こんにちは。
爽一郎です。
気持ち良い話ではないのですが、私は”フケ”が出る日があります。
フケって言うと、頭から出てくる白い皮膚のカスです。
肩に粉雪のようにたまると不潔な印象を持たれるし、出ないに越したことはありません。
フケを無くすため、日夜努力をしております。
シャンプーで頭を二度洗いするといけない、とか手を使って優しく洗うべし、とか、フケ対策を調べるといろいろと情報があります。
ただ、二度洗いしなくても出る時もあるし、出ないときもある。
むしろ二度洗いしたほうが出ない時期もある。
優しく洗っても出たりでなかったりする。
今では、二日か三日に一度は二度洗いし、それ以外の日は一度洗いとすることでフケ発生日は少なくなることが分かりました。
それでも、1週間に一度ぐらいは出てくる日があるのです。
美容室で話を聞きましたが、髪の毛の量や温度、湿度、その日の疲労状態や紫外線を浴びた量などでフケ対策は変わるのだと。
それらを全て把握して、こんな時は、こんな頭皮ケア!と決まればフケはなくなるのかもしれません。
いやぁ、そんなん無理。
完全に私がフケを抑えられる日は来ないのかも。絶望的ですね。
この絶望感は、業務の属人化の排除についても同じことが言えます。
■属人化は無くしたいけど…
属人化。
意味を引いてみると下記です。
属人化
特定の人しかできない業務になっちゃってるという意味で、上にあるように悪い意味合いで使われることが多い言葉ですね。
属人化していると、特定の人に仕事があつまってボトルネックになったり、誰がやってもよさそうな業務を単価が高い人がやってたりと、不合理な状態を引き起こしがちです。
そのため、マニュアル整備による標準化や自動化が着目されています。
属人化を排除して、誰もができる業務に!
可能なものは自動化して機械にやらせちゃおう!
これで、より生産性の高い時間の使い方が出来るようになって、みんな幸せ!
…なんて簡単にはいかないのです。
属人化の排除とは、誰もが機械的にできる状態に業務を落とし込むことです。
その状態にするには、どうしてもコストがかかります。
例の話をするためにフケ対策の話に戻りましょう。
戻りたくなくても戻りましょう。
フケ対策を機械的にできる状態にする。
これは一種の属人化排除です。
例えば、マニュアル的に
今日の温度が何度で、髪の長さが何センチで、汗をかいた量がいくらで…
そういう定型化したインプットから今日すべき頭皮ケアの種別を機械的に選択できる。
そんな状態が属人化が排除された状態なのです。
美容師に毎日確認してもらって、このケアで行きましょう!と相談するのは属人化の排除になりません。
美容師さんしか頭皮ケア種別の判断ができないので、属人化してますもんね。
これ、定型化するには、頭の油分を何かで測定したり、頭の一日の平均湿度をなんらかの方法で取得したりと、考えるだけでも大変なものです。
謎の、聞いたこともない測定器が必要そうですよね。
測定する手間もかかります。金も時間もかかる。
ようするに、コストがかかります。
私のフケ対策を完全に標準化するには、コストからすると絶望的なのです。
■属人化との戦いは、コストとの戦いである
仕事の属人化排除、つまり標準化に必要なことは明確な判断基準を設けることです。
こういうときはこう、という属人化した感覚を、数値や明確な判断基準に置き換える必要があるのです。
簡単に数値化や判断基準が明確にできる業務もあるでしょう。
ただ、頭皮の油分量を明確にするぐらいに、手間がかかる業務もあります。
簡単に標準化できないからこそ、属人化しているという側面もあるでしょう。
その昔、ホリエモンが寿司職人が何年も修行して一人前になるということに対して異を唱えました。
『寿司職人として一人前になるためには「飯炊き3年、握り8年」の修行が必要、などという話があるが、ホリエモンこと堀江貴文さん(43)がツイッターで、問題なのは職人としてのセンスであり「何年も修行するのはバカだ」と切り捨てた。』
一人前の寿司職人になるために10年以上かかる、というのは、技能を行使するための明確な判断基準が設けられていないからでしょう。
判断基準を感覚として理解するのに10年かかるということなのです。
この判断基準を数値化していけば、きっと誰もがすぐに寿司を作れる。
技能としての握る技がいるなら、湿度やらネタの種類や温度や柔らかさや鮮度を数値化して入力し、機械で適した握り方ができるものを作れば職人と何ら遜色ない握りが再現できるかもしれません。
が、それをしないのは、数値化ができないからです。
いや、やろうと思えばできるのでしょうが、途方もないコストがかかるためです。
だからこそ、10年かけないと習得できない技能となっているのです。
ただ、一部を標準化できれば、きっと習得期間は縮まることでしょう。
10年が3年になるかもしれないし、もっとコストをかければ3ヶ月になるかもしれない。
そのコスト比較なしに「一人前の寿司職人になるには10年かかるんだぜ」と言われると、ホリエモンのように突っ込みたくはなるわけです。
大人気のゲームシリーズ、『龍が如く』では、バグ修正をほぼ自動化したと言います。
『いくつかのシステムはこれまでのシリーズ作品でも採用されていたが、細部がより効率化し、自動処理で多数のタスクを処理できたという。そして23工程あるバグ潰しのうち、20工程も自動化に成功。完璧に20工程すべて全自動化で処理されたバグ総数は、250個と数としては少なめに見えるが、どのエラーも何かしらの自動化に関わっているという。』
記事を見ると、とても驚きの自動化レベルです。
これは、龍が如くシリーズが爆裂な利益を得るからこそ、この仕組みを作ることができたのでしょう。
ようするにコストをかける価値があるから、自動化を実現できたのです。
属人化を排除するには、コストがかかり、どこまでコストを負担できるかがどこまで排除できるかを決めるのです。
■どこまでコストかけて属人化なくすの?がマネジメントが考えるべきこと
もちろん、卓越した自分だけの技能は、やはり需要があります。
10年かけないと得られない寿司スキルは、そりゃあ価値があるものです。
ですが、それは組織で使う場合はリスクになります。
その人が離れたら終わり。
だから、そんなスキルを誰もが扱えるように定形化することに需要があるのです。
標準化、自動化を進めるためだけのコンサルもいますし、商売になるような領域です。
これは組織で継続して成果を出すためのマネジメントの一つです。
スキルの定形化はコストがかかり、そこに一石を投じたのがデータ分析やAI。
だから、とても注目されているのです。
AIに教師データと言われる特定の情報、寿司の例で言えば寿司ネタの温度やら種類とアウトプットとしてのおいしさを数値化して、”大量に”インプット情報としてAIに渡せば、AIは自動的にこんな寿司ネタで温度の時はこういう握り方や切り方をしたらいい、なんてことを覚えるわけです。
考えればわかりますが、コストがかかります。
AIは特定の特化した領域でした今は実力を発揮できない理由は、ここにあります。
そんなわけで、なんだかんだで全てをAIが標準化してくれるのは限定的というのが私の見解ではあります。
属人化をいかに適切なコストで排除するか。
寿司を何年で握れるような技能にするか。
どこまでフケがでないシャンプールールを考えるか。
これらは属人化の排除という点では同じことです。
全てを標準化するなんて幻想です。
組織の成果を安定させるため、どこまでコストをかけて標準化させるか。
そのコストをかけられないなら、属人化のリスクを許容するべし。
その意思決定が、マネジメントには求められます。
★終わり★