みなさんこんにちは。
爽一郎です。
一人で生きて行く。
自律して生きたい。
そんな願望を持つ人は多くいるように思います。
なお、一人で生きて行く、ということを、1人で自給自足して誰の力も借りないという、真の意味での一人で生きていくとと捉える人は少ないでしょう。
そんな生き方が出来るのは、仙人ですね。
一人で生きて行く、とは、一人で自律的に何かに頼らずに生きて行くという意味合いですよね。
コーチングをしていても、でもそんな自律した生き方を求める人に多く出会います。
完全に一人で生きるわけではないので、そこに、人との関わり合いは必ず存在します。
■自律に必要なのは「コミュニケーション力」
自律した生き方のために、専門的なスキルを伸ばす必要はあります。
多様化の時代なので、広く浅くはもう限界があるため、何か秀でた自分の専門分野は必要です。
が、専門性は必要なのですが、「コミュニケーション力」も自律した生き方には必要だと私は考えています。
一見すると、複数の人がいることが前提である「コミュニケーション力」は、一人で生きていくという概念とは対極なもののように思えます。
なのですが、売れてる本たちは、人との関わり方を解く本が多いのです。
そのぐらい、社会的生物の我々人間には、人間関係を構築するというスキルは必要なもなのです。
たとえ一人で自立したとしても、社会の中で生きる以上は人との関係性は否が応でも生まれます。
本当に卓越したスキルを持つ一部の人は、人間関係がめちゃくちゃでも生きていけるかもしれません。
イギリスのロックバンド、オアシスのメンバーはめちゃくちゃ性格は悪かったそうです。
何か言えば暴言を吐かれるような状態はコミュニケーションも何もあったもんじゃないわけですが、彼らの歌手としてのスキルは抜群でした。
レコードは売れに売れていたわけです。
コミュニケーション力なんてなくても、卓越したスキルがあればやってける例ですね。
が、多くの人はそんなレベルにはなれません。
それを目指すことを否定はしません。が、なれなかった時の保険はいるでしょ?
保険となるものが、コミュニケーション力なのです。
■コミュニケーション力とは、良い人間関係を築く力
で、そもそもコミュニケーション力とは何なのでしょうか?
定義が曖昧な言葉です。
話がすらすらできることが、コミュニケーション力が高いという状態でしょうか。
いや、私はそうではないと思っています。
話はスムーズでも、こちらのいうことが伝わらず、的外れな回答をする人もいます。
長々と話されて何を言っているか分からない、という人もいます。
逆に、話はたどたどしいのに人との意思疎通が適切にできる人もいます。
まぁ、話が上手いほうが人に伝えたいことを伝えやすいので、割合的には話が上手い人のほうがコミュニケーション力が高いと言えるかもしれませんが。
では、的確に意思疎通ができることがコミュニケーション力?
うーむ、これはコミュニケーション力というか、コミュニケーションそのものの説明な気がする。
そして、私は考えた結果、一つの結論を出しました。
コミュニケーション力とは、良い人間関係を築く力、であると。
もっと掘り下げてみます。
良い人間関係を築く力とは何であるか?
それは、下記の要素が備わっている状態です。
・自己管理ができており
・周りのことを考えることができる
それらを持つ人が、コミュニケーション力が高い人、だと私は思うのです。
逆にできていない人で考えてみましょう。
感情がコントロールできないとか、忙しすぎて常に生気がないような人に、話しかけようと思いますか?
話しかけられても、相手と質の良い会話、ひいては良い人間関係を築くことは難しいでしょう。
これが、コミュニケーション力が高いとは言えないことは、イメージとして分かっていただけると思います。
感情や、自分の仕事量、話しかけられた時の対応、それらを自己管理できている人でなければ、質の良いコミュニケーションはできないのです。
これらの本は、どれも「周りに謙虚に、感謝と協力を惜しまない」ということが豊かな人生には必要であると説かれています。
これらはほんの一部であり、同じようなことを述べる本は大量にあります。
成果は、周りへの協力による信頼関係から生まれるのです。
ただ、周りの人への配慮もやりすぎると自己奉仕というより自己犠牲になります。
自己犠牲的でないレベルで周りに協力を惜しまないバランスを保つという点は、一つ目の要素である自己管理が必要です。
冒頭で述べた、自律している、一人で生きていく、ということ。
それは、どんな状況でも成果が出せるということに他なりません。
だからこそ、一人で生きていくには、どんな人間が周りにいたとしても、良い人間関係を築く、「コミュニケーション力」が必要なのです。
★終わり★