをしていると、答えがある世界に浸ることができ、安心するのです。

 

 

私見ですが、学生は基本的に答えが用意された世界で生きていると思います。

勉強の方法は学校が教えてくれるし、問題に答えはあるし、試験を受けるとなったら必要な手続きが決まっている。

人間関係など、私生活では答えがないものがあるかと思いますが、生活の大部分が答えがある物事に囲まれています。

 

社会人になっても、始めは答えらしきものを先輩から与えられます。

経験やスキルがない間は模倣が最も手っ取り早い成長方法なので、周りは経験やノウハウを「答えらしきもの」として新人に教えます。

 

次第に「新人」でなくなるにつれ、答えらしきものが与えられなくなります。
その時、答えらしきものを自分で探すようになると主体性があるとみなされます。

そんな人は成果が出せる人間になりがち。

逆に、答えを求め続けると、深く自分で思考することを避け、指示待ちに陥る。

 

 

答えを自分で探すようになるか。

これが、主体性を持つための要素だと私は思っています。

 

ただ、世界はゲームのように単純ではなく、とんでもなく複雑です。

 

先ほどのゲームの話のように、答えが明確なことをするのは安心します。

間違っていないのですから。

ゲームに熱中してやり続けてしまうのは、何をしてもゲーム中では前に進むために必要なことと思えるからなのでは?と感じています。

 

そうでない現実世界において、答えを自分で探すというのはとてもしんどいことです。

脳みそパワーを使うので、正直みんな「難しいことを考える」のは避けたいことなのです。 

 

 

■複雑なものは嫌なので、わかりやすい答えを欲する

有識者たちは、言います。

世界は複雑であり、分かりやすいものはほとんどないと。

 

分かりやすい説明が世の中に溢れているのは、いろいろなものを切り捨てて分かりやすくしようとした結果なのだと。

 

複雑に絡み合った話題を、いかに要約して伝えるか。何度だって繰り返すが、あらゆる思案とは、複雑に絡み合っている状態だからこそ生まれたものだと思う。だが、このところの風潮といえば、その思案がどのように発生したかなんてどうだっていいようで、とにかく目の前の事象を即座に理解してもらうことが急がれる。そのために、複雑な事象がシンプルに加工される。

~わかりやすさの罪~

 

さらに、研究者などの売名行為や市民団体の思惑、国際間の政治的駆け引きなどが科学情報を歪めます。専門知識がなく裏側に隠された事情を読み解くことができないまま、マスメディアはだれかの思惑に乗せられて複雑な話を切り捨て、分かりやすい報道をします。

~メディア・バイアス~

 

基本的に物事は複雑なのに、人々は分かりやすい答え、確実な答えを求めるのです。

 

 

特に知識労働の世界では、複雑なことばかりです。

ステークホルダー間の利害。

複雑に絡み合う、想定外の各システムの動き。

単純な意思決定より、状況をよく理解して難しい判断を下す意思決定のほうが多いことでしょう。

 

答えがなく、悩み、すっきりせずに暗中模索する。

それが辛いという人を、私は沢山見てきました。

 

みな、答えを知りたい。

ゲームのように自信の取れる行動がしたい。

 

私自身もそうです。

だから、人から答えを得られる状況をありがたく感じるのです。

 

 

しかし、主体性はその心地よさから抜け出た者が得られる特性です

 

 

主体性を身に付けるために必要な思考は

・この世には答えがないと受け入れる

・よって、答えを誰も与えてくれない

ということ。

 

そう思えば、自分で答えを探さざるをえなくなる。

主体性は、自分自身で答えを探そうとする思考なのです。

 

 

★終わり★

上司が邪魔でうざいのは至極当然。どう対処すればよい?

こんにちは。

爽一郎です。

 

「上司が正直、うざい」

 

こんなセリフを最近、耳にしました。

私のセリフじゃないですよ?

 

業務を進めようとすると、上司が指摘してきたり、文句を言ってきたり。

こちらが進めようとしていることを阻害してくる。

上長承認?そんな行為が無ければ、仕事は減るのに…。

 

上司うざい発言は、そんな風に思っている知り合いからでた一言でした。

 

ただ、私は思うのです。

 

組織で働く以上は、上司は阻害要因であり、部下から嫌がられるのは、当然なものであると。

そんな上司というものとどう付き合えばよいのか。

 

今日は、そんな話です。

 

■上司は邪魔ものだけど、不要ではない

顧客へのプレゼンテーションこれでいいですかー?

稟議承認とるぞー。

 

上司に対して説明し、合意を得なければならない場面、社会人ならあると思います。

そんな時、上司はいろいろと言ってくるものです。

 

 

この説明、根拠が弱い。

 

これ、失敗する可能性あるよね。リスクヘッジできてるの?

 

良く分からん!もっとわかりやすくしてきて!

 

 

心が折れるような一言をもらうこともあります。

上司って邪魔だ…。

上司がいなければ、仕事がスムーズになるのに…。

そんな考えを抱く気持ちは、組織で働く私にも良く分かります。

 

 

しかしながら、上司がいなくなれば良いものかと言えば、そうではありません。

上司とは組織運営に必要な”機能”だからです。

 

 

さて、上司がいない環境ってどんなものでしょうか?

