こんにちは、爽一郎です。
人を動かすには正しいことを言えば良いんだ。
そう、論破すればそれは正しいことが証明され、人はそれに従う。
そんな思いで、論理的に正しいことだけを考えていた時期がありました。
が、今では、論破では人と協働できないと考えています。
■論理的に正しいことが正義!という誤り
私は論理的に正しいことを追求し、それを人に押し付けていたことがあります。
ある案件について、クライアントへの提案を上司から任せられたことがありました。
当時の私は、論理的に、自分では非の打ち所のないと思える提案資料を作ったのです。
が、上司は私にこう言いました。
「筋は通っているし、内容は分かる。けど、なんかこう…思いが足りない。何とは分からいけど、抜け落ちてる気がする。
もっとクライアントと話して、思いを汲んだ方がよいかも。」
それを聞いた私は、『はぁ?』という考えでいっぱいでした。
論理的に正しいのに、何を指摘されているのか?
私には理解できなかったのです。
クライアントにどう思うかを確認したところ、上司と同じような感想を抱かれました。
「正しいし、良さそうに思えるけど、私たちの思いと違うんです。」
クライアントが「思い入れを持って採用したい進め方」があり、クライアントが求めるものはその方法に添った提案だったのです。
私よりもクライアントと話をしていた上司には、そんな思いを感じて私に指摘したのでした。
私の提案は論理的に正しかったのかもしれません。
が、クライアントの思い、感情にはそぐわないものでした。
また、全く別の件で先輩とのやり取りから、論破について考えさせられたこともありました。
先輩が、他の部署の人(Aさん)とメールで話を進めたときのこと。
その、Aさんは屁理屈をこねてくるので少し面倒な人だけれど、重要なポジションの人で、いわゆるキーマンです。
そのAさんの部署との共同プロジェクトを先輩が進めていました。
先輩はAさんとプロジェクトの進め方を決めようとしていたのですが、Aさんは屁理屈をこねて、自分の仕事を先輩に押し付けようとしているのでした。
私の目から見ると、どう見ても先輩の主張の方が正しく、Aさんの言うことは屁理屈で、論理的につっこみどころも多い。
が、私の先輩は論破せず、Aさんの主張も考慮した折衷案を提案し、進めたのです。
私は先輩に言いました。
「こんなの、Aさんの主張なんてつっこみどころ満載なんですから、論破して先輩の元々言ってた進め方にしたほうがいいですよ!」
先輩から返ってきた答えは、下記のようなものでした。
「そんなことして、この後ちゃんとプロジェクトが進められると思う?
俺がAさんを論破したら、Aさんは俺に敵意を持つでしょ。これからチームとしてやってくのに、そんなことしてどうするのさ。」
「同じチームでやってくからこそ、なめられないようにしないと、ずっと同じように仕事を押し付けてきますって!」
「お前の言うことは分かる。俺だってあの人と仕事はしたくないけど、彼はキーマンだし今のところ代わりはいない。
彼の感情を逆撫でながら進めるのと、感情をなだめながら進めるのと、どっちがプロジェクトの成功につながると思う?」
私は、何も言えませんでした。
先輩の主張は「自分は物事を論理的に考えるべきだけが、人の感情を無視して自分の論理を押し付けるべきではない」ということなのです。
■知的労働は、人間主義が原則
過去、大量生産が主流な産業で、ブルーカラーと呼ばれる人々が人口の大半を占めていた時期。
そのころ、科学的管理法というにより、人の思考なんて無視した管理が基本でした。
が、ホワイトカラー、いわゆる知的労働が主流になました。
時代の変遷とともに、現代経営学の父たるドラッカーはこれまでの科学的管理法を否定し、知的労働は人に焦点を当てる必要性を説きました。
『フレデリック・ウィンスロー・テイラーやヘンリー・フォードなど、20世紀初頭の経営学の祖先とも言うべき人々は、いち早く生産高を系統的に測定し、どうすればそれを高められるかを分析した。そして最も効率的で収益性が高いのは、権威主義的組織であると主張した。
~中略~
その結果誕生したのが「明快な階層組織である。そこには命令を下す者と、それを受けて、なんの疑問も持たずに実行する者しかいなかった」とグローブは指摘した。
その半世紀後、テイラーとフォードのモデルを完全に否定したのが、大学教授、ジャーナリスト、そして歴史家でもあったピーター・ドラッカーだ。ドラッカーは結果重視の、それでいて人間本位の新たな経営理論を提唱した。企業とは「利益を生み出す機械ではなく、労働者への信頼と尊敬に基づくコミュニティであるべきだ」と。』
知的労働においては、人の感情や思考を無視した管理では、成果が出ないのです。
そして、「論破」という行為はしばしば人の信念を無視して物事を進めるために使われます。
人が作り上げる信念には、多分に感情が含まれます。その人なりの思考が含まれます。
どれだけ正しそうな事を並べて証明しても、人の信念を変えることはできません。
認知神経科学者であり、ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン教授のターリ・シャーロット教授はこう言います。
『民主党の大統領が国を発展させたと示すどんな数字も、筋金入りの共和党支持者は受け入れないだろうし、その逆も同じだろう。健康については? 運動が身体に良いというのはたくさんの研究で立証され、信じる人もたくさんいるが、悲しいことにその知識だけで人々を歩かせたり走らせたりすることはできない。
実のところ、今日の私たちは押し寄せる大量の情報を身に受けることで、かえって自分の考えを変えないようになってきている。マウスをクリックするだけで、自分が信じたい情報を裏づけるデータが簡単に手に入るからだ。むしろ、私たちの信念を形作っているのは欲求だ。だとすれば、意欲や感情を利用しない限り、相手も自分も考えを変えることはないだろう。』
過去、私が打ち合わせで正論で指摘すると、メンバーはしぶしぶうつむきながら従うようなこともありました。
メンバーが納得してなかったことは明らかです。
論破された人は、しぶしぶ行動は指示どおりに行うかもしれません。が、嫌々やってるだけです。
納得しての行動と、納得のない行動では、知的労働においては成果が異なります。
■昨今コーチングが注目されているのはなぜか
最近、コーチングが注目を浴びています。
特に管理職はコーチングというスキルは重要だよね、と研修などが多く行われています。
その背景には、これまで書いてきた権威主義や正論による論破が意味をなさなくなったことがあります。
人の感情を無視した管理ではなく、メンバーが自律的に動けるような管理が今の時代には必要だからです
問題解決方法をコーチの意見を押し通して論破するのはコーチングではありません。
コーチングはクライアントから答えを引き出します。
マネージャーやリーダーはそんな、コーチング的アプローチが必要なのです。
これは、リーダーのみでなく、人と協働する人全般に言えることです。
論破しても物事はうまく進まない。人の感情に寄り添うことが必要である、と。
思い通りにことが運ぶ、というのは万能感があって嬉しいことです。
論破とは、一見思い通りにことを運ぶために最良の方法に思えてしまいます。
だから、やってしまう。
もちろん、しぶしぶでも人は動くので一定の成果は出ます。
が、納得感を持たせる方法であれば、知的労働はもっとパフォーマンスが上がるのです。
論破が飛び交うチームは、最適解には辿り着くかもしれませんが、居心地は悪く、個人のパフォーマンスは低いでしょう。
そして、論破する人のワンマンになり、誰も考えることや活発な意見を出す人がいなくなります。
納得感を無視した論破なんて、するもんじゃありません。
それは、旧世界の成果の出し方なのです。
★終わり★