みなさんこんにちは。
爽一郎です。
私は、考えることから逃げる人は、今後生きづらい世の中になると考えています。
■考えない人たち
私は、考えない人をたくさん見てきました。
誰かに言われたことしかできない人。
すぐに人に丸投げする人。
意見が全くない人。
仕事で、よく「方針は何ですか?それに従ってやります。」と言う人を見ます。
然るべき人が進め方やルールとも言うべき方針を決める。それは当然のことでしょう。
が、小さなことまで方針は何?とか、これはどこに書いているのか?を尋ねる人々が確かに存在します。
まるで、全てがマニュアル化されていて欲しいと言うように。考えず、そのマニュアルに従いたいと言うように。
自分自身のことについても、考えない人はいます。
したいことが無い。考えるのがしんどい。
社会人になりたてのころは、道が見えないので与えられるガイドラインから進む先を見出すこともあるでしょう。
ですが、ずっとそれを続けるならば、受動的に、運良く棚ぼたを待ち続けることになります。
人に言われたことをするのは、楽です。
自分で決めたことではないから責任はないし、考えるというエネルギーを使う行為をしなくて済みます。
■AIは一部の知的労働が苦手
AIやロボットはまず、人の思考が不要な単純業務を席巻するでしょう。
考えない、思考しない人々の仕事は奪われることになります。
ここでよく言われるのは、「人はもっと生産性の高い業務へシフトできる」という理想論です。
しかしながら、考えない人は、考えたくないのです。
そんな人に「思考を要する生産性の高い知的労働ができるぞ」と言っても、ただただ辛く思うだけでしょう。
考えるということに向き合う人でなければ、はやりAIに仕事は奪われるのです。
さらに、思考が必要な分野にもAIは迫ります。
正確には、大量のパターンから、最適なものを選択する、という作業です。
これまでは、人があれこれ考えて出していた決断を、AIはより早く、より正確にやってのけます。
とは言え、それでも知的労働の全てがAIに置き換わるとは思いません。
人は、意思決定をする時、理由を知りたがるのです。
AIは結果は最適なものを教えてくれるかもしれません。
ですが、それを選んだ理由を、AIは教えてくれません。
こんな例があります。
採用選考にAIを導入しようとしたが、採用という人が人を選ぶというセンシティブな内容に、プロセスが分からないAIの判断を使うことがはばかれた、という内容の記事です。
また、ベストセラー『AI vs. 教科書が読めない子供たち』の中で、AIの研究者である著者はAIでは取って代われない作業の一つは、『人間の思考を理解すること』であると述べています。
AIは人の思考を理解できないし、思考のプロセスを説明することもできません。
なぜその結論になったのかが分からないと、人は納得ができません。
そして、納得できないと人は能動的には動けません。
納得感なくやる作業って苦痛ですよね。
人に何かを伝える。
その時には考えるという行為と、それを説明するという行為が必要になります。
すべての人が思考をやめ、AIに判断を委ねるようにならない限りは、考えるという知的労働はなくなりません。
そして、人の特性から考えると、全てをAIに委ねて何も考えない、という状態にはならないでしょう。
理由を求める生き物ですから。
だから、私は考える。
考えるという習慣をつけ、考えるという能力を磨きたい。
それはエネルギーが必要な行為ですが、確実に役立つ。
そして、考えなければ、誰もができる非知的労働を機械と奪い合う立場になり、確実に経済的に搾取されます。
『アマゾンの倉庫で絶望し、ウーバーの車で発狂した』という本に、搾取される人々が描かれています。
本の舞台はイギリスのアマゾン倉庫です。
アマゾンの倉庫では、倉庫のピッカーなど、誰もができる仕事が存在しています。
恐らくは、近いうちにロボットなどに置き換わろうという仕事です。
そのような仕事は誰でもできるからこそ、過酷な経済環境の国で生まれ、イギリスに移住してきた移民たちからの応募が殺到しています。
イギリスの水準からすれば、非常に低賃金な仕事です。環境も劣悪です。
が、移民からすれば、自国に戻るよりも、依然高い収入であり、安全に身を置いて働けるのです。
移民だけでなく、そこにはイギリス人も一部含まれます。彼らは、誰でもできる仕事しかできない、またはしたい人なのかもしれません。
これは搾取されている仕事だと、私は思います。
日本には移民は、今はいません。ですが、同じような状況にならないと言えるでしょうか。
考えない人には、この先厳しい世界が待っています。
知的な世界での弱肉強食は、すでに始まっているのです。
★終わり★