当然のごとく、自分がトップである環境です。

ようするに、社長ですね。

 

トップは上司への承認などありません。

自分が決断を下します。

同時に、全ての成果は自分に跳ね返ります。

決断と実行がうまくいけば、儲かってウハウハ。

失敗すれば借金を背負うかもしれない。

すごいリスクです。

 

一方、会社員として組織にいれば、業務に失敗しても個人へのダメージは少なくてすみます。

社運をかけた業績を大きく左右するプロジェクト、なんてものを手掛けているなら別ですが、殆ど個人の仕事一つで会社が傾くことはありません。

 

会社員は、真の意味での責任は、個人が取る必要がないのです。

そりゃあ、失敗すれば個人の評価は下がるかもしれません。

しかし、失敗による利益の低下という責任は、会社組織が追います。

個人は失敗できる環境を組織から提供されているのです。

庇護されている、と言い換えてもよいでしょう。

 

 

損失が全部自分に跳ね返るなら、慎重に行動するもんです。

家を買ったり、投資をするときはみんな慎重になる。

ただ、組織の中で個人の損失が押さえられた形だと、慎重さは少なくなります。

 

というわけで、どうしても慎重になれない個人に業務をさせる会社組織においては、組織が被る不利益を少しでも減らすために、上司という機能がいるのです。

 

上司は”より慎重に”意思決定をするために立ちはだかる、壁なのです。

よって、邪魔者で当然。

会社の不利益を避け、利益を出すためもっと慎重に検討せよ、と促す存在なのですから。

(それをしない上司は、上司として機能してないのかもしれません)

 

 

■上司というか壁を超える手軽な方法はノーサプライズ

独立して企業すれば、上司はいなくなります。

独立してリスクを取ることにエネルギーを注ぐのか、上司への対応にエネルギーを注ぐのか、どちらかを選べということですね。

ただ、リスクや必要性から、上司がうざいと思っていても多くの人は独立・企業という選択をとりません。

 

組織の庇護を受けるなら、障害となる上司には嫌でも対応せねばならないのです。

嫌な上司でも自分を庇護する存在の一部と思えば、見え方は変わってくるのではないでしょうか。

 

では、そんな壁となる上司から承認を得て突破するには、どう対処すればよいでしょう?

 

アメリカの伝説的経営者ハロルド・シドニー・ジェニーン氏が著書『プロフェッショナルマネジャー』のなかで語っています。

意思決定を迅速に行い、問題を早く見つけるにはどうすればよいか、ということについての文章です。

 

危機や破局は一夜にして生ずるものではない。それは問題が長いあいだ隠蔽され、症状が悪化するままに放置されてきた結果である。

 

〜中略〜

 

 こうした会議での経験から生まれたITTの基本ポリシーのひとつは、「びっくりさせるな!<ノー・サプライズ>」ということだった。

 企業にあって、びっくりさせられることの九九%までは良くないことに決まっている。経営チームとしてわれわれがどれほど熟達していようとも、だれかがきっと失策を犯し、予期しなかったことが起こり、問題が生じるものだ。しかし、予期しなかった問題を発見し、それに対処するのが早ければ早いほど、解決するのはそれだけ容易になる。その全部を早期発見することはできないかもしれないが、手遅れにならないうちにそうした状況の九五%に対処できれば、残りの時間とエネルギーを、網の目に漏れた二、三の大きな問題の処理に向けることができよう。

 

これはマネジメントする側、つまり上司の立場から書かれたものです。

情報をこまめに集めておくことで、急で驚くような悪い情報をなくす、ノー・サプライズ状態にすることが重要だと述べています。

 

要するに、上司からすると、急に知らない情報が来ると、意思決定が難しくなるのです。

それが、悪い情報であれば、あれこれ指摘をせざるを得なくなります。

壁としての上司をかいくぐるための、もっとも手軽な答えがここにあります。

 

こまめに報告せよ。

 

ノー・サプライズにすることで、上司に意思決定しやすくしてもらう。

承認しやすくしてもらう。

 

嫌な上司に、さらに報告を増やす?勘弁してくれよ…

と言わずに、逆にこまめに接点を持つことが乗り越えるコツなのです。

 

★終わり★

無茶ぶりやブラック企業勤務などの辛い経験は、成長に良いものなのか?

こんにちは。

爽一郎です。

 

ブラック企業は駆逐されるべき。

そう思います。

 

ただ、知り合いと話していると間接的にそれを否定する言葉が出ることがあります。

 

その知り合いを、仮にTとしましょう。

Tは数年前まで過酷な労働環境で働いていました。

残業は過労死ラインを越え、かつその半分以上がサービス残業。

休日も家で仕事をしていたとか。

いわゆるブラック企業。

今では転職したTですが、当時のことを辛かったと言う反面、こんな発言もありました。

 

T「ブラック企業だったけど、あの経験は貴重なものだったとも思えるわ」

 

私「え?辛かったのに?」

 

T「うん。めっちゃ忙しかったから、徹底的に効率化を考えるとか、手の抜きどころを考えるとか、そんなスキルは付いた」

 

 

 

苦労は買ってでもしろ。

そんな言葉がありますね。

 

辛い経験が成長に役立つ。

だから、辛い経験を受け入れよ。といういうことでしょう。

それは、私も同意です。

 

ペンシルベニア大学心理学部教授のアンジェラ・ダックワース氏は著書『GRIT やりぬく力』でこう述べています。

 

私たちは年齢を重ねるにつれ、新しい環境に放り込まれる。たとえば初めての就職や結婚も、大きな環境の変化をともなう。いつのまにか親たちが年老いて、自分が親の世話をする立場になることもある。このように状況が変われば、それに応じて生活のしかたを変えなければならない。そして、地球上でもっとも適応能力に長けた人類は、変化する。困難に立ち向かうのだ。 言い換えれば、私たちは必要に迫られれば変化する。必要は「適応の母」なのだ。

 

 

難しいこと、チャレンジ。それらは成長に役立つ。

むしろ、環境の変化や苦難への適応こそが成長を促すものとさえ思っています。

 

