凡人が成果を出すための習慣

残業ゼロで成果を出すには、どうしましょうか?

幸福とは、突き詰めると試して経験を蓄積することだ

みなさんこんにちは。

爽一郎です。

 

幸せですかー?

あ、宗教的な掛け声ではないです。

 

人が何を求めて生きているかと言えば、究極的には、幸せになるためです。

私は良く幸福ってなんだろう?ということを考えます。

 

しかし、その「幸福」を定義しようとすると、これが難しい。

ということで、今日は私なりの幸福の定義について書きたいと思います。

 

私が思う幸福への道、それは「試すこと」なのです。

 

■結局、幸福になるには何が必要なの?

幸福って何だろうというと、「お金」というのがまず出てくる答えでしょう。

 

少し古いですが、2014年にTポイントカードでおなじみのカルチュア・コンビニエンス・クラブが調査した幸福についてのアンケート結果があります。

幸せに必要な要素は?というアンケートの結果が下記でした。

幸せに必要な要素は、1位「収入」、2位「健康」、3位「精神的なゆとり」

 

収入。お金ですね。

経済的な安定は幸福の条件の一つなのでしょう。

 

ですが、金さえあれば幸福になれるかと言えば、そうでもないようです。

宝くじが当たったからと言って幸せになれるわけでもないらしい。

 

 

宝くじ以外にも、多くの金を持っていても、悲しい末路をたどる人々はいます。

以前のタイガー・ウッズもそんなんでしたね。

 

また、ノーベル経済学賞を受賞した心理学者、ダニエル・カーネマン教授の研究によると、年収7万5千ドル(約800~900万円)までは収入に比例して幸福度は上がるが、それ以上は幸福度は上がらないとのこと。

 

もうそれ以上は幸福感を味わえないという所得の閾いき値ちは、物価の高い地域では、年間世帯所得ベースで約七万五〇〇〇ドルだった(物価の低い地域ではもうすこし少ないだろう。この閾値を超えると、所得に伴う幸福感の増え方は、平均してなんとゼロになる。所得が多ければ多いほど、好きなところへ旅行に行けるしオペラも見られるなど多くの楽しみを買えるうえ、生活環境も改善できることはまちがいないのだから、これはじつに驚くべき結果と言える。なぜこうした追加的な快楽は、感情経験を高められないのだろうか。考えられる一つの解釈は、所得が増えるほど生活の小さな楽しみを味わう能力が減ってくるのではないか、ということである。

 

ある程度まではお金も幸福度を上げることに寄与するものの、あくまでも一定の効力があるのみということです。

 
うーむ、じゃあ幸せには他に何があればよいのでしょう。
 
私がコーチングをしている中で、どうなりたいか?というタイプの質問をすることが良くあります。
その答えを思い返すと、下記の二つの要素があるように思います。
 
①将来の不安がなくなる程度の経済的余裕があること
②自分が必要とされ、力を発揮できる環境にいること
 
ようは、十分な金と、自分の居場所が欲しい、と言えばよいでしょうか。

 

金のことは気にしなくてよく、人には必要とされ、他者や社会に良い影響を与えることで充実感を得る。

 

それが、私がコーチングしたクライアントの意見から思う「幸福な状態」です。

 

■試すことが幸福度を上げる

ただ、そんな理想的な生活を急に得ることは、できません。

なにせ、金の稼ぎ方も人によって向き不向きがあるし、自分が充実感を得られる環境は人によって違います。

よって、先ほど述べた「幸福な状態」になるための画一的な方法はありません。

子育てや恋愛同様に答えがないものです。あるとすれば、人それぞれ、という答えしかない。

 

人それぞれであるものについて、方法を見つけるにはどうすればよいか?

それが冒頭に述べた「試すこと」なのです。

 

というわけで、これは私の持論となります。

 

「試すことは幸福度を上げる」

 

 

過去の記事でも引用しましたが、「ジョジョの奇妙な冒険」という漫画の、第6部18巻に、こんなセリフがあります。

 

 『「覚悟した者」は「幸福」であるッ!

