こんにちは。
爽一郎です。
最近、涙もろくなってきたなぁと思います。
「はじめてのおつかい」という、小さな子供を一人でお使いに活かせるという有名な番組があります。
昔は「ただ子供がお使いしてるだけじゃん」なんて思って、子供かわいいなぐらいの気持ちで見てました。
が、子供が生まれてからは涙をこらえながら見る番組になりました。
我が子と同じような小さな子供が、泣きながらがんばってお使いしている。
我が子を通じて番組に出ている子供に共感し、感極まってしまうのです。
また、最近「カナリア」というお笑いコンビが2018年に解散していたことを知りました。
アメトーーク!に結構出ていた時期もあり、私はそのコンビを知っていたのです。
アメトーーク!の中でカナリアの二人は、将来こうなってたい、とかこうやって売れていきたいとか、夢を語っていました。
が、そんな夢を明確に描いていた彼らも解散してしまったのです。
「メディアにそれなりの頻度で露出する」という、いわゆる”いいところ”まで行っていたお笑いコンビも、うまくいかなかったのです。
私にもいいところまでいってもうまくいかなかった、というような経験があり、程度の差はあれど共感して泣きそうになったのです。
歳取ったり、疲れてたりで涙腺が緩んだのかもしれませんが、涙もろさの原因には「共感」があるように思います。
■共感力はあらゆる場面で重要
共感って大事です。
「あー、それわかる。」と言うやつですね。
大変な人には、大変ですね。
嬉しそうな人には、良かったですね。
そんな言葉を自然にかけられる人は共感を人に投げかけられるので、周りからは共感力高い人に映る事でしょう。
つまりは共感とは、相手の気持ちを察し、人の気持ちに歩み寄る言動を取ることです。
これはビジネスにおいて、昨今重要視されています。
先日こんな記事を書きました。
『Googleの研究によれば、成果が出るチームは下記の特徴を持っていると言います。
①心理的安全性
②相互信頼
③チームの構造や役割が明確なこと
④仕事に意味を感じていること
⑤仕事がインパクトを与えると認識していること
数字が少ないものから順に重要です。
この、一番重要な心理的安全性と二番目の相互信頼。
これを得るために何が重要かと言えば、チーム内でのメンバー同士、またはリーダーとメンバーの接し方です。
Googleは具体的な行動として、下記の行動が有効と記載しています。
・積極的な姿勢を示す
・理解していることを示す
・対人関係において相手を受け入れる姿勢を示す
私は、こういう行動を取れることがコミュニケーション能力と言えるのではないか、と考えています。
チームとしての成果を出すための条件が心理的安全性や信頼関係であるならば、それを醸造する能力を企業は欲しているはずです。
対人関係において、意思疎通を促進するための信頼感を醸造する。そんな言動を行えること、これがコミュニケーション能力なのだと、私は思っています。』
Googleが必要と言う心理的安全性を確保するにも、共感力が必要です。
皆が揃って大事だというコミュニケーション能力も、共感力がその要素の一つだと思っています。
だから、私が最近涙もろくなったのも共感からくるものとすれば、共感力が上がった結果であって、良いことなんだろうと思います。
そんな共感力を高めるには、どんなことをすれば良いのでしょう?