 

しかし…

それが全て是だとすれば、過労死ラインも是だし、成長のためという大義名分で丸投げ無茶振りする上司も是になってしまいます。

 

この矛盾をどう考えたら良いのか…。

これは積年、私にとって答えが出ないものです。

 

■苦難を与える側が気をつけたら…

私の仕事に対するモットーは、

「安定して成果を出す」

です。

 

そのため、過剰な無理はしなせん。
無理は続かないので。

残業も可能な限りしない方法を考えながら生きています。

それでも高い成果を出す。

そればっかり考えて仕事しています。

 

そんな生き方を会社に見透かされたようでして、

成長を促すため、という名目で私は上司から大量の仕事を振られたことがあります。

 

その時、理不尽さを感じながらも一心不乱にその大量の仕事に打ち込みました。

辛かったですが、仕事の効率化などなど確かに得るものはありました。

が、ずっとは続けられないな、とも思いました。

 

実際、その育成方法でつぶれた同僚もいます。

 

苦難を与える、という育成方法は、万人に有効なものではないのでしょう。

 

与えられる苦難とは良いものなのか、悪いものなのか。
悩ましい問いです。

一つ、この問いの答えとなったものがあります。

インテルの元CEO、アンドリュー・S・グローブ氏のベストセラー『High Output』にてその記述があります。

 

「マネジャーは部下を手とり足とり指導すべきか、それともやり方は任せて結果だけを見るべきか」

という問いに対して、アンドリュー氏はこう答えました。

 

アンディの答えは「場合による」だ。正確には「対象となる部下の資質による」。もし部下がその業務に経験が浅く、未熟であるなら、いちいち細かいところまで指示し、教育することは必須だ。しかし逆に部下が経験を積み、成熟しているなら権限を移譲することが理にかなっている。アンディは次のように明快に説明する。 その部下は仕事がうまくできなかった。それに対する同僚の考え方はこうだった。「彼は自ら間違いを経験しなければならない。そうして次第次第に覚えてゆくものなのだ」と。この場合の問題は、部下の授業料を顧客に払わせていることにある。これは絶対に正しくない。

 

 

すなわち、苦難を乗り越えられるよう、適切な仕事の与え方をせよ、ということです。

同じ「大量の仕事を振る」という行為でも、部下に合わせて難易度調整するわけです。

できそうな人間には、ノーヒントで実践させる。

苦しそうな人間には、大量の仕事を捌くための具体的な方法を伝える。

もっと難しそうなら、サポートする人をつけて、使わせてみる。

 

人のレベルも考えずに無茶ぶりで仕事を振ることは、ブラック企業同様の行為です。

苦難を乗り越えられない人々の屍を積み重ねていくことになります。

 

簡単に言えば、チャレンジはさせるべきだが、人のレベル見てフォローしようぜ、ということ。

 

ただし、これは仕事を振る側の視点であって、与えられる側の視点ではありません。

 

冒頭の元ブラック企業勤務者のTのように、与えられる側はどう考えればよいのでしょう。

 

 

■苦難で得られるものを見極めよ

冒頭のTのように、辛かったけど良い経験だったわ、というのはあくまでも結果です。

たまたま生き残れた人間のセリフなのだと思います。

 

やはり、私はむやみに苦難へ飛び込むことを是としたくないのです。

しかし、苦難から逃げ続ければ成長も達成感も充実もありません。

 

と言うわけで、一つの考え方として、

自分で乗り越えようと思った苦難にチャレンジすべき

なのだと思い至りました。

 

この苦労は価値がある、と自分で思えるか。

 

もっと言えば

この苦難は自分に何をもたらすのか?

という問いに対して、意味ある答えを出すということです。

 

なんとなく激務を与えられて辛い人生送るのと、
極限まで業務の効率化をしてやる!とか精神的にタフになる!という目的のために激務をこなすのでは、
きっと得られるものが違います。

 

何か今の苦難から、チャレンジから、得られるものはあるのか?

そう自問し、得られるものが得たいのであれば、苦労は買ってでもしたほうが良いのです。

 

得られるものがない、ただの苦行なら…

もちろん結果的に得られるものはあるかもしれませんが、むやみに飛び込むことは、命を削ることになるかもしれません。

 

と言うことで、今日言いたいことは下記です。

・無理を強いるなら、その価値や意味、そして人に応じたフォローをせよ

・自分が挑むなら、その無理は意味あるものか考えよ

 

 

★終わり★

成長する人がしている、「振り返る」ための方法

こんにちは。

爽一郎です。

 

難しいことをやるっていうのが好きな人がうらやましい。

私はあまり、難しいこととかチャレンジが好きではありません。

 

難しい仕事は辛い。

簡単にできるようになりたいもんです。

 

新人の同僚にこんなことを聞かれたことがあります。

 

「社会人経験、10年以上していても難しい仕事ってあるんですか?」

 

あるわいな!と即答しましたね。

 

変化の多い社会なので、仕事は流動的。

難しい仕事も複雑な判断も多くあります。

難しいことも簡単にできるようになる、そのために頭を使っているように思います。

 

 

そんな、難しいことを簡単にする、ということを考えながら家で家事をしていたのです。

その時、ふと思いました。

 

「初めは妻に不満を言われまくっていた家事も、今はほとんど文句言われないクオリティでできるようになったなぁ」

 

私が担当である家事がいくつかあります。

食事の片付けとか、幼稚園の用意とか、トイレ掃除とか。

数年前まで、私にとって家事は難しいものでした。

 

毎回、妻に

 

「幼稚園の用意に、タオル入ってなかったよ」

 

「食器はここに片付けて」

 

とかご指導を受けていました。

家事自体を忘れてしまうこともあって、家事ってむずいわ、と思っておりました。

 

が、今では食事後に流れるように片付けはできるようになりましたし、幼稚園の用意もおおむね完璧。

人間、続けるとできるようになるもんだなぁ、と思ったのです。

 

しかし、それなりの時間はかかりました。

私にとって家事は、

 

「難しく、辛い仕事だったけれど、できるようになったもの」

 

の一つなのです。

(妻がもう不満を言ってもしょうがないから言わなくなっただけ、という可能性もなくはないですが)

 

仕事でも家事でも、何かができるようになるために必要なものってなんだろうなぁ、と考えてしまいます。

 

知識を得ること?

