みなさんこんにちは。
爽一郎です。
直感というものは、とても大事です。
直感で気が付いたことは、よくよく考えると重要なこと、なんてことは日常的によくあります。
仕事の資料を見ているときに、なんか気持ち悪いから良く調べてみたら、致命的な欠陥が見つかった。
そんな経験が、私はあります。
世界的ベストセラー作家のマルコム・グラッドウェル氏は、著書『第1感 「最初の2秒」の「なんとなく」が正しい』で、直感を「適応性無意」と呼び、直感の重要さを述べています。
『芸術作品を一目見ただけで「贋作だ」と判断する人々がいる。そのように理屈ではなく一気に結論に達する脳の働きを「適応性無意識」と呼び、身体が持つ五感の延長線上にある「第六感」とは区別して解説する。夫婦の何気ない15分の会話を記録したビデオから、15年後の関係をほぼ予測し得るという心理学者がいる。「勘」や「経験」など曖昧な論拠ではなく、夫婦の1秒ごとの表情やしぐさを徹底的に分析した結果を示すのだと言う。
直感や経験則。それは自分で何かを探る時には必要なものです。
が、人に伝える。その時に直感や経験則を引き合いにして説明するのは、すべきことではありません。
簡単な話で、イメージ・感覚・直感・経験則、そういったものは他人には伝わらないからです。
当たり前ですが、伝えるには、言語化が必要です。
■言語化されたものは価値が低く見える
私は良く言語化します。
会議の仕切り方を言語化する。
ファシリテーションやコミュニケーションという曖昧な言葉を自分なりに定義し、言語化する。
マネジメントについても、本やらセミナーやら経験内容を様々に自分なりに言語化してきました。
ブログも言語化の一つと言えます。
それは全て、自分用のメモという側面もありますが、人に伝えるため、という面が大きいです。
まぁ、言語化が好きと言うのは前提にありますが。
チームメンバーにノウハウを伝えるには、言語化が必要です。
マニュアル化しなければ、属人化はなくならないことを考えれば当然のことです。
ただ、私は言語化したマネジメントについての内容をある人に伝えた際、かつてこんなことを言われました。
「言っていることは分かったし、面白かった。でも、俺のこれまでの経験を思い起こすと、そんな薄っぺらいもんじゃない気がする。
何が薄っぺらいかは伝えられないけど。」
その人はベテランの社員で、管理職も経てきた方です。
マネジメントについて、経験があるからこそ何か思うことがあったのでしょう。
その時、私は「薄っぺらい」と言われて少しイラっとした一方で、その人の感覚もあながち間違っていないのだろうと思いました。
謙虚にとらえると、本当に薄っぺらい可能性は否めません。
ですが、私は深く考えることはしませんでした。
なぜなら、その人の感覚は私には理解できないからです。言語化して指摘してもらえない限りは、答えのない答えを探す苦行になると考えたからです。
もちろん、何が薄っぺらいと思わせたのかを質問して明確化していけば、なんらかの言語化された指摘が得られたかもしれません。
しかし、その方のマネジメントの手腕を目の当たりにしたこともなかったので、そこまでエネルギーをかけて指摘を明確にしようとは思えなかったのです。
■ビジネスにおいては言語化が成果につながる
冒頭でも述べたように、直感や経験則と言ったものは大事です。
言語化できないものには価値があります。
本になっていない、得難いものだからこそ神格化される。芸術家の感覚なんてものは言語化できず、伝えられない、真似できないものであるからこそ作品に高価な値が付くわけです。
よって、言語化されたものが薄っぺらく見えてしまうことは、考え方によっては正しい感覚です。
芸術家の感覚が言語化され、誰もが真似できるようになれば、その人の作品は暴落するのかもしれません。
ただ、ビジネスにおいては、伝えられないものである時点で、周りの人からするとリスクとなります。
何せその発言者しか理解できないのですから。
感覚的な指摘をされても理解できないし、経験則で仕事せよと言われてもその人の経験と周りの人の経験は異なります。
あまつさえ感覚論での指示を出してしまう人もいるわけですが、そうなるとメンバーはその指示を自分が理解できるように言語化するところから始めることになり、とても非効率です。
特にチームを率いる者であるならば、感覚論や経験則を論じるのではなく、論理的な言語化された指示や基準を出さなければいけません。
属人化を是とする状態でマネジメントしてはならないのは理解いただけるでしょう。
マネジメントの立場からすれば、言語化できたものこそ価値があり、そうでないものは言語化しようとする必要があります。
それでも言語化できない仕事があるとるならば、それは無くしてしまうべき仕事なのです。
★終わり★