こんにちは。
爽一郎です。
私は、記憶力が良い方ではありません。
すぐに忘れます。
会議の内容なんて、すぐに忘れるので議事録なりメモなりをつけておかないと、
「あれ、なんのことだっけ?」
となることが良くあります。
一方で、メモなんて不要な、記憶力抜群の人々がいます。
知能指数が高いってそういうことなのかな、なんて思いつつ、羨ましく感じることもあります。
周りにそんな人が数人いますが、彼らはあの時のあの発言、というものをよく覚えています。
が、今日はそんな人ほど議事録というものは取らないとダメよ、と言うお話です。
人と協働するのであれば。
■あの時、ちゃんと言ったじゃん
記憶力が高い人。
過去、仕事場にそんな人がいました。
彼はメモを取らない。
何でも覚えているからです。
名前を、仮にMさんとしましょう。
Mさんは会議の内容を、100%とは言いませんがよく覚えている人でした。
誰が何の発言をしたのか、結構覚えていたのです。
そんなMさんに、メモでも取っているのかと聞きましたが、とっていないとのこと。
「そういうの、覚えておくのが得意なんだよね」
そんな言葉が返ってきたました。
こりゃすごい。
私は羨ましく思ったのを覚えています。
知能指数が高いと、記憶力が高いと言われています。
『IQが高い人は、物事の構造を瞬時に分析できるため、一度何かを見たり聞いたりするだけで記憶してしまう素質を持っている人も多いです。
IQが高い人を全体的に見ても記憶力の高い人が多いため、人の話や仕事のやり方をすぐに覚えるのも得意。』
Mさんも、頭の回転が速い人でした。
周りの人も、Mさんには一目置いていましたし、実際に仕事もできました。
ただ、仕事の優秀さはプレーヤーとしてであり、チームリーダーとして仕事をする場合にはいざこざがそれなりにありました。
それは、チームメンバーとMさんとの認識違いです。
私はMさんのチームで短い間ですが、プロジェクトメンバーとして活動したことがあります。
Mさんが会議で伝えた内容、メンバーが話した内容。
彼は議事録を取りません。周りで誰かが書いてくれることはあるものの、彼が主催する打ち合わせであれば、指示されない限り誰も議事録はとらないものです。
議事録取るのって面倒ですからね。
結果、Mさん本人は覚えていても、チームメンバーが覚えていない物事が多々ありました。
例えば、下記のような内容。
「来週の月曜日までに顧客へ、このシステムの設定値の根拠を伝えて合意を得ておいて。
その根拠は、顧客のBさんと前に決めた内容で検討して」
”Bさんとの前に決めた内容”が何であるかをMさんと認識合わせすべきなのですが、若いメンバーで構成された当時のチームは、それができませんでした。
また、日が経つと”設定値の根拠の合意”というものも具体的に何をするものだったか、記憶があいまいになっていきます。
タスクを忘れてしまう人も出てきました。
ただ、それでもMさんには指摘されます。
「なんでできてないの?あの時、ちゃんと言ったじゃん」
みんな、Mさんの記憶力が高いことは知っていたので、Mさんの言うことが誤っているということについて疑うことはありませんでした。
ただただ、自分たちが指示を覚えていない、ということにもどかしさを感じる日々だったのです。
次第に自分でメモを取るようなメンバーも現れました。
が、Mさんの発言や会議内容のすべてをメモするなんてことはできず、メモすべき要点というものも的確にとらえられない私を含む若いメンバーたちは、Mさんとの認識のずれを無くすことはできなかったのです。
それでも、Mさんはできる人だったのでみんな頼りにし、なんだかんだで仕事は進みました。
Mさんも、会社から評価はされていたように見えました。
が、思い返すと、Mさんは仕事ができてすごい人でしたが、メンバーとしては一緒に仕事するのは辛かったなぁ、なんて思います。
ベストセラー『人は見た目が9割』で話題になりましたが、人は視覚からの情報を最も大きな判断材料にして活動していると言います。
聴覚からの情報や、話の内容と言った言語情報は、視覚よりも人に及ぼす影響が少ないのです。
Mさんは口頭で聞いた話でも覚えらえていたようですが、それは特殊能力なのかもしれません。
もしくはMさんもそういうものが覚えられるように訓練をしたのかもしれません。
どちらにせよ視覚情報優位な一般の人にはなかなかない能力だと、私は思います。
■重要なのは「言ったか」ではなく「伝わったか」
人に何かを依頼する。交渉する。伝える。
我々は言語を使ったコミュニケーションを通じて、人と協働します。
その際「言ったかどうか」ではなく「伝わったかどうか」を意識しなければうまく人と協働できないと、私は思っています。
さらに言えば、伝えた内容で納得して行動してくれるかまでを意識する必要があると思っていますが、それは今回は置いておきます。
「あの時言った」というのも、相手に的確に伝わっていなければ、人と協働するという点で見ると「言ってない」のと変わりありません。
ただ「自分はちゃんと指示した」と自分の行動を正当化するための言い訳です。
Mさんは、個人としては優秀な人でしたが、チームリーダーとして物事を伝える、というスキルは不足していたのでしょう。
自分が覚えている人こそ文字にの残すべき。
それは、チームメンバーとの認識を確実なものにするためなのです。
書くことにはいろいろと利点があります。
以前、こんな記事を書きました。
私は上記の記事で、書くことの利点を次のようなものと言いました。
①自分の考えが整理される
②過去の考えを見返すことができる
これは、自分へのメリットです。
Mさんのように、書かなくても考えが整理でき、書かなくても過去の考えを覚えている人にはメリットになり得ないものかもしれません。
それに、正直、書くという行動は面倒なものです。
書くこと自体が手を動かさないといけないから面倒だし、文字にするには言葉では曖昧に話せてしまうことを、明文化する必要があるので、頭を使います。
記憶力がある人が、メリットを感じないそんな面倒な行動をせずにいるのは、無理もないことでしょう。
ですが、人と協働するならば、話が違ってくるのです。
チームで成果を出すには、リーダーが何を期待しているかをメンバーに的確に伝えなければなりません。
そのためには、口頭で伝えるよりも、明らかに視覚でもって確認でき、かつ後に残る文章で伝えるほうが良い。
いわゆる認識合わせ、というやつは目で見える情報で行うべきなのです。
「あの時言ったじゃん」
それは、自分が覚えられる有能な人が、有能さを人にも押し付けている結果だと言えます。
仕事がめっちゃできるのに、人と仕事すると途端に成果が出なくなる人というのがいるとしたら、そんな人なのかもしれません。
★終わり★