がむしゃらにがんばること?

人と話すコミュニケーション力?

 

人によって回答は違う質問でしょう。

 

私は、一つ挙げるとするなら、

振り返ること

と言いたい。

 

 

■みんな、一挙に成長したい

ぶら下がり社員という言葉、いろんな本やネット記事で見るようになってきました。

会社勤めで、がんばって働きはしないけど、会社は辞めない。

そんな人々のことです。

それなりの年齢でキャリアの先が見えている人なんかがそうなりやすいようで、クビになりにくい日本の大企業に多いとのこと。

 

そんな人が増えているからぶら下がり社員と言う言葉も生まれたのかもしれません。

 

ただ、そうでない人のほうが、私の周りには多いというのが実情。

なんだかんだ言って、仕事ができるようになって部署に、会社に、社会に貢献したいという人が大半です。

人間、自分のやってることが誰かに認められることが”本質的喜び”なんだろうと思います。

私も、そういう考えの一人です。

 

貢献できるようになるには、必要なスキルを上げなければなりません。

いわゆる成長というやつですね。

 

その成長に必要なものは「振り返ること」だと思っています。

 

成長には、知識を得ることが重要じゃないのか?そんな声も聞こえてきそうですね。確かにその通りです。

知識を得て、実践することは重要です。

ただ、それだけではよっぽど運が良くないと成長が難しいのです。

 

英語が話せない…。一挙に話せるようになりたい!

プレゼンテーションが苦手…。すぐにうまくなりたい!

 

問題はすぐに解決したい。

だから、一週間で話せるようになる!なんて英会話の本が売れたり、

これさえやれば大丈夫!みたいなテクニックが重宝されます。

 

しかし、よっぽど自分に合った情報を手に入れない限りは、その情報通りにすぐにスキルが身に付くことはありません。

本は汎用的な情報なので、万人に合うわけではありませんし。

 

プレゼンテーションの本を読んだ。

しかし、うまく伝えることはできなかった。

そこで、「一挙に成長を得ることができなかった」がゆえに諦めてしまう人が多いのです。

がんばったけど、ダメだった…と言う気持ち。

 

実際は、やり方が自分に合ってないだけなので、いろいろやり方を変えて継続する必要があります。

そのために必要なものが「振り返ること」なのです。

 

得た知識を実践して、結果を振り返りながらやり方を変えていく。

そうやって、難しいことをこなすスキルは、ちょっとずつ上がっていくものです。

 

私は家事を忘れないようにするため、何かの後に差し込むことで対策をしました。

食事が終わったら、そのまま食事の片づけをする。

食事の片付けの特定の動作の後に幼稚園の用意をするし、次の日のお茶も沸かす。

そうやって、振り返りながら行動を変えていったのです。

 
 

■振り返るって、具体的にどうすんの

難しいものをモノにするには1万時間かかる。

そう、マルコム・グラッドウェル氏が研究を元に提唱しました。

 

 

何かで卓越するには、1万時間の経験がいるよ、というものです。

期間にすれば、5年間ほど頑張れば、その分野はものにできるということ。

逆に言えば、難しいことを簡単にできるようになるためには、5年ほど苦行が必要とも言えます。

 

家事はそこまでクオリティを求められないのでなんだかんだ言って難易度は低いものかもしれません。

ただ、知識労働は難しい。複雑。明確な解もない。

すぐにスキルが身につかないものです。

 

すぐに成長したい!そんな思いが勝って、ちょっと頑張ってみたけどあきらめる、という状況になる人を、私は何度か見ました。

 

そんなときに特に必要なのが振り返りです。

 

私は部下や同僚と1on1ミーティングを良く行いますが、その中で振り返りを必ず行います。

 

この1週間で何をやったか?

その結果はどうだったか?

良いと思う点と悪いと思う点は?

 

そうすることで、できるようになったことや、修正すべき点を明確にするのです。

 

とはいうものの、全ての人の周りに振り返りを促してくれる人がいるわけではありません。

じゃあ、どうやって振り返ればよいのか?

 

一つの方法が、ある本に書かれています。

『変化に強いサラリーマンが密かに使う、ワンランク上の自問術』

 

 

この本は、私のコーチングの師である松本瑞夫氏が上梓された本です。

コーチングでは質問による振り返りを良く行います。

私が1on1ミーティングで行っているのも、質問による振り返りです。

 

この本には、コーチングを元にした振り返るための質問が、自問術として書かれています。

 

一見失敗のように見えるものは、実は一過性のものであり、現時点で自分が思う理想からどのくらいズレが生じているのかを教えてくれる単なる一つの材料にすぎません。そういう意味では「失敗というものは存在せず、そこにはフィードバックがあるだけ」ということがいえると思います。

 

「あなたは、過去にどのような失敗をしましたか?」

「あなたにとって、それは本当に失敗ですか?」

 

また、私が学んでいる実践心理学NLPでは、次のような問いが存在します。

 

「そこから何を学んだのか?」

「この経験から何を得ることができたのか?」

「この出来事にはどんな意味があるのだろうか?」

「この出来事のポジティブな目的(意味)は何だろうか?」

 

振り返るための自問ってどうすればいいの?