  悪い出来事の未来も知る事は「絶望」と思うだろうが

  逆だッ!

  明日「死ぬ」とわかっていても「覚悟」があるから幸福なんだ!

  「覚悟」は「絶望」を吹き飛ばすからだッ!

 

知っていることは覚悟できる。

知っていれば物事を何とかできる。

逆に、そうでないものは、怖れにつながり、幸福度は下がるのです。

 

過去に書いた記事に、人間はコントロールしたい欲求があり、それが阻害されると幸福度が下がるということを書きました。

人は物事をコントロールできないと、ストレスを感じます。

1976年、イェール大学の博士たちが、老人ホームにてある実験を行いました。

 

実験1

・老人のグループをAとBに分けた

・Aグループには、植物の世話を自分でするかどうか決められる、映画をどの夜に見るか決められるなどの裁量を与えた

・Bグループは、職員が植物の世話をするし、映画の時間などを決める

 →半年後、Aチームの老人の15%がなくなり、Bチームの老人の30%が亡くなった

 

実験2

・学生が定期的に老人ホームを調査のためという名目で訪問する

・Aグループには、学生の訪問日、滞在時間を決める裁量を与えた

・Bグループは、学生が訪問日、滞在時間を決める

 →2か月後、Aグループの老人のほうが薬の服用量が少なかった(つまりは健康的であった)

 

  しかし、実験が終了した後、Aグループの老人の死亡者数が、Bグループよりも多くなった

 

この実験が物語っているのは、コントロールできることが幸福という意識を生み出し、健康と長生きにつながっているということです。

実験1では、自分の生活を自分でコントロールできるグループのほうが死亡率が低いという結果でした。

実験2では、学生の訪問日、滞在時間をコントロールできるグループのほうが健康的という結果でした。

さらに、実験が終わったことで一度コントロールできていた裁量がなくなったため、死亡率が高まってしまいました。

ようするに、人間は身の回りのことをコントロールできる状況にあれば幸福で健康的となり、コントロールできない状況だったりコントロールが奪われると、不幸と感じて健康にも影響が出るということです。

 

人は、コントロールしたいという思いが本能的にあるのです。

 

まさに、知らないということは、未知の物事を何とかできないという不安を呼び、幸福度を下げるのです。

逆に知っているということは幸福度を上げる。

 

ここでさらに付け加えたいのが、知っているだけではダメ、ということです。

実際は知っていて、かつ実践した「経験」が必要です。

ないと頭でっかちなだけです。

例えば、プレゼンテーション。

プレゼンテーションの知識があっても、実際にプレゼンテーションを実践して知識を実践した経験がないと、おそらくはプレゼンテーションに自信は持てないでしょう。

 

会議のファシリテーションもしかりですし、スポーツなんかだと顕著ですよね。

知識だけあっても役に立たず、実践しないと身にならない。

 

そんな、いろんな経験があることが万能感を形作ります。

少なくとも、プレゼンテーションについて実践を重ねた経験があれば、プレゼンテーションはうまくできるようになります。

そうしてプレゼンテーションというものはコントロールできるものになり、不安が解消されて幸福度を上げることになるのです。

 

だから、色々試して経験を増やすことが、幸福度を上げることになる、と私は言いたいのです。

 

経済的な安定が欲しい。

自分の居場所が欲しい。

 

それは、どちらもゴールと言えるものでしょう。

そのゴールに向けて知識を得て、実践して試していくことが、幸福度を上げるのです。

たとえゴールに達せなくとも、その経験が幸福度を上げる。

 

単純に言えば、いろいろな経験をすることが幸福になること、と言って良い。

 

だから、私は常に何かを試したいと思っています。経験を増やそうとしています。

 

幸福度を上げるための小さな試み、小さな習慣を、始めてみてはいかがでしょうか。

 

 

★終わり★