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リスクマネジメントを脅かす原因をトイレ我慢から考える

こんにちは。

爽一郎です。

 

リスクマネジメントって、良く聞きますよね。

簡単に言えば、リスクマネジメントとは起きうることを推測し、損失を回避するためになんとかがんばることです。

 

トイレを我慢しているとき、リスクマネジメントについてふと思い浮かんだのです。

少し、リスクマネジメントというものについて考えましょう。

何がリスクマネジメントを難しくしているのか?それは、自分の都合よく考えるという人の癖です。

 

■うんこ我慢におけるリスクマネジメント

私はお腹が弱く、しょっちゅう電車の中で便意と戦っています。

激しい激しい便意

いやぁ、辛いです。

次の駅まであと3分、とか考えながら「俺はできる!俺はできる!」と自己暗示を頭の中でかけつつ、必死で我慢しています。

肛門がぶっ壊れるかと思うほどに。

電車で小刻みに震えながら眉間にシワを寄せて目を固く閉じている人がいれば、それはおそらく私です。

 

そんな時、神が現れたとします。

 

「苦しいか?苦しいだろう。

お前は昨日、浜辺でいじめられている亀を助けただろう。

その行いの褒美として、腸内の水分を蒸発させてやってもいい。

そうすれば、便は固くなり、気分は楽になるだろう。」

 

その時、私はきっと迷わずこう言ってしまうでしょう。

 

「おお、なんという思し召し。すぐにお願いします!」

 

このやり取りだけを見ると、神の申し出はリスクがなく、私の今の苦しみ(=損失)を無くしてくれるように見えるので、私の選択は考える余地もない選択です。

これはリスクマネジメントではありません。

 

ですが、もう少し冷静に考えてみましょう。

少し冷静な私なら、こう言うかもしれません。

 

「え?腸内の水分が蒸発したら、腸閉塞とか、悪影響が出るのではないですか?」

 

「うむ。出るかもしれん。」

 

「では、少し弱めに蒸発させることはできますか?悪影響が出ない程度に。」

 

「できるが、便意はそこまで収まらんぞ。それでもしばらく便秘にはなる。それでもいいのか?」

 

「大きな病気になるぐらいなら、多少のリスクは飲みます。最悪漏らしたとしても、腸閉塞にはなりたくありません。」

 

※フィクションです。

 

これは、リスクマネジメントです。

ここで行ったリスクマネジメントとしての行動は大きく二つに分かれます。

 

一つは、神の提案にリスクが無いのか考えること。

つまりは、選択肢を検討する時に、短期的・長期的デメリットを検討することです。

 

もう一つは、将来的に腸閉塞になるかもしれないリスクと、肛門の決壊というリスク。

二つを比べ、どちらを取るか選ぶこと。そして、腸閉塞にならない程度に神の力を使うという第三案を考えること。

つまりは、リスクを比較して最もリスクが許容できる選択肢を選ぶことです。

 

なお、この例でいえば、トイレ我慢が限界になる前に対策するのもまたリスクマネジメントです。

事前に便意が無くてもトイレ行っとくとか。これは防止策ですね。

もしくは、どうにもならないなら我慢するための呼吸法を覚えるとか、オムツ履くとか替えのパンツ持っとくとか。これは損失低減策ですね。

 

■確証バイアスを制するリスクマネジメントの出発点

なんの話をしているんだ、というと、リスクマネジメントの例でした。

ここで、冒頭に述べた「リスクマネジメントを難しくしているの、は自分の都合よく考える人の癖」ということに戻します。

 

リスクマネジメントで難しいことの一つは、リスクが予期しづらいことです。

 

トイレを我慢しているとき、神の提案があったとして、そこに副作用があるかもしれない、という視点にならねばなりません。

神が言ってるんだから当然大丈夫、とか思ってしまう。

さらに、余裕がなくて冷静に考えることもできず、提案をうのみにしてしまう。

 

元来、人は都合よく物事を解釈してしまう生き物です。

ノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマン氏はこの特徴を確証バイアスと呼びました。

自分の都合の良い情報を選別し、都合よく会社くするという我々の脳の特性です。

 

私がこれまで経験した中では、1年以上の長期となるプロジェクトは、大方当初想定の期間内に終わりません。

期間が伸びますし、全てとは言いませんが、費用も後に増える傾向のほうが多いです。

 

これは、いろいろと要因はあるのですが、その一つはリスクが見えていないことにあると、私は思っています。

簡単に言えば、過信しているのです。

意識は楽に考えるためにショートカットしようとします。

その結果、バイアスがかかった都合の良い計画が生まれることが原因の一つです。

 

ダニエル・カーネマン氏はこう語ります。

 

あなたはどうしても、手持ちの限られた情報を過大評価し、ほかに知っておくべきことはないと考えてしまう。そして手元の情報だけで考えうる最善のストーリーを組み立て、それが心地よい筋書きであれば、すっかり信じ込む。逆説的に聞こえるが、知っていることが少なく、パズルにはめ込むピースが少ないときほど、つじつまの合ったストーリーをこしらえやすい。世界は必ず筋道が通っているという心楽しい信念は、磐石の土台に支えられている。その土台とは、自分の無知を棚に上げることにかけて私たちはほとんど無限の能力を備えている、という事実である。

 

 

人間は、都合よく物事を解釈します。

すなわち、過大評価です。

 

トイレはきっと我慢できるだろうと考えるし、神の提案に問題はないだろうと考えます。

 

その場その場の一瞬の判断が生死を分けた狩猟時代はそれが必要でした。

バイアスがかかっていたとしても、すばやく判断して行動することが結果的に生存率を上げることにつながっていたのです。

ですが、今はそんな時代ではありません。長期的なリスクも考慮しなければなりません。

 

適切なリスクマネジメントは、この人間の持つバイアスをどう制するかにかかっています。

冷静に、客観的に、自分が何かに囚われていないかを意識し、具体的に想像すること。

これが、リスクマネジメントに必要なことなのです。

 

知的労働をサボれば、リスクマネジメントもできない。

素早い判断は狩猟時代同様、今の時代でも必要なものです。

が、必ずリスクを考慮に入れた判断を優秀な人ほどしています。

 

少しでも便意があれば、電車に乗る前にトイレへ。

 

 

★終わり★