そんな疑問を解消する本として、最適です。

 

質問というのは、多くは他者に対して行うものです。

よって、自問は意識しないとできません。

 

定期的にだったり、辛い時にだったり。

そんな折に、自分へ質問する。

 

「何がつらいの?」

「今週どうだった?」

 

自問することが、振り返りとなります。

成長する人は、自分へ質問し、自分の変化や状況を客観的に把握しているのです。

 

組織心理学者のターシャ・ユーリック氏は様々な分野で成果をだす人々を研究し、彼らにある共通する特徴を見つけました。

著書『insight(インサイト)――いまの自分を正しく知り、仕事と人生を劇的に変える自己認識の力』でそれが書かれています。

 

 

共通する特徴とは、自己認識が高い、ということです。

 

自己認識とは、本書によれば『自分が考える自分』と『他人が見る自分』を知っており、かつその差が少ないということです。

客観的な自分を知ることが、成果を出す=何かができるようになること の一要素なのです。

 

そのための最も簡単な方法は、自問。

自分へ、質問を投げかけることなのです。

 

★終わり★

プロジェクトマネジメントができない人の3つの要素

こんにちは。

爽一郎です。

 

プロジェクトマネジメントって大変ですよね。

プロジェクトは「未知への挑戦」なので、決まった進め方がないものです。

日々、多くの人々がトライ&エラーでプロジェクトに挑戦しています。

 

だからこそ、少しでも汎用的な進め方を模索し、ちまたにはプロジェクトマネジメントの本やセミナーがあふれています。

私もそんな小説を書いてもおります。

bonzinkun.hatenablog.com

 

私も仕事において、多くのプロジェクトにプロジェクトマネージャーとして挑戦してきました。

プロジェクトをこなすうち、ありがたいことに周りから高評価を受け、結果的に所属部署では誰も進められないような高難易度のプロジェクトが私の元に集まるようになりました。

それなりにプロジェクトにチャレンジしていると、見えてくるものもあります。

これまでの経験から、プロジェクトマネージャーとしてうまく機能しない人が持つ要素を3つ、挙げたいと思います。

 

プロジェクトマネージャーにもレベルがあります。

まず、最下層の機能しない人の要素は

「やる気がない」

 

次に機能しない人が持つ要素は

「やり方を知らない」

 

最後の要素は

「決断ができない」

 

この3つです。

 

 

■やる気がない

まず、一つ目の要素。

やる気がない

 

まぁ、書くまでもないような要素です。

ただ、やる気がない人でもプロジェクトマネージャーに任命されることはあります。

本来的には、そんな人を任命することが間違いなのですが、まぁ、組織の事情でそんな状況を見ることはよくあります。

 

なぜこんな分かり切った要素を挙げたかと言えば、やる気がない人はプロジェクトマネージャーという仕事を誰かに丸投げして進めようとすることがあるためです。

それではうまくことが進まないのですが、なぜかベンダーなどへの丸投げプロジェクトが世の中にあふれています。
それはおそらく、やる気がない人がプロジェクトマネージャーになっているからではないかと私は思うのです。

 

プロジェクトのベンダーへの丸投げ。

委託することは良いと思うのですが、プロジェクトマネージャーまで委託できると考えている人がいます。

それは、多くの場合、無理です。

 

外部の人間は、プロジェクトを構成する全ての背景を知るわけではありません。

課題の解決。

コンセプトの検討。

それらを考えうることができるのは、内部の人間です。

外部に委託するならば、情報共有を徹底的に行う覚悟が必要です。

ですが、多くのやる気がない人は、責任をとりたがらないため、情報共有もおざなりにしがち。

で、うまくいかなかったらベンダーのせいと述べる。

 

第一に、プロジェクトにおけるコンセプトというものは、誰か一人、または少数で考えるべきです。

 

長年読み続けられる、プロジェクトのバイブルとも言える書籍『人月の神話』にコンセプトに関する記述があります。

 

簡単さと直截性は、コンセプトの完全性から生じる。あらゆる部分が同一の原理を持ち、必要項目に同じ重きを置くようになっていなければならない。さらに、あらゆる部分で、構文においては同じテクニックが、またコマンドの語義においては同じ解釈が使用されなければならない。そういう意味で、使いやすさがデザインの統一性、すなわちコンセプトの完全性を決定するのである。

 ~中略~

  ひるがえって、コンセプトの完全性は、デザインは1人または互いに意見が同じで用命しているごく召集の頭脳から考え出さなければならない、ということを主張している。

 

 

プロジェクトで作る様々な要素、機能の細部は、コンセプトに沿ったものであればあるほど、全体の完成度が高まります。
そのコンセプトは、完全性の観点から一人の人間が考えるべきと述べています。

やる気がなく、自分以外の人間にコンセプトの検討をさせようとするプロジェクトマネージャーは、機能しないのです。

 

 

■やり方を知らない

やる気があってもプロジェクトマネジメントがうまくできない。

そんな人が陥っているのは、やり方を知らないということです。

 

これも文章にすると当然なのですが、なかなか難問。

というのは、プロジェクトがうまくいかない時、何が足りないのかは教えてもらえない限り気が付けないからです。

 

想像してみましょう。

テクニカルスキルというものは、非常に不足しているということが分かりやすいものです。

 

プログラミングがうまくできない。

じゃあプログラミングの勉強をすればよい。教えられるまでもなく分かります。

 

