こんにちは。
爽一郎です。
同僚や上司との軋轢、恋人との喧嘩。
日常にそれなりにあることだとは思います。
これは何が原因かと言えば、様々です。
ただ、それらを回避する方法として、相手の抱いている『期待値』に着目する、という方法があります。
■期待値のずれで、怒られるの巻
数年前、妻とベビーカーに子供を乗せて買い物に出かけました。
眠そうにしている我が子を見て、妻が私に言いました。
「ベビーカーの背もたれを下げて、寝やすくしてあげて」
いわゆるリクライニングですね。
ですが、私はベビーカーの背もたれの下げ方がわからず、
「え?どうやってやるの?」
と返しました。
「そんなぐらい知っておいてよ!」
と怒られつつ、結局妻がリクライニングを施しました。
この時、私は
「え、そんなリクライニング滅多にしないのに、覚えてるわけないじゃん。」
と思ったわけです。
当時、妻は育児休暇中。平日もしょっちゅうベビーカーを押している妻ならリクライニング方法は知っていることでしょう。
しかし、私がベビーカーを押すのは土日でのみ。
しかもその中でもたまにしかリクライニングしない私が、それを覚えていて当然!と思うのは無理あるんちゃうの?と思ったわけです。
その時、怒られながら私は思いました。
「これが、期待値のずれだなぁ」と。
つまりは、妻の私に対するベビーカー熟知度(というより子供の世話全般)の期待値と、私の実力に乖離があった。
それがこの事件の原因なのです。
■会社の評価は、会社の期待値が基準
話は変わりますが、会社が我々を評価するときも、期待値をベースにしています。
会社や上長の我々に対する期待値と、我々の成果を照らし合わせ、評価がつけられるのです。
頑張ったのに上司から評価されない。
そもそも、どう頑張ればいいのかわからない。
それは、上司の期待値を把握できていないことが原因かもしれません。
逆に、部下が自分の期待通りの動きをしてくれない。
そんなことがあるとすれば、自分の期待値を伝えられていないことが原因かもしれません。
経験者や上司は、まだ経験もスキルの無い新人に対し、100%自分と同じ成果は求めませんよね。
そんな理不尽を求めないことはみんなわかってます。
ですが、このぐらいはできて欲しい、というレベルは主観なので、明確にしない限り分からないものです。
新人側から見れば過剰な期待をされていると思ってしまうかもしれないし、上司側から見ればもっとやってほしいなぁ、と思うかもしれない。
ベビーカー事件と同様に、双方の認識に乖離があります。
解決のためには、会社では、指示内容や期待することをできる限り明確にすることです。
それで、軋轢は減ります。
かのピーター・ドラッカー氏の著書の中には、しばしば基準を明確にし、期待を伝えるということの必要性が説かれています。
『事実、うまくいっている組織には、必ず一人は、手をとって助けもせず、人づきあいもよくないボスがいる。この種のボスは、とっつきにくく気難しく、わがままなくせに、しばしば誰よりも多くの人を育てる。好かれている者よりも尊敬を集める。一流の仕事を要求し、自らにも要求する。基準を高く定め、それを守ることを期待する。何が正しいかだけを考え、誰が正しいかを考えない。真摯さよりも知的な能力を評価したりはしない。』
ドラッカー氏も言うように、組織においては基本的には、指示する側が期待を明示せねばならないのです。
が、あなたが部下であって上司の期待が分からないならば、上司に聞きましょう。
「具体的に何を期待されていますか?」と。
契約ではそれが明文化されているのですが、契約ではない関係=上司と部下の関係では、それが曖昧になってしまうことが多いです。
そういったものが期待値のずれとして、不満の元となるのです。
多くのプロジェクトを成功に収めたという元ボストン・コンサルティンググループに勤務していた山口周氏が、プロジェクトの成否は期待値で決まると述べています。
『これはそもそも論ですが、プロジェクトが「成功する」とか「失敗する」というのは、どういうことなのでしょうか? 結論から言えば、関係者の期待値より高い結果に終われば「成功」であり、関係者の期待値より低い結果に終われば「失敗」なのです。ここが芸術におけるプロジェクトとビジネスにおけるプロジェクトの最大の違いです。芸術におけるプロジェクトは基本的に「最高のもの」を目指します。百点が成功であって九十点では失敗なのです。
一方、ビジネスにおけるプロジェクトでは費用対効果が必ず問われます。たとえ九十点であっても、かけた費用に対する期待値が八十点であれば、それは大成功といっていいわけです。』
本書は期待値の確認のみではなく、期待値をコントロールすることまでがプロジェクトマネジメントとして書かれています。
期待値を把握することは、成果をだすためには必須の事項なのです。
■とはいえ家庭経済では…
最後に、家庭の話に戻りましょう。
家庭、恋人との喧嘩も、互いの期待値のずれで起きます。
一方はLineをすぐに返してほしい。しかし、一方はLineは半日に一回しか見ない。
そんなカップルにはLine返信時間に対する期待値のずれから、論争が巻き起こるでしょう。
妻は、私に対して妻と同等の水準は無理だとしても、リクライニング方法ぐらい覚えといてよ、という期待値を持っていたわけです。
そこに私が到達していないがゆえにプンプン丸だったのです。
ですが、家では期待値を明確にするなんて、現実的じゃないですよね。
妻が夫にしてほしいことリストを作る?いやぁ、それは恐ろしいなぁ。
期待値の理論は家庭経済にそのまま適用すると、破滅します。
そんな時には、共感が必要になります。
あなたの期待値はこれだったんだね、という共感。
これは、期待値の確認も同時に行うことになります。
共感は、家庭だけではなく、仕事場でも有効です。
仕事でも期待値の定義が難しい状況であるならば、共感を入れるほうが良いかもしれません。
その期待値のずれでおきたベビーカーリクライニング事件から数年が経ち、私は妻の子育て熟練度の期待値に近づいてきました。
今は育児によるいさかいはほとんどなくなりました。
期待を確認して、それに添うように行動する。
それは人と協働するためは不可欠なのです。
★終わり★