こんにちは。
爽一郎です。
コロナ対策として私の勤めている会社でも、私を含めてほとんどの人間がテレワークとなりました。
テレワークも4週目。
ゴールデンウィーク後も続きます。
これだけ時間が経つと、さすがに慣れてきました。
以前、テレワークを始めたころに下記の記事を書きました。
要は、テレワークは雑談がし辛いから、感情情報の交換ができずにしんどいなぁ、なんて話です。
そんな記事を書いたら、友人から
「雑談のWeb会議を、私の会社では、やっているよ」
とアドバイスをもらいました。
なお、Web会議とは、インターネット経由で行う音声やビデオを使った会議です。
いわゆるビデオ会議と思ってもらえれば良いです。
ということで、雑談が仕事上でも必要だと思った私は「雑談Web会議」を行っています。
毎日、可能な限り、私の部下たちと「時間があれば参加どうぞ」という旨の雑談Web会議の召集を送り、開催しています。
内容的には、ただの雑談です。ですが、こういった時間は重要だな、と本当に思います。
ただ、雑談をしながらふと思うことがあります。
「これは業務時間なのか?それとも自由時間なのか?」
■成果に真摯な人は、業務時間の雑談もネットサーフィンも有り
私は前述に記事に書いた通り、雑談がストレス発散にもなるし、チームメンバーの業務以外の状況、例えば精神的な状況把握にもなります。
マネジメントには、そういう把握が必要だと考えています。
雑談によるストレス発散は、セルフマネジメントとも言えます。
そう考えると、業務で成果をあげるために必要な活動だから、雑談Web会議も業務と考えても良いよね、とは思うのです。
さて、メンバーたちはどう考えているのか?
それは分かりません。
というより、どう考えていてもよいと思っています。
私は、成果を出してれば、業務時間には何をしていても構わないと考えています。
まぁ、怒鳴って周りの士気を下げるとか、チームの活動に迷惑をかける行為は個人が成果を出していても看過できませんが。
とは言え、だいたいのことは気にしません。
ちゃんと成果を出す信頼できる人が業務中にネットサーフィンしていようが、
「きっとその人に必要なことなんだろう」
と思うだけで、気にかけません。
かのドラッカー教授もこう述べています。
『組織構造は、組織のなかの人間や組織単位の関心を、努力ではなく成果に向けさせなければならない。成果こそ、すべての活動の目的である。専門家や能吏としてでなくマネジャーとして行動する者の数、管理の技能や専門的な能力によってでなく成果や業績によって評価される者の数を可能なかぎり増やさなければならない。
成果よりも努力が重要であり、職人的な技能それ自体が目的であるかのごとき錯覚を生んではならない。仕事のためではなく成果のために働き、贅肉ではなく力をつけ、過去ではなく未来のために働く能力と意欲を生み出さなければならない。』
成果が大事なのであって、努力をすること自体は評価対象とすべきではない、と述べています。
ネットサーフィンかもしれないけど、会社に出社してちゃんとパソコンに向かっているよ、というのは何の評価の対象にもなりません。
逆に、どれだけ真面目に努力して時間を費やしていたとしても、成果が出ていなければ評価を上げるべきではありません。
費やす時間の量は、常識的な範疇ならどうでもよいのです。
成果を出すために何をするのか?どう時間を使うのか?それが重要なのです。
その重要性を知っている人、つまり成果に真摯な人であれば、時間を何に費やしていようが、気にならないのです。
だって、適当に過ごしても成果は出ないのですから。
よって、メンバーがどう思っていようが、成果を出そうとしている人であれば、雑談を業務時間だとしても何も思いません。
ただ、その理屈は万人には当てはまらないだろう、とも思うのです。
■時間を賃金の対価と考えている人には、テレワークはいずれ辛くなる
先ほども述べたように、成果を出すために必要なことなら、業務時間でも好きに時間を使えば良い、というのが私の考えです。
もちろん、出社して仕事している時には周りの目があるので、なんだかんだ言ってみんな業務っぽいことをしているわけですが。
ただ、テレワークではそんな「周りの目」がなくなります。家で1人です。
(同居人はいるかもしれませんが。)
さて、そんな状況において、成果に真摯でない人はどうなるのでしょう…。
職場には「この人、何して会社に貢献しているんだろう」と思う人はいます。
私の前の職場にもいました。
きっとあなたの職場にもいることでしょう。
ようするに、
「なんの成果も出していない人」
のことです。
そんな人が勤務中にネットサーフィンしていたら、先ほどの成果に真摯な人のネットサーフィンとは意味合いが異なります。
成果を出すためのネットサーフィンではなく、会社で時間を過ごすためのネットサーフィンなのです。
その人にとっては、会社にいて、拘束されること自体が賃金を払われる行為なのです。
成果ではなく、時間に対する対価として賃金をもらっている。
実際、多くの日本企業が給料は時間に対する計算がベースではあります。
そう考える人が多いというのは、仕方のない話しでしょう。
そんな、出勤時にはネットサーフィンで時間を潰すことにエネルギーを費やす人がテレワークしたら…?なんて思いますよね。
成果に真摯でない人に対して、テレワークで雑談Web会議という正式な雑談時間を設けることはリスクがあります。
「時間をこんなふうに潰して良いんだ」と思わせることになるのです。
あくまでも雑談も、成果を出すためには必要な行為。
だから、勤務時間には雑談をしても良いと思っています。
が、成果を出さない人にこの理屈は合いません。
私が今、雑談Web会議をしているメンバーたちは、成果に真摯な人だけなのです。
ぶら下がり社員という言葉があります。
頑張らないけど、クビを切られにくいという日本の雇用形態を利用して、定年までそれなりの給料をもらい続けるという人々のことです。
企業勤めという安定にぶら下がる、という意味でぶら下がり社員と呼ばれています。
成果を出すつもりはない人々とも言えるでしょう。
日本は非常に解雇がしづらいのです。
特に大企業は、ぶら下がり社員を雇い続けることが社会的義務のようになっています。
普通に考えれば、不要な人々ではあります。
ですが、クビは切れないし、切れる状況になったとしても大量の失業者を出すことになれば日本の経済状況や治安が悪化するかもしれません。
そういう意味で、日本の大企業というのはベーシックインカムを与えているのです。
成果を出そうが、出すまいが、それなりの給料を出す。
成果を出せば、少し給与が上乗せされる。
とびぬけた給料をもらう人もいないけれど、金銭面で不遇すぎる扱いを受ける人もいない。
安定という点では、良い制度なのでしょう。
人の寿命が長くなって終身雇用がなくなり、そんなベーシックインカムも崩壊しては来ているものの、まだまだ根強いものです。
さて、そんななかにテレワークを放り込むと、どうなるのでしょう。
先ほども言った通り、ぶら下がり社員は一体何をするのでしょうか。
会社に拘束されていないテレワークという業務時間に、何をして、何の対価に賃金をもらうのでしょうか。
そう、テレワークを本当に機能させるには、成果主義で評価を見るしかないのです。
私の勤める会社は、それなりに大きな会社です。
先ほど述べたような、ベーシックインカム的な企業ではあります。
だから、私は今の状況では成果が仕事の対価だと考えていない人に、雑談時間を設けるのは難しいと感じるのです。
働き方改革、そしてコロナ騒ぎで、テレワークは日本でももっと身近なものになっていくでしょう。
すぐには変わらないかもしれませんが、将来的にテレワークを一つの働き方とした人事制度に変わっていくかもしれません。
そうなった時、成果に真摯でない人にとっては、成果主義を強くなった働き方に身を置くことが、辛い状況になるかもしれません。
★終わり★