英語でのコミュニケーションが仕事に必要。

じゃあ英語を学ぼう。これも分かりやすい。

 

ですが、プロジェクトがうまくいかないとき、何が足りないのかが分かる人は多くありません。

なんか頑張っているのにうまくいかない。
そんな状態に陥りがちです。

 

例えば、プロジェクトメンバーのそれぞれが何をすればいいか分からず、指示待ちになっているとしましょう。

うまく人が動かせず、プロジェクトマネージャーや一部の人だけがめっちゃ仕事をしているような状況です。

必死で指示を出せばプロジェクトは進むでしょうか。

おそらくは、体制が明確でないことが原因です。自分の役割が分からなければ、メンバーは何をすればよいか分からないですから。

 

ですが、それは誰かが教えくれなければ、なかなか分かりません。

 

他にも、課題管理の仕方がまずいのか。

プロジェクトを構成する一つ一つの会議が悪いのか。

 

プロジェクトとは非常に複雑なもななので、プロジェクトマネジメントというものを知ろうとしなければ、進め方は分からないのです。

 

とにかく、プロジェクトマネージャーはプロジェクトマネジメントの本を読んで、実直に実践することをお勧めします。

 
初めて読むプロジェクトマネジメントの本としては、下記の本が読みやすく、かつ分かりやすくておススメです。

 

■決断ができない

やる気もあって、プロジェクトマネジメントの方法も知っている。

それでもプロジェクトマネージャーとしてうまくいかない場合。

決断ができないのかもしれません。

この要素が足りない人が多くいるように私は思います。

 

やる気がない、の項目で伝えたように、プロジェクトマネージャーはコンセプトを考える必要があります。

厳密には、プロジェクトマネージャーはプロジェクトをうまく回す役割なので、コンセプトを考える役割とはイコールではありません。
コンセプトを考えるのは、いわゆるリーダーという立場の方が適切でしょう。

ただ、プロジェクトマネージャーはリーダーとして扱われることが多いため、プロジェクトの方向を考え、意思決定し、リーディングしていくことが求められます。

 

しかしながら、

・自信がない

・自分が決めてもプロジェクトオーナーや上長に覆される

・意思決定する知識や情報を得られない

というようなことが原因で、自分で決断ができないプロジェクトマネージャーを多く見てきました。

 

リーダーは決断することが仕事です。

プロジェクトマネジメントがリーダーを兼ねていることが多い昨今では、プロジェクトマネージャーは決断することが必須なのです。

 

コンセプトを決め、方針を決め、論理だててプロジェクトオーナーに説明する。

このスキルがなければ、プロジェクトマネージャーとしては機能しません。

 

決断して、その責任をとるという覚悟。

これが最後に必要となる、プロジェクトマネージャーの要素です。

 

 

プロジェクトマネージャーに必要なスキルは大量にあります。

進め方のノウハウも、世の中に多くあります。

本などを読んで基本的な進め方を知ることは、まず必要なことです。

さらに必要なのは、結局は覚悟であり、中心となる方針を、自分の頭で考え、決断することなのです。

 

★終わり★

優秀な人が持つスタンス。自分に厳しく、他人に…

こんにちは。

爽一郎です。

 

感情を排して仕事が出来たら、どれほどすばらしい成果が上がるだろうか。

そんなことを考えることは多々あります。

 

人間は感情で動く生き物なので、モチベーションが仕事の質を上げるということは一定正しい。

ただ、全ての人がモチベーションをもって仕事に向かえるわけではありません。

むしろ、モチベーションが上がる仕事や、やりがいのある仕事にありつける人のほうが少ないものです。

多くは、仕事の一部はやりがいあるという程度でしょう。

もしくは、やりがいなんて無理やり見つけない限りゼロ、という人が大多数ではないかと思っています。

 

であれば、仕事においてはポジティブな感情が生まれにくいもの。
そんな状況において、感情なんて排して仕事できたらどれほどよいか。

そんなことを考えてしまうのです。

 

このへん、ロボットは最強だなぁなんて思ってしまうのですが、人間は前述の通り感情で動きます。

感情を排することは夢物語です。

 

と言うわけで、今日言いたいことは、リーダー的な立場の人であればあるほど、個人的な感情を抑えて成果に目を向けられるか、が重要ということです。

 

■まわりから「ずるい」と思われたTさん

チームで仕事をしていて良く出てくる感情が、「ずるい」というやつです。

 

過去、同僚にこんな人がいました。

名前をTさんとしましょう。

 

私は前職ではITインフラシステムお客さんに提案して構築する仕事をしていました。

Tさんはその時の同僚です。

 

Tさんは部門や課として実施すべき仕事があったとしても、自分が興味がある分野の仕事しかしない。

それが売り上げに結びつかないとしても、Tさんがエンジニアとして興味がある仕事しかしない。

 

いわゆる、自分のしたいことしかしない人です。

 

そのこだわりは徹底的で、評価が下がろうが気にしない。

いわゆる日本企業なので、そうそう首になる会社でもないですし、異動もわがままを突き通せば断ることができる。
だからTさんは強気に我を通していました。

とは言え、彼に良い点もありました。
技術へのこだわりは一級品なので、たまたまTさんが興味のある分野と部門の方針が合致する領域があれば、かなりの戦力になるのです。

しかし、エンジニアあるあるで、人との調整事は苦手なので一切しない。

特定分野でとびぬけた技術力はあるけれど、使いづらい奴。

 

そんな認識を皆持っていました。

 

