みなさんこんにちは。
爽一郎です。
注目される、というのは緊張するという方もいるのではないでしょうか。
この、注目されるという行為。これは、自分の行動を律することに役に立ちます。
今日はそんなお話です。
■骨折するとやけに注目される(気がする)
急な話題転換ですが、骨折いたしました。
足の親指の付け根の骨を骨折し、松葉杖生活を送っています。
大変な生活ですが、そこから得られるものもあろう、と無理やり前向きになるためにブログをしたためております。
さて、松葉杖で過ごしていると、良くも悪くも注目されます。
特に、公共スペース。いわゆる電車内で駅で、とにかく注目の的になります。
みな、私に席を譲ってくれますし、人身事故で駅で待ちぼうけを食らうと「兄ちゃん大丈夫か?」なんて声をかけられたりもします。
駅の椅子や電車の優先座席に近寄ると、みな、私を一瞥して無視だったり、席を譲るだったり、なんらかの行動をします。
自意識過剰かもしれませんが、明らかに「見られている」という感覚が怪我をする前よりは強いです。
これで感じることは、「なんか、悪い振る舞いできないな」ということです。
いや、もちろん普段から変な振る舞いはしないですよ?
ですが、こうして注目されると、変に順番を抜かすだとか、くしゃみをするときにはちゃんと口に手を当てようだとか、いつもにましてマナーを意識します。
いや、だから普段からマナーは守ってますよ?
ただ、席を譲ってくれたり、自販機のペットボトルを取ってもらったりすると、そんな自分がマナー違反するような人間だと、彼らの親切に対して失礼な気がしてしまうのです。
注目されると、自分の行動が律される。
それを再認識している今日この頃です。
■人に宣言し、注目されると自分を律することができる
さて、自分の律したい行動はないでしょうか?
運動をしたい、勉強を続けたい、ブログを書きたい。
そんな行動を自分に課し、継続することは、自分の行動を律するということです。
ここに、注目されるという技を使うと自分を律する支えになります。
どういうことか?
勉強をするなら、「勉強する」ということを周りに言えばよいのです。
運動するなら、「ランニングはじめるわ」と周りに言いふらせばよいのです。
そして、継続的に自分の経過を言いふらしまくるのです。
今日はできた。今日はできなかった。
次第に周りはその行動に注目するようになります。
否が応でも注目されると、やらざるを得ない状態になります。
まぁ、当然ですよね。
■宣言する言葉も重要
今日は当たり前すぎることしか言っていないので、人に宣言する際の言い方、について加えておきます。
人に宣言する、という行為は同時に、自分への宣言にもなります。勝手に脳がそう受け取るとのこと。
心理学に精通したニューヨーク大学のマーケティング学科准教授であるアダム・オルター氏は、著書『僕らはそれに抵抗できない』で下記の実験結果を記しています。
『被験者の一部には「私は運動を休むことはできない」と言うように指示した。残りの被験者には、「私は運動を休まない」と言うように指示した。 10日後に結果報告を聞いたところ、「休むことはできない」と言うよう教えられていた被験者のうち、目標を達成したのはわずか10%だった。一方、「休まない」と言っていた被験者はなんと80%が達成していた。前者は、自分に主導権がない、外的な力に締め付けられている、と暗示をかけていたのに対し、後者は言葉で自分に力を与えていたからだ。』
簡単に言うと、「できない」ではなく「しない」と自分の意志を込めた言葉を使うということです。
人に注目されるというのは外的な要因を用いて自分を律する方法ではあります。
が、あくまでも自分の決断である、という意識は有効に働くのです。
自分を追い込む、なんて言葉もあります。
人になりたい状態の自分を、自分の意思決定ということを意識した言葉で話せば、注目されてなりたい状態に近づく行動に結びつくかもしれません。
★終わり★