今日の主題は、共感力ってどうやったらつくの?という考察です。
■ケーキの切れない非行少年たち
共感力。
単純に考えると、自分の経験と重ね合わせられるから共感できるのだと思います。
私も子供ができたから、昔は泣かなかった「はじめてのおつかい」で、自分の子供と重ね合わせて感動してしまうわけです。
つまりは、経験が増えると共感しやすくなるということでしょう。
これは、皆さんもご存知のことだと思います。
なのですが、経験さえあれば共感できるかと言うと、そうではないらしいのです。
『ケーキの切れない非行少年たち』という本があります。
この本は少年院に勤務していた精神科医である宮口幸治氏が書いた本です。
少年院に入院した非行少年(少年院では男女関係なく少年と呼ぶとのこと)との面談を繰り返した著者が、非行少年について見つかったある特徴について記載されています。
それは、非行少年には認知機能が弱い傾向がある、というものです。
本書から引用します。
『ある粗暴な言動が目立つ少年の面接をしたときでした。私は彼との間にある机の上にA4サイズの紙を置き、丸い円を描いて、「ここに丸いケーキがあります。3人で食べるとしたらどうやって切りますか? 皆が平等になるように切ってください」という問題を出してみました。』
そうして、書かれたものが下記です。
明らかに平等ではありません。
ただ、3つに切っただけ。
彼らはおそらく平等という意味を理解できていないのです。
それどころか、著者によれば計算もできないし漢字も書けないという少年が多いとのことです。
彼らは学校教育についていけないということであり、その原因は認知機能が無いことであると著者は言います。
認知機能は五感から入ってきた情報をもとに意味を形成し、自分で理解する能力であると書かれています。
「見る力」と「聞く力」がメインで必要となる学校教育では、認知機能が歪んでいると、教育で得た情報の意味を形成できないのです。
結果、平等にケーキを切って、と言われてもケーキの切れない人間になる。
そして、認知機能のない彼らに対し、「自分がどんな人間だと思うか?」と問うと、「ひどいことをした悪い人間だ」という答えではなく、別の答えが返ってくると言います。
ここもまた引用しましょう。
『しかし、私が驚いたのは約8割の少年が「自分はやさしい人間だ」と答えたことでした。どんなにひどい犯罪を行った少年たち(連続強姦、一生治らない後遺症を負わせた暴行・傷害、放火、殺人など)でも同様でした。当初、私は耳を疑いましたが、どうやら本気で思っていたのです。
ある殺人を犯した少年も、「自分はやさしい」と答えました。そこで「どんなところがやさしいのか?」と尋ねてみると「小さい子どもやお年寄りにやさしい」「友だちからやさしいって言われる」と答えたりするのです。〝なるほど〟と思いました。そこでさらに私は「君は○○して、人が亡くなったけど、それは殺人ですね。それでも君はやさしい人間なの?」と聞いてみますと、そこで初めて「あー、やさしくないです」と答えるのです。』
これはつまり、客観的に見た物事が自分事にならないということです。
いうなれば、共感ができないということ。
逆説的に、認知機能を高めなければ共感力は身に付かないのです。
これが、経験以外に共感力を上げるために必要なものです。
いや、前提条件と言えるものなのでしょう。
■抽象化が認知機能を鍛える
非行少年たちの例は極端ですが、複雑な事象になればなるほど我々も客観的な出来事を自分事としてとらえることが難しい場面があります。
リーダーにはこうして欲しい。
そう思いつつも、自分はそんなリーダーとしての振る舞いをしていない。
いつも話しかけると冷たい態度をとるあの人。
だけど、疲れているときに同じような態度を自分もとっている。
多かれ少なかれ、非行少年ではない人間だって、人のことを自分事として考えられないことはあります。
それは認知機能を鍛えることで自分事としてとらえられるようになるのかもしれません。
認知機能。
『ケーキの切れない非行少年たち』ではこの機能を、五感を通じて入ってきた情報を、自分なりに整理して解釈するということと定義しています。
私なりに解釈すると、客観的な物事を抽象化し、主観的な物事に置き換えることだと思っています。
それはどういうことか?
私はこうしてブログを書いていますが、よく物事を抽象化して記事を書いています。
例えば下記の記事。
”私がルービックキューブをしている”という客観的事実を抽象化し、”チャレンジの象徴”という主観的なものとしてとらえています。
他にも、下記の記事。
エモいという言葉を抽象化し、いろいろな場面に使える便利なワード、と主観的にとらえています。
他にも、いろいろなことを抽象化し、私は記事を書いています。
この記事も、私が涙もろくなったという出来事を抽象化し、それは共感力が上がったこと、という主観的な物事に置き換えることから書いたものです。
抽象化は、常日頃から身の回りで起きることを良く観察するといことから生まれます。
ブログや日記などを習慣的に書く際には、ネタ探しのために日常の物事を観察しがちになるように、私は思います。
観察し、抽象化して捉える。その思考は、客観的なことを自分の思考に置きかけて考えるという点では、”自分事としてとらえる”という認知機能を高め、共感力を上げることにつながるのかもしれません。
なお、抽象化するということについては、『すべてがFになる』でおなじみ森博嗣氏の本が分かりやすくまとめられていて、おススメです。
コミュ力を上げたいなら、共感。
その共感を形作る習慣として、認知力の向上、つまり客観的な情報をいかに”自分事”と考えるか、が重要なのです。
★終わり★