ある時、Tさんにプロジェクト推進が依頼されました。

技術分野として適合していたので、課長がTさんに依頼をした案件でした。

Tさんの職級は技術的なことだけをするようなそれではなく、本来はプロジェクトを回すような仕事もしないといけない職級であるため、課長も成長の意味を込めてアサインしたようです。

 

ただ…前述の通りTさんは技術に興味があるだけでプロジェクトマネジメントはしようとしません。

顧客へヒアリングして目的確認し、要望を聞いて要件定義し、必要な人員を集める。

そういった、Tさんからすると「めんどうなこと」は一切しません。

Tさんは好き勝手に顧客の意見を想像して技術検証するだけだったのです。

よって、プロジェクトは進まず、炎上しました。

 

炎上したがゆえ、私含め他のエンジニアが火消しに入ってプロジェクトを進めたのです。

 

その折にTさんへ周りが持っていた感情は、まさしく「ずるい」なのです。

 

顧客との調整は面倒なものです。

炎上中は、余計に大変。

だいたい向こうはネガティブな感情をこっちに向けてきますから。

 

そういった面倒なことは一切せず、Tさんは好きなことだけ黙々と行うのです。

まさしくTさんがしなかったことの「しわ寄せ」を食らっている。

そう感じました。

 

ただ、プロジェクトの要件や進め方を整理し、炎上がましになったのちには、Tさんはとんでもなく役立ちます。

技術力は高いので、かなりの速さでシステム検証や構築を行ってくれます。

 

それでも、周りのメンバーは陰口を言いました。

どれだけ役に立とうとも、Tさんは好きなことしかしない。

無理やりにでも、大変な顧客との交渉にひきずりだそう、と。

Tさんにも辛い仕事をしてもらおう、と。

 

しかし、炎上を鎮火するためにアサインされたプロジェクトマネージャーはこう言いました。

 

Tさんに辛い仕事をさせても、お客さんは満足しない。

 Tさんにはこのまま、したいことだけしてもらう。

 それが一番仕事が進む方法なんだから

 

結局、プロジェクトマネージャーはTさんに、終始構築や検証と言った技術的な作業をさせました。

 

 

■感情を排して仕事を割り振る方がうまくいく

組織の一員として成果を出す方法。

それは、

自分には高い要求を、他人には期待しない

という考え方でいることです。

 

人材育成として、期待を込めて仕事をまかせる、なんてことはあるかもしれません。

ですが、大半の仕事は『成長してもらうために任せる』ようなものではなく『遂行が必要だから任せる』ものでしょう。

先ほどの例のように、本人にやろうという意思がないのに、無理に顧客との折衝を任せても結果は出ません。

やってくれるだろう、とか、命令すれば実行するだろう、と期待するより、できることをさせるほうが圧倒的にうまく仕事はまわります。

 

かのドラッカー氏も組織で成果出すためのマネジメントに必要なものとして、こう語っています。

 

人のマネジメントとは、人の強みを発揮させることである。人は弱い。悲しいほどに弱い。問題を起こす。手続きや雑事を必要とする。人とは、費用であり、脅威である。 しかし人は、これらのことのゆえに雇われるのではない。人が雇われるのは、強みのゆえであり能力のゆえである。組織の目的は、人の強みを生産に結びつけ、人の弱みを中和することにある。

 

 

出来ないことをさせても成果はでず、人の強みに焦点を当ててできることをさせる。

これが重要なことなのです。

 

 

ただ、そうだとしても我々の感情が邪魔をします。

 

『自分には高い要求を、他人には期待しない』

例えば…

 

自分はわかりやすく伝えよう。

しかし、人から分かりやすい説明がもらえるとは思うべきでない。

 

自分は本を読み一生懸命実践してるのに、他の人はやってない。

なんでやらないんだろう。

 

そんな状況に身を置けば、他人を見下したり、周りの人をずるいと考える感情が出てきます。

 

冒頭のTさんのように、やりたくない事しかしない人はいます。

そんな人は、組織という安定を教授しつつ、やりたいことだけやろうとするずるい人かもしれません。

ただ、ずるいからと言って無理にできもしない仕事をさせることは、マネジメントとして無能なのです。

 

ずるいから、できなくてもやらせる。

あの人はどうせやらない、そんなことは分かっているけどやらせる。

そんな感情的な仕事の振り方をしてしまうチームを、私はこれまで見てきました。

ほぼ、仕事はうまくいきません。

 

感情を排して仕事ができればどれほどよいか…。

いや、そうしなければ、組織で成果を出すマネジメントなどできないのです。

 

さらに『自分には高い要求を、他人には期待しない』に則して、こう言うこともできます。

 

自分は感情に左右されない。

だが、人は感情に左右されるので、配慮する。

 

見下すのではなく、それがビジネスでは最も成功率が高い振舞いなのです。

 

感情から一線を引いて、より成果を出せるように邁進する。

 

それを端的に表せば、自分には高い要求を、他人には期待しない。

自分に厳しく、他人には優しく、となるのです。

 

 

★終わり★

上司と部下の軋轢。恋人との軋轢。その本質的原因とは

こんにちは。

爽一郎です。

 

同僚や上司との軋轢、恋人との喧嘩。

日常にそれなりにあることだとは思います。

 

これは何が原因かと言えば、様々です。

ただ、それらを回避する方法として、相手の抱いている『期待値』に着目する、という方法があります。

 

■期待値のずれで、怒られるの巻

数年前、妻とベビーカーに子供を乗せて買い物に出かけました。

眠そうにしている我が子を見て、妻が私に言いました。

 

「ベビーカーの背もたれを下げて、寝やすくしてあげて」

 

いわゆるリクライニングですね。

ですが、私はベビーカーの背もたれの下げ方がわからず、

 

