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犯人捜しは意味がない。それでもやってしまう人への処方箋

みなさんこんにちは。


みなさんの人生に役立つ情報をお届けします。

 

仕事での失敗。トラブル。悪いことというのは起こしてくなくても、起きてしまうものです。

そんな時に犯人捜しをするという行為は、私は愚行だと思っています。

誰かを責めるのではなく、構造に問題があると捉える思考習慣を身に付けたほうが建設的な議論になります。

 

■人間にある、「犯人捜しの本能」

『ファクトフルネス』という本があります。

少し前に、本屋で平積みになっていた本ですね。

どういう本かと言うと、簡単に要約すれば下記です。

・人は本能で事実を捻じ曲げて解釈してしまう

・そのせいで世界が悪くなっていると多くの人が思っている

・実際は世界が良くなっているという事実(ファクト)がたくさんある(本社では多くの”世界が良くなっている”データが示されている)

・ファクトを知る習慣をつけ、世界を事実ベースで解釈すれば世界の見方が変わる

 

ビル・ゲイツオバマ元大統領も絶賛ということもあって、世界中で売れている本です。

気づかされる内容も多く、面白い本でした。

とはいえ、本日はこの本の書評を書きたいわけではないです。

 

この本では、事実を捻じ曲げて解釈する人間の本能がいくつか記載されています。その中の一つに『犯人捜し本能』というものがあります。

本書では、こう記載されています。

 

『なにか悪いことが起きたとき、単純明快な理由を見つけたくなる傾向が、犯人捜し本能だ。』

 

何か悪いことが起きたときに「全部上司のせいだ」とか「日本の政治家が全部悪い」とか「同僚のあいつが悪い」なんていう言葉がか交わされることがあるでしょう。

ですが、問題が起きたとき、犯人捜しをしても問題解決は難しいのです。

問題を「人」が原因ということにすると、解決方法はその人が変わること、ということになってしまいます。

人が変わることは難しいのです。外的要因で人を変えるなんて、金八先生なみにエネルギーを注がなければできないことです。

さらに、犯人を捕まえて排除したり、改心させたとしても、似たような人が存在する限りは、根本的には問題はなくならないでしょう。

他の人が問題を起こすことになるだけです。

 

例えば、マネジメントをしない上司、というのは往々にしてどの会社にもいると私は思っています。

マネジメントされない部下の立場からすれば、上司を悪者、犯人にするのは思考的にシンプルで分かりやすいのです。

ですが、その上司を排除すれば物事は解決するのでしょうか?代わりに来た上司も同じようにマネジメントしない可能性はあるのでは?

原因を、マネジメントしない上司そのものと考えるのではなく、上司がマネジメントしない状態になっている理由は何であるかを考えなければ、根本的な解決にはならないでしょう。

つまり、問題は構造にあり、その人にその行動をとらせている原因にある、と捉えるほうが、現実的な解決策が見えてくるのです。

 

それでもみんな犯人捜しをしてしまうものです。

ファクトフルネスに言わせれば、それは本能なのです。
 
構造の問題と分かると、解決に途方もないエネルギーがかかることが多いですからね。
上司のせいと思えば、上司がいなくなりさえすれば状況が改善すると思えます。
構造、例えば人事制度が原因なんていう場合、変えることは難しく、絶望的です。
 
テレビでは何が悪事が起きれば、すぐにマスコミが押し寄せて誰かを悪者にし、悪・即・斬の吊し上げをします。
マスコミからすれば、構造的な難しい問題を取り上げるより、視聴者がよりわかり易い「犯人」を作り上げたほうが、共感を得られます。
 

先ほども述べたように、人間は分かりやすい理由をつけたいと思ってしまうのです。

 

■人間は何かとコントロールしたいという願望がある

人は物事をコントロールできないと、ストレスを感じます。

1976年、イェール大学の博士たちが、老人ホームにてある実験を行いました。

 

実験1

・老人のグループをAとBに分けた

・Aグループには、植物の世話を自分でするかどうか決められる、映画をどの夜に見るか決められるなどの裁量を与えた

・Bグループは、職員が植物の世話をするし、映画の時間などを決める

 →半年後、Aチームの老人の15%がなくなり、Bチームの老人の30%が亡くなった

 

実験2

・学生が定期的に老人ホームを調査のためという名目で訪問する

・Aグループには、学生の訪問日、滞在時間を決める裁量を与えた

・Bグループは、学生が訪問日、滞在時間を決める

 →2か月後、Aグループの老人のほうが薬の服用量が少なかった(つまりは健康的であった)

  しかし、実験が終了した後、Aグループの老人の死亡者数が、Bグループよりも多くなった

 

この実験が物語っているのは、コントロールできることが幸福という意識を生み出し、健康と長生きにつながっているということです。

実験1では、自分の生活を自分でコントロールできるグループのほうが死亡率が低いという結果でした。

実験2では、学生の訪問日、滞在時間をコントロールできるグループのほうが健康的という結果でした。

さらに、実験が終わったことで一度コントロールできていた裁量がなくなったため、死亡率が高まってしまいました。

ようするに、人間は身の回りのことをコントロールできる状況にあれば幸福で健康的となり、コントロールできない状況だったりコントロールが奪われると、不幸と感じて健康にも影響が出るということです。

人は、コントロールしたいという思いが本能的にあるのです。

 

そのため、難しい問題に直面した時、コントロールできるシンプルな原因を取り上げて考えてしまいます。

 

■コントロールできないものをコントロールしない習慣

時に、問題に対してシンプルではない、根本的な解決策を目指し、構造を変えようとする者が現れます。

それらはリーダーとか、構造が大きな場合はイノベーターとか呼ばれたりします。

そして、社会の構造を変えることが、度々イノベーションと呼ばれたりします。

本当に何かを変えたいなら。自分と同じ境遇の人を憂うなら。

無意識に犯人を作ってしまうことを、意識してやめるほうがよいです。

構造を変えるということを大きな目的として生きるもの、良いかもしれません。

 

とはいえ、だれしもがそんなエネルギーをかけて構想を変えようと思えるわけではないですよね。

構造を変えることが自分の夢になるような好きなこととも限らないです。好きでもないことにエネルギーをかけられるかというと、多くの人はNoでしょう。

その場合、変えられない構造に絶望するしかなくなってしまうことになります。

 

ですが、犯人探しをやめ、建設的に問題に向き合うための処方箋があります。

それは、コントロールできないもののコントロールをしようとしないことです。

これまで述べたように、問題は構造にあることが多いのです。よって、構造はコントロールできないので、分かりやすい犯人を作り上げたい。

とはいえ、そもそもコントロールできない問題を注視すべきではないのです。

最もコントロールが容易なものは、自分です。自分の意識や行動を変えることは、自分が思えばすぐにできます。

「主体的に問題に取り組む」とはそういうことなのです。

主体的に取り組めば、構造を変えずとも問題を解決できる方法が見えることもあるでしょう。

 

先ほどの例で挙げた、マネジメントしない上司の例で考えてみましょう。

自分が変わればよいのです。短絡的には、転職なんていうのも一つですね。

それ以外にも、マネジメントされなくとも問題なく成果が出せるように、自分の行動を変えてみるというのも主体的な取り組み方でしょう。

自分で自分をマネジメントするというやつですね。

 

犯人捜しは建設的な考え方を妨げます。

代わりに構造を変えるか、自分がコントロールできるものに視点を移すという習慣を手に入れましょう。

それが、処方箋なのです。

 

 

★終わり★