「え?どうやってやるの?」

 

と返しました。

 

「そんなぐらい知っておいてよ!」

 

と怒られつつ、結局妻がリクライニングを施しました。

 

この時、私は

「え、そんなリクライニング滅多にしないのに、覚えてるわけないじゃん。」

と思ったわけです。

当時、妻は育児休暇中。平日もしょっちゅうベビーカーを押している妻ならリクライニング方法は知っていることでしょう。

しかし、私がベビーカーを押すのは土日でのみ。
しかもその中でもたまにしかリクライニングしない私が、それを覚えていて当然!と思うのは無理あるんちゃうの?と思ったわけです。

 

その時、怒られながら私は思いました。

 

「これが、期待値のずれだなぁ」と。

 

つまりは、妻の私に対するベビーカー熟知度(というより子供の世話全般)の期待値と、私の実力に乖離があった。

それがこの事件の原因なのです。

 

 

■会社の評価は、会社の期待値が基準

話は変わりますが、会社が我々を評価するときも、期待値をベースにしています。

会社や上長の我々に対する期待値と、我々の成果を照らし合わせ、評価がつけられるのです。

 

頑張ったのに上司から評価されない。

そもそも、どう頑張ればいいのかわからない。

それは、上司の期待値を把握できていないことが原因かもしれません。

 

逆に、部下が自分の期待通りの動きをしてくれない。

そんなことがあるとすれば、自分の期待値を伝えられていないことが原因かもしれません。

 

 

経験者や上司は、まだ経験もスキルの無い新人に対し、100%自分と同じ成果は求めませんよね。

そんな理不尽を求めないことはみんなわかってます。

 

ですが、このぐらいはできて欲しい、というレベルは主観なので、明確にしない限り分からないものです。

新人側から見れば過剰な期待をされていると思ってしまうかもしれないし、上司側から見ればもっとやってほしいなぁ、と思うかもしれない。

ベビーカー事件と同様に、双方の認識に乖離があります。

 

解決のためには、会社では、指示内容や期待することをできる限り明確にすることです。

それで、軋轢は減ります。

 

かのピーター・ドラッカー氏の著書の中には、しばしば基準を明確にし、期待を伝えるということの必要性が説かれています。

 

事実、うまくいっている組織には、必ず一人は、手をとって助けもせず、人づきあいもよくないボスがいる。この種のボスは、とっつきにくく気難しく、わがままなくせに、しばしば誰よりも多くの人を育てる。好かれている者よりも尊敬を集める。一流の仕事を要求し、自らにも要求する。基準を高く定め、それを守ることを期待する。何が正しいかだけを考え、誰が正しいかを考えない。真摯さよりも知的な能力を評価したりはしない。

 

 

 

ドラッカー氏も言うように、組織においては基本的には、指示する側が期待を明示せねばならないのです。

が、あなたが部下であって上司の期待が分からないならば、上司に聞きましょう。

 

「具体的に何を期待されていますか?」と。

 

契約ではそれが明文化されているのですが、契約ではない関係=上司と部下の関係では、それが曖昧になってしまうことが多いです。

そういったものが期待値のずれとして、不満の元となるのです。

 

多くのプロジェクトを成功に収めたという元ボストン・コンサルティンググループに勤務していた山口周氏が、プロジェクトの成否は期待値で決まると述べています。

 

これはそもそも論ですが、プロジェクトが「成功する」とか「失敗する」というのは、どういうことなのでしょうか? 結論から言えば、関係者の期待値より高い結果に終われば「成功」であり、関係者の期待値より低い結果に終われば「失敗」なのです。ここが芸術におけるプロジェクトとビジネスにおけるプロジェクトの最大の違いです。芸術におけるプロジェクトは基本的に「最高のもの」を目指します。百点が成功であって九十点では失敗なのです。

 一方、ビジネスにおけるプロジェクトでは費用対効果が必ず問われます。たとえ九十点であっても、かけた費用に対する期待値が八十点であれば、それは大成功といっていいわけです。

 

 

本書は期待値の確認のみではなく、期待値をコントロールすることまでがプロジェクトマネジメントとして書かれています。

期待値を把握することは、成果をだすためには必須の事項なのです。

 

 

■とはいえ家庭経済では…

最後に、家庭の話に戻りましょう。

家庭、恋人との喧嘩も、互いの期待値のずれで起きます。

 

一方はLineをすぐに返してほしい。しかし、一方はLineは半日に一回しか見ない。

そんなカップルにはLine返信時間に対する期待値のずれから、論争が巻き起こるでしょう。

 

妻は、私に対して妻と同等の水準は無理だとしても、リクライニング方法ぐらい覚えといてよ、という期待値を持っていたわけです。

そこに私が到達していないがゆえにプンプン丸だったのです。

 

ですが、家では期待値を明確にするなんて、現実的じゃないですよね。

妻が夫にしてほしいことリストを作る?いやぁ、それは恐ろしいなぁ。

期待値の理論は家庭経済にそのまま適用すると、破滅します。

 

そんな時には、共感が必要になります。

あなたの期待値はこれだったんだね、という共感。

これは、期待値の確認も同時に行うことになります。

 

共感は、家庭だけではなく、仕事場でも有効です。

仕事でも期待値の定義が難しい状況であるならば、共感を入れるほうが良いかもしれません。

 

その期待値のずれでおきたベビーカーリクライニング事件から数年が経ち、私は妻の子育て熟練度の期待値に近づいてきました。

今は育児によるいさかいはほとんどなくなりました。

期待を確認して、それに添うように行動する。

 

それは人と協働するためは不可欠なのです。

 

 

★終わり★